第八話 別世界へようこそ
女子高生のサラに、サラの右手に装着された海獺の人形。二つに一組のコンビは、ジョーノを目の前に、一体どう展開する…?
翠玉の後ろ髪に黒い前髪を靡かせ、登山に似つかわしくない仕事用のスーツを着たジョーノ・チッカーツヤは、目の前に広がる光景に心奪われていた。先ほどまで漫画家・阿喜多椎音がそそくさと森の中を歩いていく中、ジョーノは必死に後を付くため草花を退かし続けた。だが椎音の歩くスピードが速すぎて、いつしか椎音の背中すら見えなくなり、意識が猛暑の中でじわじわと磨り減っていくのを感じた。ついにジョーノの手足は限界に達し、今掴んでいる茎で全ての力を使い切るだろう。そう覚悟して最後の力で振り払った。
ぶわ…っ。疲労困憊の中、前方から溜まっていた冷気が一気にジョーノの顔に体を通り抜ける。ジョーノは何事かと視線を前方に向けると、無意識に呼吸を止めた。
鬱蒼と生い茂っていた森に、1アールほどの綺麗に開放された空間。そして中心部には石を隔てた泉が湧き出ていた。チョロチョロと崖の隙間から幾本の水滴が集まり、石造りの器が水で一杯になっていた。その泉から広がるマイナスイオンは、ジョーノの熱くなっていた体を包み込むように冷やしていくのを感じる。
「あ…」
バタ…っと、ジョーノはあまりの急激な体温変化に、思わず膝が地面に着いた。頭上からは蒸気機関車のように煙が抜けていくように蒸発していく。ジョーノは目を閉じて顔を上げる。このひんやりとした涼しい風は、どこか昔の記憶を思い起こすようだ。…そう、あれは夫と出会う前の…
「お…なんだお前?」
「! …ジョーノ…チッカツーヤ…と申し……ドデンッ!」
「おいおいおい!? 何だよいきなり!」
ジョーノはどこからともなく聞こえる声に無事応対した。かに見えたのだが、熱く火照りきった体が一気に冷やされ、更には沢山歩いた結果疲れが限界を超えたのか、そのまま緑の絨毯に沈んだ。
「…あれ? あいつは…」
その頃、椎音はいつの間にか経廼経慕之森を通り過ぎ、反対側の『未踏鷺町』まで歩いていた。ジョーノ含め普通の人間にはどう見ても超早歩きなのだが、椎音本人にその自覚は全くない。早く観光案内終わらないかな~と考えながら歩いていた結果が、ジョーノ行方不明という事実であった。椎音はまさかと思い、歩いた先を必死に目を凝らしてみるが、ジョーノの姿はない。実は自分より先を言っているのではと思ったが、当然見つからない。
ここ未踏鷺町も、経廼経慕之森との間に立ち入り禁止の看板が置いてある。この町の住人はそれをしっかりと守っているため、椎音の周囲には人の気配はない。
「迷子かよ…くそっ!」
椎音は自分が超早歩きをしたせいだとは露知らず、激しく苛立ちながら元来た道を戻り始めた。あるはずもない気配が椎音の背後に潜んでいるとも知らずに…
何でしょうか…この薄く浅い、冷たくない水に浸っているような感覚は…頭の中は真っ白で…一体ここは――
――カーツヤ…君には本当にすまないと思っている。
その声はオットン? …そんなことありません。私はあなたのお陰で生きることの素晴らしさを知りました。
――老い先短い私の旅路に最期まで付き合ってくれたこと。本当に感謝している。
私こそ…あなたの妻となり、お傍に最期の最期までいられたこと、一生忘れません。
――だが…だがしかし…
え? 何でしょうか…
――だぢづDEADを最期まで見れないことが悔しい!
