第17話 ヒロイン堕ち
ストックか消えていく……
五階まで階段を登らされ、さらに廊下でも奥まで歩かされ、たかが呼び出しに応えるために無駄に体力を消費された俺達を、北条は部屋の上座で待っていた。
普通のイスに座りながらも艶めかしい黒タイツに包まれた足を組む姿は実に堂々としている。
「よく来たわね」
「ボス感あるなぁ」
「ふふふ。ここは我らが努力部の部室予定地よ。そこに君臨する長たる私がボス感を出すのは当然でしょう」
「あんたらいきなり独特の世界観入り込まないでよ」
夕霧からの冷静なツッコミ。独特の世界観とは……と、北条も思ったのか、俺達は目を合わせて共に首を傾げる。
「……まぁいいわ。それで北条さん。努力部って何?」
「あら、青海君から聞いてない?」
「青海もロクに理解してない感じだけど……鵜呑みにするならなんでもありの部活って感じかしら」
「その通りよ、夕霧さん。流石、理解が早くて助かるわ」
なにがどうやり取りされてるのかよく分からず、夕霧を見る。そんな俺に、彼女は呆れたようにわざとらしい溜め息を吐き捨てた。
「努力する、なんて個人目標だし対象はなんだっていいわけでしょ? 私の場合特待生を維持するために勉強するのも立派な努力。つまり勉強場所をここに移すだけで部活動としては十分なわけ」
「なるほど……つまり俺は頑張って呼吸をしているわけだからそれだけで」
「そんなの努力じゃない」
「認められないわ、青海君」
ぐぅ、双方からツッコミ……!
あえなく撃沈した俺だが、夕霧の解釈が本当なら俺にとっても利は十分だ。
だが、ここのボスは北条水希。タダでそんな好条件を享受させてくれるとは思えない。裏があるはずだ。
「その通りよ、青海君」
「心を読むな」
「顔に書いてあったわ。『ここのボスは北条水希。タダでそんな好条件を享受させてくれるとは思えない。裏があるはずだ』……とね」
「マジでか!? おい、夕霧、マジで書いてあんの!?」
「書いてるわけないでしょ。でもそんなこと考えてるんだろーなーとは思った」
そんなこと思ってるだろうレベルじゃないぞ。一言一句、句読点さえ違わないレベルだったぞ。それこそ俺の思考をコピーアンドペーストしたみたいな……。
「話を進めるわよ。当然条件はある。無条件じゃ誰でも入れてしまい、この学校の部活制度を崩壊させかねないでしょう?」
「まあ全員参加なのに実質参加しなくてもいい感じになるからな」
「努力部が悪目立ちして廃部になるなんて事態は避けたいものね。よって、この様な条件を設けました」
部室に設置されていたホワイトボードに“入部資格”と達筆な字を描く北条。そしてその下にデカデカと書き綴った言葉は。
ーー主人公とヒロインのみ!
そんな、やはりと思える俗っぽい内容だった。
「……は?」
目を点にする夕霧。彼女の反応ももっともだが、俺は既に慣れてしまったのか、流石は北条水希と納得してしまっていた。
「ふふん」
ただドヤ顔する案件ではないと思いますよ北条さん。
「これ、例のラブコメがどーたらってやつよね……? ヒロインはあんたと青海のことでしょ」
「ごめん、平然と俺をヒロインにしないで」
「うっさいメス顔」
「メス顔!?」
そんなんただの悪口じゃねぇか!
