第34話 頭が痛んだり頬が痛んだり
その日の目覚めは最悪だった。
頭はガンガン痛むし、散々寝たはずなのに疲れがとれた感じがしない。
何より見た夢が酷かった。
妹が布団に潜り込んでくる、というのはマイルームのドアに鍵を付けた今でこそ無いが、少し前まではよくあったのでまだいい。
まだ凪子が小学生だったとき、何か落ち込むことがあると慰めてもらいに添い寝を求めてきたもので、多いときはそれこそ毎日だったので体に染み着いているのも分かる。夢に見ちゃうのも納得がいく。
しかし問題はその先だ。妹だと思って甘やかしていた彼女の顔が北条のものだったのだ。
これに関してはもう、悶絶ものでしかない。
だって同級の友達だぞ!? そんな相手を妹のように可愛がる夢なんて普通に気持ち悪い! 内容でなく見ている俺が!!
あろうことか北条の顔をした妹は夢の中で俺を“お兄ちゃん”なんて呼ぶ始末。凪子は“にーちゃん”呼びなので、単純に顔だけがすげ替わったわけではない。
あの北条が顔をスリ寄せてお兄ちゃんお兄ちゃん甘えてくるというのは天変地異が起きても有り得ない事象だとは思うけれど、まさか夢に見るなんて……万が一誰かに知られれば気持悪妄想変態糞野郎と思われることは必然。なんで寝ている間に黒歴史製造しているの、ぼく。
しかも妙にリアルだったというか、なんというか……あああっ!!
「朝よ、正悟ー………って、何やってんのあんた」
思い出しては悶絶、悶絶しては悶絶を繰り返す俺を、部屋に入ってきた母が気味の悪いものに向けるような目で見てくる。
ただ、あながち間違ってないので今の俺には効果が抜群だった。
顔を洗い、朝の食卓についた俺は北条の姿が無いことに気が付いた。まさか全て俺の見た幻想だったのではないかと疑心暗鬼になったことは言うまでもない。
「ああ、水希ちゃんなら朝早くに帰ったわよ」
「水希ちゃん」
「北条ちゃんって呼ぶのも変でしょ。ああ、それに水希ちゃん、また来ていいですかなんて言ってたわよ。やるわね、このこの~」
「……別にそういう関係じゃないし。あいつにとって俺はただの友達。異性というより同性ってカテゴリーでしょ」
「あら残念。ま、そんなところだと思ったけど」
納得早っ。
しかし母から見てもそうならもう決定的だ。母は何でも知ってる。なぜ宇宙が誕生したのかも知ってる。
「でも正悟、友達は大切にしなさいよ?」
「……もちろん」
どことなく真剣な口調に、俺はすごすごと頷くのだった。
◆◆◆
北条は当然のように教室に着いていて、アンニュイなオーラを漂わせながら自席で窓の外を眺めていた。もう何十日も同じ場所から見ている景色だろうに、飽きないのだろうか。
「おはよう、青海君」
近づいてくるのを感じたのか、北条はこちらを見て短く挨拶をしてきた。
「ああ、はよ」
「“お”と“う”が無いわよ? ああ、オウミだからいいのかしら」
「何言ってんの、お前」
意味もテンションも分からず、投げられた魔球をさっと冷たく避けて自席に座る。
「なんだか冷たくないかしら。あれからのこと気にならないの?」
「別に」
「むぅ……」
背を向けてはいるが、北条が不機嫌になったのを肌で感じた。というか意図的に発信してきている気さえする。
「北条のことだ、きっと大丈夫だって信じてるからな」
ご機嫌伺いに半ば本心だが半ば投げやりでもある、そんな言葉を返しておく。
昨日、彼女を家に泊め冷却期間を挟んだとはいえ、特に何もしていない。カレーを一緒に食ったくらいだろう。
そして今朝、昨日の憑き物が落ちたように、普段通りの彼女に戻っていることは一目で理解できた。
つまり、余計な心配もお節介もいらないのだ。北条水希という人間は自分で自分を助けられる凄いヤツなのだから、俺はたまに愚痴を聞いたり、一緒に飯を食うくらいでいい。例えるならバカヤローと叫ばれる水平線みたいな。わぁ、めっちゃ広大じゃん! 海のような包容力ってやつだね!
「信じてる……ね。ふふ、そう言われると悪い気はしないわ」
そう北条が笑う。良かった、当たりを引いたらしい。
どうせ彼女に何があってどう解決したかは、それを気にしていた夕霧同席のもと聞くことになるだろう。同じ話を二度と聞くほど、水平線も暇ではないのである。
「おはよう、北条さん、青海君」
「おはよう、前田さん」
「はよ」
「北条さん、体調大丈夫? 昨日お休みだったから心配で……」
そんなタイミングで北条さんの隣席の天使がやってきた。
しかもいきなり北条の体調を気にする天使っぷり。さすが天使だな。
「ええ、すっかり治してもらったわ」
「治してもらった?」
治ったではなく、治してもらった。その不思議な言い回しに前田さんが首を傾げる。
けれど、北条には詳細を語る気はないらしく、ただにっこりと笑顔を返していた。
やはりカレーか。でもカレーで元気が出たなんて言ったら小学生男子みたいなもんだもんな。現役女子高生には恥ずかしいだろう。好きなものがカレーでも、対外的にはパクチーなんて言っちゃうお年頃だ。あれ実質カメムシらしいけど。
「前田さん、これはただのアンケートなんだけど」
「ん? なに、青海君?」
「カメムシ味のパクチーとパクチー味のカメムシ、どっちが食べたい?」
「え?」
「何その質問……」
面を喰らったように固まる前田さんと、呆れたようにため息を吐く北条。
これはカレー味のアレとアレ味のカレーどっちが食べたい的なアレだ。似て非なるものを並べどちらが多く選ばれるか統計を取っていく。その結果得られるものは……何かしらあるんじゃない?
「私、パクチー苦手なんだ。だからどっちも微妙かも」
前田さんはそう苦笑して、照れくさそうに頬を掻く。
実は北条の反応と同じく、俺も口にしてみてこの質問は微妙すぎるのではと思っていた。けれど、そんなんにもしっかりと答えてくれる前田さんはやはりいい人だ。
「なにニヤニヤしてるのよ、気持ち悪い」
「痛っ!? 引っ張んな!」
「きーもーちーわーるーいー」
「痛ぁぁ……!」
俺の頬を引っ張って尻文字の尻のように見立ててギリギリと引っ張ってくる北条。
何が気に入らないのか、いや質問の内容が良くなかったんだろうけれど、何が彼女を駆り立てるのか笑顔を浮かべつつ指先から伝わってくる思念のような何かは、背筋が凍りそうな錯覚を覚えるような圧を感じさせた。
「ふふっ。なんだか2人とも楽しそうだね」
そう楽し気に微笑む前田さんだが、残念ながら楽しんでいるのは北条だけだ。頬を抓られて楽しんでいるやつがいればそれはマゾくらいだろう。
でもそれが楽しそうに見えるのならば……もしかしたら前田さんは才能があるのかもしれない。それが北条側なのか、俺側なのか分からないけれど。