…な――
「なんでやねん(母国語で)!」
「うお!」
バサ…ドサ…。謎の奇声を上げ飛び起きるジョーノに、ビックリして尻餅を付く少女。二人は意識がはっきりすると同時に、お互いを確認した後、ハッと我に返った。そしてすぐさまジョーノは俊敏な動作で土下座し、少女も勢いよくファイティングポーズを取った。
「ごめんなさい! いきなり…」
「お! やるかー! 来いよ変な髪の変な奴!」
「「……え――?」」
互いに何かを勘違いしていたらしい。少し落ち着いた後、ジョーノと少女は向かい合うように正座すると、まずはこう切り出した。
「私はジョーノ・チッカーツヤと申します。諸事情で漫画のアシスタントの仕事をすることになりました」
「俺は…サラ。滝川サラスティアっていうんだけど…俺この名前あんまし気に入ってないんだよな…」
「どうしてですか?」
「うーん、他人が勝手に付けられてさ…もっとこう…乙女チックな名前がよかったな~って」
「そうなのか…」
と、サラの右手に付けられた海獺の指人形が勝手に割り込んできた。
「拙者は結構気に入っていたんだが…残念だ」
「! し…ししょーが言うなら、俺めっちゃ気に入ってるぞ!」
サラは自身がししょーと呼ぶ人形の言葉に、先ほどの発言とは全く逆の答えを発した。ジョーノはそんなサラを見て何か訳ありの事情があるだろうかと思い、話題を変えることにした。
「あの…変な髪というのはどういうことでしょうか…」
「ん? そりゃあそんな綺麗な緑の髪した人間なんて見たことないからなぁ」
「…そうですか?」
ジョーノはサラの正直な意見に、不思議そうな顔をした。ジョーノにとってこの髪は三十年近く共にしてきた大切な体の一部である。そもそも夫に出会う前も、夫と一緒にいた間もそんなこと言われたことがなかった。サラの発言に海獺は、コツンとサラの頭に拳をぶつけてこう言った。
「全く…お主の発言はいちいち正直すぎる。もう少し相手を慮ってだな…」
「お…もん? ししょー、難しい言葉言われても解りません」
サラとししょーはまるで教師と生徒のようだ。だがししょーはサラが動かす指人形で同一人物。これは一体どういう状況なのだろうか…と、ジョーノはマイナスイオンでサッパリしてきた頭を働かせた。サラという少女はこの国でいう女子高生専用の服を着ていて、本当の生徒に見える。
「あの…サラさんはどこかの学校に所属しているのですカ?」
「へ…?」
チラリとししょーをチラ見するサラ。だがししょーは首を横に振って否定した。
「残念だがこれはまあ…借りものだ。確かに本当にこの子には学校に行って色んなことを学んでもらった方がいいのかもしれない…」
「嫌です! ししょーから何人たりとも離れたくないです!」
サラは自分の右手を愛おしく泣きじゃくりながら抱き締める。何とも言い難いその光景を前に、ジョーノは自分の火照っていた体が元の体温に戻ったことを感じ取った。目の前に流れる泉のお陰で、ジョーノはこうして大事に至らずに過ごしている。後は体力だ。ジョーノは泉の方を向いてこう言った。
「すみません。少し喉が渇いたので…」
「あ、あの泉はやめておいた方がいい」
「え…どうしてですか?」
ジョーノは海獺の言葉に首を傾げると、サラが説明を始めた。
「その泉は一口飲めばすっごい力が湧いてくる代わりに、その晩に死ぬんだ」
「え…」
「そんで俺達はその泉を封印するためにここに来たんだ」
「…」
嘘か真か。ジョーノは真偽を問う以前にサラの顔に嘘の色はない。横の海獺を見ても…人形なので無機質の顔だった。あの泉が本当にそんな恐ろしい効力があるのかは分からない。だがそれを聞いて、おいそれと飲むわけにはいかない。が…
「喉が渇いてしまって…どうしたらいいか」