「なによ、結局からかうために呼んだわけ?」
「それは誤解よ、夕霧さん。私は貴方にもヒロインの才能があると思っている。だからこそ、努力部に勧誘しているのよ」
「はぁ? あたしがヒロイン?」
当然のように、オマエアタマオカシインジャネーノ的反応をする夕霧。全くもってその通りだ。いきなり人をヒロイン扱いする、北条は頭がおかしいのだ。
「高校生離れしたロリボディ、甘々のお子様ボイス。それでいて外見を裏切るツンツンした強気な性格……パーフェクトじゃない。憎いわね、神も」
「あ、あんた、ろ、ろろろ、ロリって! あたしは高校生よッ!!」
「知ってるわよ。だからいいんじゃない。合法ロリでしょ? ああ、まだ非合法か」
「非合法ってなによ! あたしの存在が違法だってわけ!?」
ゴリゴリにコンプレックスを削ってくる北条に夕霧は耳まで真っ赤にして怒鳴る。俺も辿った道だ。なぁに、クラス全員の前で殺人事件の犯人の如くネタばらしをされるよりマシマシ。
「立派な才能、得難い個性だわ。実にラブコメ映えするわよ、貴方」
「誰のためのラブコメよそれ! ……うう、青海の気持ちが分かった気がする」
「いいや、夕霧。お前は俺の苦しみなんてなにもわかっちゃいない!」
「味方してよっ!?」
「痛いっ、痛い!」
ガシガシとピンポイントにスネを蹴ってくる夕霧から逃げること十数分、ようやく落ち着いた……というより疲れで暴れるのをやめた夕霧は、床に伏す俺の上に腰をかけ、荒々しく肩を揺らしていた。
「はぁ……はぁ……青海に免じて、今回は許してあげる……」
「ありがとう。優しいわね、夕霧さん」
「こいつのどこが優しい……!?」
おかげで俺の足はボロボロだ。立つのもしんどく、今は俺の上に乗った夕霧の尻の感触を楽しむことしかできない。
プラスマイナスでいったらプラスだ。断然プラス。考えるまでもないよなぁ!?
だって身体が小さくとも美少女の尻だぞ! 美少女の尻が俺の制服越しに触れているんだぞ! もちろんそこにはさらにスカートとスカートの中に隠された秘宝も挟まっているが、そのどちらも勿論オタカラ……つまりウィンウィンってやつだ!
最高かよ、俺は今初めて北条に感謝してるまである! むしろもっとやってほしいくらいだぜ! 足なんて何本でもやるからよぉ!
「まぁ北条さんがデリカシーのないやつだってのは理解したわ。でも、ヒロインってなによ。その主人公ってのに惚れろっていうんじゃないでしょうね」
「飲み込みがいいわね。その通りよ」
「……主人公って誰よ。こいつじゃないんでしょ」
子供のように俺の背中の上で揺れる夕霧さん、いや夕霧様。俺の背が敏感に夕霧大明神の御尻がぐにぐにと動いているのを感じている……ああ、もっとやれ! もっとぉ!
「彼はヒロインよ、見てご覧なさい。この世のどこにこんな可愛らしい主人公がいるっていうのよ」
「むぅ……何よあんたニヤニヤして。ああ、もう、なんでこんな可愛い顔してんの!? 憎たらしさもどっか行くわよこんなんじゃ!」
俺は尻の感触を堪能してニヤついてたんだぞ。普通気持ち悪がるところだろ。いや、気持ち悪がられたらそれはそれで傷付くけど。
ていうか、随分視界がクリアだと思ったら汗で髪が変な風に流れていたのか。尻に気を取られて気がつかなかった。
「でも北条さん。主人公ってのは男よね。まだ決まってないんでしょ?」
「残念ながらその通りよ。中々いい人がいなくて」
「そんなどこの誰がなるか分からない奴のためにヒロインでいろっていうわけ?」
「身も蓋もない言い方をすれば、その通りね」
「頭おかしいんじゃない?」
身も蓋もない言い方をするのは夕霧の方もだった。それを言っちゃあおしめえよ、である。だが北条の方は一切こたえた様子もない。
「夕霧さん、難しく考える必要はないわ。今大事なのは部活をどうするかでしょう。ヒロインがどうじゃない」
