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第三話 潜入、阿喜多椎音の家

ここまで来たらもう引けない。ジョーノ・チッカーツヤは、鍛え上げた脚力とローラースケートで一人の漫画家を抱っこして颯爽と駆けだした。


「来てしまった…」


 ここは二階建てマンション。屋根付きで所々に(つる)が巻き付けられていた。長い間放置されたのだろう。塗装が()がれ落ち、鉄骨が見える部位もあった。まさかあの人気漫画家がこんな家に住んでいたなんて…漫画家【阿喜(あき)多椎音(たしいね)】をお姫様抱っこしたまま、帰国子女はおんぼろマンションの玄関口からゆっくりと眺望していた。

ジョーノ・チッカーツヤ。遥々地球の裏側まで来た彼女は、夫の愛を途中から満足に受けられず、夫が(ほとん)どの時間を阿喜多椎音のとある漫画に注いでいたことに、酷くプライドが傷つけられた。

そして夫の死を境にジョーノはここまで来た。ひょんなことからアシスタントになってしまったが、まあ衝動を抑えられなかったのだからしょうがない。だってあの漫画家は夫の一番好きなキャラクターを「飽きた」という理由で殺そうとしたのだ。それを見過ごすなんて出来るはずがない。

阿喜多椎音こそ私から夫の愛を奪い取った大敵。本当に夫が愛するに足る漫画を描いた人物かどうかを見極めるため、今こうして阿喜多椎音の家の前に立っているのだ。もし(ろく)な事がなかったらすぐに帰ればいい。…そうだ。アシスタントはあくまであの場の空気を切り抜けるためのデタラメ。あの編集の人は可愛そうだが、後で謝ろう。素人同然の一般人(わたし)が、そんな大変な任務を熟せるなんて思い上がりも(はなは)だしい。ジョーノはそう思うことにして、半壊状態の玄関口を気にしつつも、無事敷地内に入ることができた。


最初にジョーノの目に飛び込んだのは看板だった。大木を切って建てられた半円状の看板…のようだが、中央の板に太ペンで鋭角文字が書かれた。


「ぼっち御用達住居…?」


 不思議な文字。日本人はこれを上手いというのだろうか。ジョーノは戸惑いと関心を示していると、その声を聴きつけたのか、玄関口に一番近いドアがいきなり開いた。そこから二メートルを優に超える大男が飛び出したかと思えば、玄関口の方を勢いよく振り返る。ジョーノは「へ?」と間抜けな驚き顔を見せると、大男はジョーノの顔を直視した途端、パアッと顔を満面の笑みに変え、ジョーノの目の前まで一瞬のうちに移動した。ジョーノの身長を超える二・五メートル級の巨体。そして魚の(うろこ)のようなロングヘアーに鱈子(たらこ)(くちびる)の彼が笑顔で、大きな目に大粒の涙を浮かべて感嘆の声を上げた。


「よく来た! 入居者三人目!」

「…え? …いえ! ちが」

「有難う! もうここ何年も人が来ないから(あきら)めかけた所なんだ! お嬢さん、名前は?」


 とにかくうるさい。とにかく熱い。彼は大仰に手を振りながらジョーノに熱視線を送るが、住居人の椎音に一切見向きもしない。どれほど待ち望んでいたのだろう…男はどんどん距離を詰めていく。ジョーノは男の威圧に気圧(けお)されそうになるが、今は一刻も早く阿喜多椎音の部屋に行きたいという気持ちが、ジョーノの心を(たぎ)らせた。


「私はジョーノと申します。…では!」

「え? どこに行くの? まず契約…いやそれよりも下見からでしょ?」

「! …私はこの阿喜多椎音様の知人です! 入居する気はありません!」

「え…」


 ガーンっと男は意気消沈とばかりに両肩を八の字に(かたむ)いた。ジョーノは申し訳ない思いでいっぱいだったが、一刻の猶予(ゆうよ)もないことから彼に対する同情をこの場に限り切り捨てた。そして大男をすらりと横目で避けると、すぐ目の前の()びた階段を駆け上がっていった。


