第30話 人は慣れる生き物である
「もしもし……お母さん? 私……そう、私。ええ、今友達の電話で掛けてて。そう、友達」
オレオレ詐欺かよ。出だしからそうツッコミたくなったが、北条の口調はあまりに真剣で茶化す感じになってしまいそうなので自粛した。
電話の向こうにいるのは北条の母親らしい。少し電話を掛ける前と比べて北条の緊張が解けたように感じる。関係が良くないのは父親の方か。
「あの、お母さん。お父さんは? ……ああ、そう」
うん。隣にいて欲しいと言われたものの、向こうの言葉が聞こえないから状況が全く分からない。ただ、口論みたいなものは何も無く、終始落ちつた様子で会話を終えた。口論がヒートアップし、サンドバッグにされるというドラマチックな事態は避けられたのだが、それはそれで少し肩透かしな感も否めない。
「ふぅ……終わったわ。スマホ、ありがとう」
「ああ、うん」
「なんだかつまらなそうな反応ね。もしかしたら大声で喧嘩して貴方に泣き縋る……なんて展開、期待していたかしら?」
「いや……なんか元気になったな、お前」
先ほどまでは少し大人しい感じだったのに、今は普段教室で見るような北条さん……よりも少しテンションが高く見える。
「父も一応心配していたみたい。取りあえずは今日は互いに頭を冷やす為にも泊まるのは大賛成だって」
「ああそう」
「なんだか拍子抜けって反応ね」
そりゃあそうだ。コンビニで怪しいお兄さんに声を掛けられていたこいつを見た時はさすがに事件かと焦ったし、明らかに普段と違う様子に本当に心配していた。
それこそ婚約者どうとか聞いてた翌日の今日、こいつは学校まで休んだわけで、そうなってくるといよいよ嫌な予感をするには十分すぎる伏線が用意されていた。
そういう意味じゃ拍子抜けって反応と言われてしまうのも仕方がない。
「でもね、正悟君。私凄く感謝しているわ。貴方があそこで来てくれなかったらどうなってたか分からなかったもの。今だって、貴方がここにいてくれなかったら電話をする勇気さえ出なかった」
「調子のいい事言って……」
「別にお世辞でもなんでもないわ。実際、もしも私がスマホを持ってたら貴方に連絡したと思う。だって相談していいって言ったでしょう?」
「まぁ言ったけど」
「けれど、連絡しなくても貴方は駆け付けてくれた。本当に偶然だったと思うけれど、貴方は私を助けてくれて……なんだかヒーローみたいだったわ」
そう、ニッコリと笑う北条に俺は苦笑を返す。明らかにからかわれている。こいつの目に映る俺はハーレムラブコメのヒロインだということを忘れてはならない。
「正悟ー、北条さんも。ご飯、用意できたわよー」
「はーい。ほら、行くぞ……って、おい」
立ち上がって気付く。電話をし終わってもずっと、北条に手を握られているままだった。
「何?」
「何じゃねぇよ、手。もういいだろ」
「あら、ごめんなさい。正悟君、肌も滑らかだからずっとつい気持ちがよくって。どこのハンドクリーム使っているの?」
「使ってねーよ、そんなオシャレなもん」
「え……、なんていうか本当に天才なのね」
「何の天才だよ」
明らかに嫌味だ。いや、本人は心底思っていることかもしれないがそれが余計に俺にとっての嫌味になる。
「俺は……いや、やっぱりいい」
もう訂正するのも虚しくて、話を打ち切り彼女に手を握られたまま食卓へと向かう。繋がれた手を見て母さんが茶化すようにヒュウっと口笛を鳴らしたが、それでも彼女は手を離してはくれなかった。
◇
「はぁ……お腹いっぱい」
「そりゃあそうだ。4杯もおかわりしたんだからな」
「仕方ないじゃない、凄く美味しかったんだもの」
俺のベッドに横たわり、満足げにため息を吐く北条。食卓での北条は普段一緒に昼飯を食うときの500倍くらい饒舌で、特に母さんとはぽんぽん会話のキャッチボールを繰り広げていた。
準グランプリの子と彼女からすれば侮辱にも取られそうな発言にも、笑顔で「誇らしい」などと返した時は正直驚いてカレーを吹き出すところだった。
今こうして彼女が俺の部屋にいるのも、寝床として俺の部屋を提示されたときまったく嫌がる様子を見せずに頷いたことによる。もうこいつ……いや、慣れた。こいつに女扱いされることに慣れてしまった我が身が憎い。
「ちちょっと、あまりジロジロ見ないでくれないかしら。お腹が膨らんでしまっているから……凪子さんの服、ちょっとサイズが小さくて」
「ああ、そうだ。それで母さんが俺のスウェット貸してやれって」
「え……正悟君の?」
今は二人きりなのだから青海君でいいのではと思いつつ、タンスからスウェットを取り出す。なんてことのない無地でオシャレさの欠片もないスウェットだ。
「どうせ寝るだけだからいいだろ? 俺、風呂入ってくるからその間にでも着替えといて」
「わ……ちょ……ええと……」
なぜか少し慌てた様子で北条は俺の投げたスウェットを受け取り、何を思ったのか鼻に近づけた。
「安心しろ。洗い立てだから臭っても柔軟剤の匂いくらいだろうから。ああ、あと布団も干したばっかみたいだからちっとはマシだろ」
「そ、そう。そうね、うん」
「じゃ、そういうことで。あっ、全然強制しないけど、暇だったらリビング降りて凪子の相手してやって。そうすれば俺も安心だ」
凪子が風呂に侵入してこようとしてくることへの対処の必要がなくなるから……とはさすがに言わず、北条を残して部屋を出る。
不思議なもんで、美少女が部屋に泊まるという一大イベントもなんだか普通に受け入れている自分がいる。
それこそ中学時代に感じた、女子から男子ではなく女子のように扱われて、男子からはのけ者にされる……そんな虚しさを思い出す。が、そんなのももう慣れてしまった。北条に関してもそう。距離感は近いが、期待するのも意味が無いと何度も念じていればいつしか消えて、それこそ普通に友達のように思える。部屋に一人残しても、まぁいいかと思えてしまう程度には。
「ふぁ……それより風呂だ、風呂」
今日は部活は無かったがその分凪子の世話や、それこそ北条の世話で随分と疲れてしまった。
俺も凪子のように省エネモードを採用すべきだろうか……なんて思いつつ、入浴に向かうのだった。