「それはそうだけど」
「貴方がヒロインという立場を許容するだけで充分な勉強時間を確保できる……そうよね?」
「う……」
随分強引に夕霧を勧誘し始めた北条だが、やけくそになったというわけでは無さそうだ。どちらかと言えば詰みに掛かっている、指先がプルプル震えてる感じ。
この会話の中で夕霧の性格を読み取り、目の前にニンジンを垂らして説き伏せるというのが有効と判断したのかもしれない。
「……青海はどうすんの」
「ヒロインなんてぜってぇやだ」
「強情ね。今更失うものなんてないじゃない」
「お前が言う!? 俺から平穏を奪っていったくせに!」
「いずれバレてたわよ、あんな変装にもならないような変装。今日だってほら、メガネを外しただけでこの有様よ」
夕霧は鞄から取り出したタブレットを操作し、ある画面を見せてくる。質素で簡易、オーソドックスな昔ながらのレイアウトの掲示板サイトだった。
「なにこれ?」
「うちの高校の裏サイト」
「裏サイトぉ?」
「全然隠れてないけどね。ほら、ここを見て」
「な、なんだこれ……」
そこには1年A組には二人の女神がいるなんて記述が……。
「『窓際の二人、仲睦まじくて尊い』、『何か新しい世界に目覚めそう』、『嘘みたいだろ? 片方男なんだぜ』、『ぶっちゃけどっちもイケる』……」
「読み上げるな! 読み上げるなぁ!」
「これ明らかにあんたらよね」
「私が推測するに、メガネを失った結果、髪が靡いてたまに見える目が魅力を倍増させてると思うのよ。パンチラならぬガンチラね。二次元でも片目を隠したキャラってなんか人気になりがちじゃない?」
「知らねぇよぉ……」
地獄から天国、天国から地獄。
花占いじゃないんだぞ、もっと段階あるだろ!
「ねぇ青海君。もう無駄な抵抗はやめて楽になりましょう。無駄なことをし続けても疲れるだけよ? 楽になりたいでしょう?」
「くっ……そんな甘い言葉に……」
「青海、あたしが言うのもアレだけど、ここは一旦認めた方がいいと思うわ。冷静に考えてみなさいよ。今のあんたがどこか別の部活に入ったら、北条さん以上に男の娘として祭り上げてくるわよ」
さあっ、と顔から血の気が引いていくのを感じた。夕霧の言うことはもっともだ。掲示板での謎の盛り上がり……投稿内容を振り返ると北条とセットで扱われているような気がする。北条とセットだからこそ遠巻きな評価で済んでいる気がする。
これが一人になったら……。
「『なぁ、青海。お前本当に男なのか? 男ならアソコ、見せてみろよ』」
「ひいっ!」
「なーんて、言われちゃうかもしれないわね」
ケラケラと笑う北条。だが、あながち全く有り得なくないかもしれない。というか過去にもそういう輩はいたし。俺の息子は見世物にされるためにいるんじゃないぞ……。
「大丈夫よ。青海君がヒロイン……いえ、ヒロイン候補になってくれるのなら、そういう輩からは私が守ってあげる。私達が充実した楽しいラブコメライフを送るためにも貴方の存在は必要だもの」
絶望の底で垂らされた一本の希望の糸。俺はそれを確かに感じていた。北条は凄い奴だ。中学時代大人相手にも一切遠慮も躊躇もなく活躍を見せていたことを思い出す。
彼女が味方なら俺にも希望があるかもしれない。勿論彼女がその輩どもと同じ属性を持っていないとも言い切れないが……少なくとも、ただ否定して見放されるよりは……。
「……分かった。候補、なら」
(堕ちた)
(堕ちたわね)
何か二人の心の声が聞こえた気がするが、それは気にしないことにした。
考えてもみろ、俺は顔がどうであれ中身は普通の男の子。男の主人公相手に恋などするわけもない。無理なものは無理だ。
強い意志を持っていれば大丈夫。そうともさ。
俺はそう自分を鼓舞しつつ、北条の部に身を置くことに決めた。
主人公不在のまま始まろうとしている北条プロデュースのラブコメワールドに。