「ここですね…」


 階段を上がって二つ飛ばした一番奥の部屋。どうやら001号室が阿喜多椎音の家らしい。編集担当コウヘイから借りた鍵で、ドアノブにぶら下がっていた錠前を開錠する。がちゃがちゃ――ぎぃいいいっという音と共にドアが開かれる。ジョーノはドアが完全に開かれる前にさっさと椎音の家にあがりこんだ。


「ふう…」


 椎音を抱いたままでは靴は脱げない。ジョーノはとりあえず椎音を玄関の横に寝かせてから靴を脱ぎ、再び椎音の両脇(りょうわき)(から)めて、引きずるようにして寝室らしき場所を目指す。玄関を超えるとまず長い廊下が待ち構えていた。電気をつける時間も惜しい。ジョーノは焦りのあまり冷静さを欠いていた。椎音を起こさないようにゆっくりと暗い廊下を進んでいくと、空気中に(ただよ)(ほこり)がジョーノの目と鼻孔(びこう)(くすぐ)る。思わずくしゃみをしたくなったが必死に我慢して、灰色の空気を突き進んでいった。


「ここが…寝室…?」


 廊下を慎重に耳を澄まして進んでいくと、曲がることなく最奥に到着してしまった。もしここが寝室でない場合、また移動しなくてはならない。その間に椎音が起きてしまえばジ・エンド。何故どうして俺を寝室で寝かせていないかと問い詰められてしまうだろう。ジョーノは息を飲んで、寝室らしき部屋を忍び歩きで進んでく。

 覚悟を決めて電気をつけると、目に映ったのは八畳ほどの部屋であり、机が斜めに傾いた(いびつ)な机がひっそりと部屋の隅に置かれていた。その対角線上に幾つもの棚が壁一面にびっしりと敷き詰められ、図鑑や写真集などが隙間なく並べられていた。残りの角には一人用の毛布が無造作に敷かれていた。もしや…ここは――


「俺の部屋で何している?」

「!」


 それはジョーノの声ではない。低い恨みにも似た声音。ジョーノの腕で抱えられていた阿喜多椎音の声であった。




「で、説明を聞かせてやる。簡潔に述べよ」

「はい…」


 正座する大人二人。一人は背の高いスーツ姿の(すい)(ぎょく)(いろ)の髪・前のみ黒髪の眼鏡の女性。もう一方はぼさぼさ髪で目の下に(くま)がある半纏(はんてん)姿(すがた)の男性。どちらも二十代は超えているが、ジョーノの方が四、五歳年上である。部屋に灯る光りはカーテンのない窓に映る日光にかき消され、二人の黒が畳を染める。ジョーノは一体この状況をどう説明すればいいのかを必死に頭を掻き回した。編集担当コウヘイが一時間前にやったこと。それが今こうしてジョーノに交代するようにバトンが渡ってきたのだ。

 ジョーノは嘘を付くのが嫌いだ。もうこれ以上嘘を並べ続ける事は、もうしたくない。そうだ。正直に話そう。…正直に――


「…おい、何とか言ったら」

「夫は漫画が好きでした」

「え?」

「あなたの『だぢづDEAD』が好きで、もっと言えば主人公の…え…っと」

「デッドウ」

「そう! そのキャラが大好きだと耳がタツコさんになるまで言ってました」

「耳に(たこ)ができるまで…っで?」


 一体何を言っているのか。椎音は要領を得ないジョーノの話に沸々(ふつふつ)と怒りが()き上がり、付いていた(ほお)(づえ)胡坐(あぐら)(あし)に揺らされる。ジョーノにとっても簡潔に伝えようとしているのだが…


「とにかく! 夫が愛していた主人公を死なしてしまうなんて…私のプライドが許せないんです!」

「…は?」


 そしてついに胸につっかえていた言葉を言い放ったジョーノの言葉に、椎音の思考がピタリと止まった。


「だから何を言っているんだ! 話が全く見えてこない」

「私を無視して! 最後の最後まであなたの漫画に熱中していた夫が! あなたが許せない! …だから私とデッドウは戦わなくてはいけないのです。夫の愛を真に受けるのは誰かを! だからあなたに水を差してほしくないのです!」


