第27話 ちゃんとサービスシーンになるお風呂回
「それでは先輩、そこに座ってください」
そこ、と指されたのは浴室の、ふたが乗った湯船の上だった。凪子ちゃんはテキパキと縁にタオルを敷き、シャワーからお湯を出し温度を調節する。
「傷口を洗い流します。少し染みると思いますが」
「ええと、凪子ちゃん? なんだか雰囲気が変わって……」
「省エネです」
そう言う凪子ちゃんの目は先ほどまでキラキラかがやいていたものとは打って変わり、眠たげに細められいる。それに声も小さく、抑揚のあまりない淡々としたものに変わっていた。
「そういえば、中学で噂があったけれど……青海君の妹さんは」
「二重人格、ですか。まあ、あながち間違いでもないですね。実際には2つ人格を持ってはいませんが」
濡らします、と凪子ちゃんが患部にお湯を当ててくる。傷口を刺激する鋭い痛みに思わず少し声を漏らしてしまった。
「こちらが素の貴方なの?」
「にーちゃんの前の凪子も、今の凪子もどちらも素の凪子です。ただ、にーちゃんに全力の愛を伝えるために他の場所で余計なエネルギーを使いたくないだけです」
しれっと、愛などという単語を用いる凪子ちゃん。同じ女だからかもしれないけれど、その愛は家族愛の枠には収まっていないように思う。
相変わらず興味なさげにそう言いつつ、石鹸を泡立てる凪子ちゃんの手際は実に丁寧で慣れていることが分かる。
「にーちゃんは昔、よく怪我をして帰ってきました」
私の視線が気になったのか、凪子ちゃんが口を開く。
「青海君が?」
「小学生の時は毎日喧嘩、喧嘩ですよ。それで、当時から私がにーちゃんの怪我をこうして洗って、絆創膏つけてあげてたんです。当時の私は普通ににーちゃんのことが好きなだけだったので、それがどれだけスペシャルな行為だったのか無自覚でしたが……ああ、ぶん殴ってやりたい」
普通に好きとは、つまり今は普通じゃないのかしら……?
「でも、喧嘩なんて彼らしくないような。中学では聞いたこともないし」
「はい。中学になってからは喧嘩も殆どなくなりましたね。色々理由はありますが……それはにーちゃんから聞けばいいと思います」
丁寧に傷を石鹸で洗ってくれる凪子ちゃん。痛みもあったが、少しこそばゆく、気持ちいい。
「凪子ちゃんは青海君、お兄さんが好きなのよね?」
「愚問ですね」
「でも、私がお兄さんと話していても嫌にならないの?」
「なりません。にーちゃんの新しい一面を見ることができますから。なんだったら結婚していただいてもいいですよ」
「けっ……!?」
「ま、その時は凪子も同居させてもらいますが。凪子はにーちゃんと同じ家、同じ老人ホーム、同じ墓に入ると決めているので」
さも当然のことのように述べられた凪子ちゃんの言葉はかなり狂気じみていて、少し背筋が寒くなる。でも、少しだけだ。
「……結婚なんて。彼は友達よ」
「そうですか」
凪子ちゃんはやはり感情なく頷くと、石鹸をシャワーで流し、丁寧に拭いてくれる。
「先輩、ごめんなさい」
「え?」
「お湯、跳ねちゃいましたね」
彼女が言っているのはワンピースのことだった。しかし、凪子ちゃんの着ていたシャツとズボンはもっと濡れてしまっていた。
「そうだ。凪子ちゃん、一緒にお風呂入らない?」
「はい?」
「お風呂は沸いているみたいだし、凪子ちゃんも濡れちゃったでしゃう?」
「ふむ、なるほど。一理ありますね」
「あ。でも、人様の家で勝手にお風呂を借りようというのは図々しいかしら」
そもそも傷の手当ても手を煩わせている状況だ。凪子ちゃんにも余計な負担を……と、考えていると、突然凪子ちゃんにシャワーのお湯を頭からかけられた。
「きゃっ!」
「おっと、手が滑りました。これじゃあ着替えないとですね。お客様に大変失礼をしてしまいました。これはにーちゃんに言ったらお仕置きしてもらえるかもしれません」
お仕置きされる、ではなくしてもらえるという表現が引っかかったけれど、どうにも凪子ちゃんは私に気を使ってくれたようだ。
「ごめんなさい」
「いいえ、こちらこそ。それに私にもメリットがあります。あの有名な北条先輩の裸体をこの距離から余すところなく堪能できるわけですから」
「そ、そう。恐縮だわ」
「ではちゃちゃっと脱いでください。ああっと、着替えはそうですね……にーちゃんっ!」
凪子ちゃんはシャツを脱ぎ、下着姿になると曇りガラス越しに青海君を呼んだ。……って、青海君!?
「ちょ、ちょっと、凪子ちゃん? 青海君はマズいんじゃ……」
「マズいですか? ああ、濡れ透けな姿を見られるということですね。大丈夫ですよ、にーちゃんにあられもない姿を見られるということ、それ即ちご褒美ナリですよ」
「それは貴方の中だけでしょう……」
こんな姿もしも青海君に見られたら純粋に恥ずかしい。それこそ今後どういう風に顔を合わせればいいか分からなくなりそうだし……。
「どうしたの、凪子」
「あれ、お母さん? にーちゃんは?」
「嫌な予感がするから代わりに行ってって」
さすが青海君。随分慣れた的確な判断だ。
「チッ。まあいいや。お母さん、このまま北条先輩とお風呂入るから着替え持ってきて!」
「北条さんと? 北条さん、迷惑じゃない?」
「あ、いえ、大丈夫です、全然」
「そう、それじゃあごゆっくりね」
青海君のお母さまはそう優しく声を掛けてくださり、私と凪子ちゃんの脱いだ服を受け取ると洗濯の準備をして脱衣場から去っていく。
そして風呂場には一糸も纏わない私と凪子ちゃんがいた。
「ふむふむ、脱いでも、いや、脱いだら凄いですね……」
「ま、マジマジと見ないでちょうだい」
「いやいや、見るでしょう。これは見ますよ。仮にこのワンシーンを写真に収めたらマニアの間で数万、数十万で取り引きされるであろう神秘さがあります」
そんなことを言いながらも一切表情を変えない凪子ちゃん。女子同士だからあまり不快感も無いけれど、だからといって気持ちが良くはない。
「洗いっこします?」
「……しません」
だから、その申し出はしっかりと断らせてもらった。