第十二話 性に振り回される者
漫画家・阿喜多椎音は、自分の所為でジョーノの服を汚してしまったことを悔いて(一部曲解)、急ぎ洋服やを探すこととなった。
『世界一旨いcoffee』。五月雨町唯一の喫茶店であり、店員兼店長蛍宮博麗は、今しがた漫画家・阿喜多椎音に新作コーヒーをまずいと言わせた破滅的バリスタである。それゆえに店の入口に『アルバイト大大大募集中! 時給10000円』の張り紙を張っているにもかかわらず、誰一人店に来る者はいない。椎音くらいである。
博麗は溜息を吐いて、椎音が去り際に置いて行った千円札を取ろうとした。その時、受付の台越しに何か光るものが見えた。
(何でございましょうか…? まさか宝石!?)
椎音が実は爬虫類盛りコーヒーを気に入って置いていったのかも、と思ったが違った。よくよく見てみると、それは床面に置かれており、それはまるで…
「貝…?」
小さな金色に輝く貝のネックレスのようだ。博麗がそれを取ると、不意に貝の蓋が開いた。二枚貝を繋ぐ金属の発条はもう緩くなっていたのだろう。貝の内部は上が蓋の役割になっており、下には写真が飾られていた。
「これは…」
博麗はその写真を見た瞬間、ふと脳に電気が走ったような感覚に襲われた。昔の記憶が少しずつ甦ってくる。……そして、ある記憶の一部分を思い出した時、博麗は写真に写る人物をもう一度確かめ、確信した。
「やはりあなたが――お久しい限りです…オットンさん」
博麗は懐かしさと侘しさが入り混じった声で呟いた。そして貝を優しく包み込んだまま目を閉じ、散らばった思い出に浸るのだった。
時計の短針が七時を過ぎた頃。ここは五月雨町の某五階建て団地ビル最上階。
「ん~…俺、本当に女なんかな…?」
洗面台の鏡の前で一人、全裸のまま、下腹部を鏡越しで眉を顰めながら確かめていた。男なら誰しも持っているであろうそれは、確かにそこにはあった。だが医者がつい最近になってこう言った。
――あ。これ――でっかい疣ですね…。いやあ~。殆ど男性器と変わらなくて確かめなかったですね。
と、藪医者が漸く少年が少女であると気づいた時には、既に十年の歳月が経っていたのだった。見た目はまだ育ち盛りの男子であり、決して女の子っぽいと呼べるものなどない。…そう自負して生きてきた。がしかし、十六夜水気・十才は衝撃的真実から三日たった今尚信じられずにいた
「こんなでっかい疣があってたまるか!」
思わず大声を上げる水気。人生でなんの疑いもなく触れてきたものは、今ではまるで自分のものではない何かに見えてくるようになった。そして、ふとこう思った。
「ちょん切るのかな? …もしかしたら」
そう思うようになっていた。こいつのせいで自分は十年間も騙されたのだ。当然だろう……だがいざ切るなんてことになったら…と考えると、水気は思わず「嫌だ!」と心の中で叫んだ。まだ女として生きていくことができない水気にとって、唯一の男の象徴である疣を切る。それは即ち男であることをやめるということ。まだ真実を知って数日しか経っていない今、まだ男で居たいという気持ちはおかしいだろうか?
水気は自問自答を繰り返しながら、とりあえず両親がもし疣をちょん切ろうとするなら、絶対に阻止しようと心に決めたのであった。
ふと洗面台横の目覚まし時計を見る。もう七時十五分を過ぎていた。
「やべ! 大気との約束過ぎちまった!」
昨日、七時に公園で遊ぶ約束をしていた水気は、手早く近くの服を着替えると、虫取り網と虫取りかごを持って、帽子を被って玄関のドアを勢いよく開け放った。
「先生。…ここが洋服屋さんですか…?」
「ああ」
椎音とそのアシスタント、ジョーノ・チッカーツヤが着いた先は、『108』と書かれた看板が中央上部に立てかけられた、見た目からして明らかに古びたビルであった。所々に蔦が巻き付き、ガラスも大部分が割れている。それどころか骨組みの部分も見える。…というかそれ以前に、
「本当にここで経営しているのでしょうか? 明らかに廃墟といった雰囲気にみえます」
エメラルド髪の眼鏡美女・ジョーノは、半信半疑でビルを見まわすが、入り口と呼べる場所は確かに中央に見える。しかし入り口のガラス窓が全部壊れ、ガラス片が周りに飛び散っている。こんな入り口で客が来ることはまずないだろう。
ジョーノはじっくりとビルの現状を考えていると、椎音は何の前触れもなく動き出した。
「…って、ちょっと先生!?」
「ん? 何してる。こっち来い」
椎音は、ジョーノの慌てふためく姿に見向きもせずに、ぐんぐんと入り口の方へ近づいていく。ジョーノも考えるのを一旦止めて、椎音の後を急いで付いて行った。今度は手を繋いではくれないようだ。
入り口周辺に散らばったガラス片の前まで来た椎音は、不意に蹲った。少しするとカチャカチャッと固い者同士がぶつかる音が聴こえる。ジョーノが不思議そうに椎音のアルマジロのように丸まった背中を眺めていると、椎音の足元から「ガチャ」と大きな音が聴こえた。そして椎音は、ジョーノの方に振り向いてこう言った。