 高らかに指を椎音に突き立てるジョーノ。場の空気が一気に硬直していく。だがジョーノは積もり積もった(かたまり)が口から全て吐き出されたような達成感に、ホッと肩の荷が下りた。椎音は(いぶか)しげに顔を(のぞ)かせながら一言。至極冷静にこう述べた。


「で? もし俺が死なせなかったとして、お前とデッドウはどうやって戦うんだ?」

「え…?」

「そして。それを誰が審査するんだ? お前の夫は今どこにいる?」

「それは…」


 椎音が付きだした全うな意見に、ジョーノは完全に説き伏せられてしまった。返す言葉も見つからない。ぴり…。ジョーノの足が(しび)れ始めてきた。集中が散漫していく。だがここで引けば、今まで自分がやってきたことが否定される…ジョーノは(くちびる)を悔しさのあまり噛み締めた。


 ――――その時、椎音の背後のドアが豪快に開かれた。ドアの向こうから大音量の声が流れ出る。


「感動した! 阿喜多先生、ジョーノさん、あなた達が描いたあの漫画が大反響を呼んでいます。社内が大慌てで対応に追われています。…阿喜多先生お願いします。少しの間だけジョーノさんを専属アシスタントとして雇ってくれませんか? きっとあの【大久保(おおくぼ)四歩(しあゆみ)】先生に勝てるかもしれませんよ?」

「!」


 編集担当コウヘイの言葉に、椎音の心が激震した。大久保四歩とはいったい何者なのか…さっきまでの表情の違いにジョーノは悔しさを(にじ)ませながらも、コウヘイの演説に聞き入った。椎音は視線を下方に向け、(しば)し熟考した。その後、首を左右に振って答える。


「駄目だ。…もしそうだとしても…俺一人じゃ、あいつに勝てないといっているのと同じ」

「だとしても勝ちたいでしょう? あの憎き大久保四歩を!」

「! う~ん――」


 ジョーノとの話を忘れ、椎音のマインドは揺れ続ける。大久保四歩。週刊少年ダンプの大人気漫画家であり、椎音を絶望の(ふち)に堕とした憎き敵。ずっと負け続け、中堅レベルで満足しようと(あきら)めかけていた椎音の目に、ふと火が灯った。だがそれは椎音にとって反則行為に等しい。ニ対一で大久保四歩に勝とうだなんて…


(…でも)


 それ以上に椎音の闘争心は「勝ちたい!」という想いが(あふ)れ出す。何時までこうしてあいつの下にいるつもりだ? あいつに勝つために漫画を描き続けているんじゃないのか俺?  自問自答を繰り返すうち、椎音が出した結論は…


「駄目だ…。俺は一人で――」

「私やります! その大久保なんとか先生を私と、(椎音の両肩を後ろから掴んで)阿喜多先生で倒して見せます!」

「おおっ! ジョーノさん…」

「いや勝手に」

(しず)()公平(こうへい)! 責任を持ってジョーノさんをアシスタントに任命することを誓います! では! 本社で編集長を説得してきます」

「話を」

「では!」

――ガチャン


 …。台風が去った。そして椎音の肩は揺れていた。緊張と興奮が入り混じったような震えがジョーノの手から伝わっていく。椎音が上を見上げると、ジョーノ顔が汗でびっしょり()れていた。視線はコウヘイがいた場所へ注がれ、コウヘイが去った今もずっと向けられている。…だが、椎音はそれよりも、そんなことよりも一番気になることがあった。


「何だ…この美人」


 今まではっきりと人の姿を、顔をまじまじと見たことがなかった椎音は、初めてジョーノの顔を凝視した。その顔は他の何よりも美しく、何よりも気高い存在に見えた。…後良い匂いがした。

 椎音とジョーノの舞台は整った。…いやまだか?

 というわけで三話ご覧いただきありがとうございました。堅物椎音に熱きジョーノ魂がどこまで走ることが出来るか。コウヘイがそんな二人をどう応援するのか…今回登場した漫画家大久保四歩(おおくぼしあゆむ)の正体は? 描く漫画とはいかに…次回に続く。P.S 大男の嫁現る?

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