第37話 汗腺は死なず、消え去りもせず
校門前に不審者がいる、という話は聞いていた。
いや、実際には不審者と見られるような見た目をしていないらしく、リークしてきた2人からもそのように聞いていたわけじゃないけれど。
でも明らかに誰かを待っている様子で、リーク者の内1人は声を掛けられ、「北条水希さんって知ってる? まだ中にいるのかな」なんて聞かれたらしい。普通知る訳ないだろ、と思うが、1人目と2人目の時間差から、散々待たされていると思えば問うてみたくなるのも分からなくもない。
勿論、興味津々にジロジロと視線を送っていたらという前提がつくらしいのでリーク者、夕霧も悪いのだけれど。
「北条」
「なによ、青海く……ひゃっ!?」
北条が目を見開く。外履きに履き替え終えた彼女の手を取ったことが理由だろうが、それにしてももっと静かな反応になると思った。すました顔で、『なぁに、寂しくなっちゃったのかしら』なんてからかい馬鹿にされるとさえ覚悟していた。
しかし実際は、声を裏返し肩を跳ねさせ目を見開き、わなわなと震えている。なにこれ、俺殴られる?
「な、なななな、何よいきなり!? 周りに人がいないからって……」
「周りに人? いや、それは特に関係ないけど……」
手をつないだのは彼女が逃げないようにするためだ。もちろん、彼女に逃げるという行為が似合わないのは理解しているが、校門で待ち受ける人物を思うとその可能性も十二分に存在するのである。
というわけで、北条から拒否感バリバリの反応をされるのに我慢しつつ、半ば引き摺る形で校門まで歩いていく。そして、目的の人物も俺達……いや、北条を見つけた。
「水希……!」
「え……? あ、天勝さん……!?」
「良かった、会えて」
事前に聞いていた通り、爽やかなイケメン、優男地区大会代表みたいな男がそこには立っていた。派手過ぎず、地味過ぎずなファッションが似合っている。勿論褒め言葉だ。
「あ……君は?」
彼は、繋がれた俺たちの手を見止めた後、俺を見て聞いてきた。訝しむというよりは、普通に気になったという様子だ。
「青海正悟です」
「しょうご……?」
「……男です」
「え? えぇっ!?」
イケメンが思いきり仰け反った。そんなに驚くことだろうか……そう聞こうと北条の方を見ると、彼女は少し緊張したような顔で真っすぐ彼を見ていた。緊張しつつも悲壮感はなく、どうして彼がここにいるか分からない疑問は持っていつつも恐怖はない。
もしも彼がイヤなやつで、北条に直接的な暴力を教えようとしていたのなら……と、保険のつもりでいた俺だがどうやら出番は無さそうだ。
「ん?」
そう思い、手を離そうとしたのだが、今度は北条にがっしりと握られていた。手を緩めればメリメリと悲鳴を上げるほど強く。
「青海君、彼は天勝秀逸さん。私の……元、婚約者」
「へぇ……」
当然知ってる。いや、知ってはいなかったけれど察しはついていた。このタイミングで北条を待ち構える人なんてそれくらいしか浮かばないし。
にしても変な名前だな、天に勝つほど秀逸ってことですか? Fワールドの住人なの?
「ええと、君は本当に男の子なのかい?」
「ええ。そうっすよ」
「信じられない……」
「あぁん!?」
「天勝さん、信じられない気持ちは分かるけれど彼はちゃんと男の娘よ」
「お前のはなんかニュアンスが違うんだよなぁ……なんとなくだけど分かるんだよ」
男の娘呼びには敏感、それが女顔の宿命だ。宇宙に出ずとも覚醒する、新時代のニュータイプと言えるだろう。ええい、聞き逃さんよッ!
「ていうか、北条離してくれ。ほら、2人きりで話したいだろ?」
「ダジャレ?」
「ちげぇよ!」
「でも手を握ってきたのは正悟君じゃない。私から握ったみたいに言うのやめて欲しいわね」
今はもう離してるでしょうが……一方的に握ってきているのは彼女の方だ。
「ていうか、お前呼び方……」
「お願い、正悟君……傍にいて……」
弱々しく、目の前の婚約者に聞こえないくらいの声量で呟いた北条に、俺は抵抗する術を失った。
どうにも弱る。彼女のこの懇願は、どこか凪子に感じるものと……頭では地雷だと分かっていても身体は勝手に動いて踏み抜いてしまうような感覚だ。もっと分かりやすく言えば、ズルい。
「わぁったよ……」
「天勝さん、お話なら彼も交えて……彼は私の友達ですから」
「……うん、分かった。青海……くんも、ごめんね」
「いえ……大丈夫です」
最初のリーク者から連絡があった時から心の準備はしている。それこそ殴り合いになるよりはマシだ。彼の未だに男か女か困惑する感じは少しモヤっとするけれど。
「それじゃあ、移動しようか。大丈夫、少し歩くくらいだから。この近くにいい喫茶店を見つけたんだ」
天勝さんはそう言って歩き出す。その足取りは少し緊張しているように見えた。
「……行きましょう」
「おう。……もう、手はいいんじゃないか?」
「いいじゃない。お兄ちゃん」
「はい?」
「ふふっ、ドキッとした?」
「……ああ、悪い意味で」
心臓がぎゅっと鷲掴みにされた感じがしたのは確かだが、からかわれたのだと分かって助けられた。こいつに言っても無駄なことではあるが、今朝の夢がフラッシュバックしたことは言うまでもない。
殺した筈の手のひらの汗腺が息を吹き返したが、それでも北条は手を離してはくれなかった。