「開いたぞ。ほらこっち」
「え…ええ?」
未だ理解できないジョーノに、漸く椎音が手を伸ばしてきた。今まさにジョーノの腕を掴もうとした、その時。ジョーノの背後から甲高い声が聞こえた。
「おい! 俺の秘密基地で何してるー!」
聞いたことのある子供の声が、ジョーノと椎音の耳を瞬く間に支配した。椎音は大きな溜息を付いて、ジョーノと一緒に後ろを向いた。現れたのは、虫取りかごと虫取り網を手にした大気だった。大気はどーんとこちらに指を差して続けた。
「ここは今から俺と水気が虫捕りするんだ!」
大気はジーっと椎音を睨みつける。が、椎音はすぐに大気から視線をコンクリートの地面に戻すと、手を地面に乗せた。「カチャリ」と音を立て、勢いよく引き上げると、四角いコンクリートの薄い蓋が開け放たれた。ジョーノは声を失うほど驚き、大気は「ああ」と納得した素振りを見せた。
「これは…」
「なあんだ。そっちか…んじゃあ、予定通り俺と水気で……」
と大気が隣にいて当然の水気の方に振り向くが、そこにはまだ水気の姿はない。約束の時間になっても水気は来ていないのだ。大気は大きく息を吸うと、大きな声で叫んだ。
「おーい! 水気―!」
「…おーい!」
一発目で水気の声が遠くから聴こえると、大気の顔が晴れやかになって駆けだした。…と、少しして大気が吃驚した顔で水気を見つめた。暫くして水気も大気の目の前まで辿り着くと、全力で走っていたのか体中から汗が流れて出していた。もうヘトヘトだった。荒い息で上半身を倒す。そして息を整えると、もう一度大気の方を向いて、こう言った。
「どうしたんだよ? そんな変な顔して…。顔赤いぞ?」
「え…っといや――その――」
「?」
大気は水気の姿をまともに見れず、チラチラと水気を見ては顔を真っ赤にさせてくる。水気は大気の気持ちの悪い視線に耐え兼ね、漸く自分の服に目をやると…
「あ」
自分がピンクの花柄ワンピースと麦わら帽子を着ていることに気が付いた。水気の顔も大気のように赤く染まって、あわあわと狼狽を始めるが、後の祭り。そこに着替えなどなく、家に戻るにはもう一度三十分程歩かなくてはいけない。走ったとしても五分減るだけだ。水気は恥ずかしさマックスになったのか、すぐに蹲って可愛いワンピース姿を隠した。麦わら帽子の鍔が大きいお陰で、結構な面積を隠せたが、大気はしっかりと水気のあの姿を記憶しただろう。まじまじと水気を凝視しながら思わず呟いた。
「可愛すぎだろ…お前」
その言葉が水気の動揺をさらに加速させた。嬉しくもなんともないはずなのに、なぜ体がこんなにも熱くなるのだろう。恥ずかしさではないこの気持ちは…もしかしたら――と、水気が自分の素直な気持ちに気づき始めた時、前方から女性の声がした。
「すっごく可愛いですね、水気さん!」
その透き通るような美声に、水気はすぐにその声が昨日出逢った女性であることに気が付いた。だが言うが早いか、ジョーノはいつの間にか椎音の手を振りほどいて、水気のすぐ傍まで近づいていた。水気と同じ目線まで屈んで、輝かく太陽の笑みで水気を眺めている。水気はこんなに近くで美人を見るのが恥ずかしくて、麦わら帽子を更に目深に被ろうとする。が、ジョーノは水気の手を握ると、遠くの椎音に聞こえるようにこう叫んだ。
「先生!」
「ってお前なに」
「水気さんも連れて行っていいですか? 地下にあるんですよね? 洋服屋さん」
「は? 何言って」
「水気さんにもっといろいろな服を着させたいんです!」
「聞いてんのか! ミドリガミ女!」
水気はジョーノの口から出た意味不明な言葉を真っ向から反対するが、もう遅い。ジョーノの好奇心の前では、どんな相手もジョーノの腕力に平伏すしかないのだった…。
そして椎音も…
「え…まあいいけど」
「お前まで!?」
「お前じゃない先生と呼べ」
「俺は大気と遊ぶか…」
「お前らも来い」
水気の必死の抵抗も椎音には響かない。水気は最後の砦にして唯一の親友・大気に視線を向け助けを求めた。
「大気も何ボーっと突っ立ってんだ。何か言えよ!」
だが、大気は水気の目をチラリと見ると、少し声を小さくしてこう答えた。
「い、いいんじゃねえか? 俺も見たいし――」
「え…???」
「そうですよね。では一緒に参りましょう!」
「えっ! ちょっと!? 誰かーー!」
誰も止める者もいなくなった廃墟のビル前にて。元少年・十六夜水気の儚い叫びは誰の耳にも届くことなく、ミドリガミ女に連れられ、地下へと続く正方形の薄い蓋の中へ消えて行った。
現時刻七時四十分。ネーム回収の時刻まで残り四時間二十分。
大気水気再登場。二人の関係は、性の変化を前にどう変わっていくのか…そして椎音は無事にジョーノの新しい服を買えるのだろうか。そもそも管理人・覇ナからもらったジョーノの服は一体どうなってしまうのか…。ひとまずクリーニングに出せば…っとそれ以上は、本編で…では次回。椎音はクリーニングという言葉を思い出すことが出来るか…?
というわけでいざ遊戯王デュエリスト編を買いに行ってきます! では!、