「おおそれか。だったらちょっと待ってろよ」
と、サラは言うが早いか自分の頭の飾りを外して、掌の上に置いた。一ミリくらいの小さな白い皿…のように見えるが、彼女はそれをどうするのだろうかとジョーノは目を見開いてジーっと見つめる。ししょーはというと、サラの行動を察したようで無言で見守っている。
サラは手のひらに置かれた小さなお皿を同じ目線まで上げると、吹き飛ばされないようにゆっくりと息を吹きかける。フーっと一定のリズムで…。サラの吐く息は最初透明だったが、次第に白い霜が次々と生まれたかと思えば、小皿の方は見る見るうちに大きくなっていき、皿の上にはぐんぐんと霜が水滴となってぽちゃりと落ちる。ししょーは半信半疑で見つめるジョーノを見て、淡々と説明を始めた。
「サラは河童妖怪だ。サラだけが持つ『小皿大器』は、名前の通り大小様々な大きさに変えられる皿だ。周囲の水の形を変えられるサラと合わされば、こうしてどこからともなく水を汲むことが出来る」
「はえ…凄いです…」
ジョーノは我が子のように誇らしげに語るししょーを聞きながら、目をキラキラさせて水が増えていくのを見ていた。河童妖怪の説明も聞きたかったが、それよりも目の前に広がる奇跡に目が離せなかった。
サラの魔法を見ていると、ジョーノが昔、母の素早い包丁捌きを見ていた頃を思い出す。あれは本当に凄かった。ジョーノも本当にあんな凄い技を会得できるのかと母に訊いてみたが、母は笑って「まだ早いわよ」と困った顔で返されたのを覚えている。そしてサラは十分に溜まった水の入った大皿を持つと、ジョーノに差し伸べてこう言った。
「これくらいでいいか?」
「あ! 有難うございます。何かお礼を…!」
「お礼はいいから早く飲め!」
「はっはい!」
サラは怒った顔を見せつつも、焦りながら一気に水を口に流し込むジョーノを見て、ニコニコ笑っていた。一口飲むたびに、ジョーノの体に命が染み渡るような感覚が襲ってくる。水は命と同じなり…どこの誰かが言っていた言葉を思い出しながら、ジョーノは奇跡の水を一滴残さず飲み干すことに尽力した。
一リットルくらいあった水はまだ半分。だがジョーノのお腹はもう限界で、巨大な皿を口元から離すと、体力を取り戻したジョーノが言う。
「もう…お腹いっぱいです」
「え? まだあるぞ」
「うぷっ…」
これ以上飲めば色々と吐き出してしまうと、必死に口元を抑えるジョーノ。サラは少し不満そうな顔を見せて、ジョーノを急かす。二人を見かねたししょーは暫し考えた後、こう切り出した。
「これで元の場所に帰れるか?」
「はい…ありがとうございましたししょーさん、サラさん」
「あ。道はこいつに任せろよな」
サラは人差し指を天に伸ばすと、空から金色のカブトムシが颯爽と現れ、サラの人差指に止まった。ジョーノはボケーっと見つめていると、カブトムシはそんなジョーノに向かって一気に突進してきた。
――俺様を見るんじゃねえー!
「ひぃ!」
「おいカブト、俺の友達を困らせるな!」
ふとカブトムシを叱るサラから出た意外な言葉に、ジョーノは訝しげに質問した。
「え…? 友達…ですか?」
だがサラはへらへら笑って即座にこう返した。
「当たり前だろ。俺の皿を口にしたんだからジョーノはもう俺の友達だ。…子分の方がいいか?」
とてもまっすぐな目で返すサラに、ジョーノはふと昔の事を思い出す。友達の作り方に悩んでいたあの子供の頃、両親に助けを求めても「それはお前が考え続けることだ」と言われ、ジョーノは必死に考えた。…だが結局友達と呼べるものは現れることなく、漸く出会えたオットンも今はいない。
そう。今唯一ジョーノを友達と呼ぶ人は、サラだけだ。ジョーノは一滴の涙が頬を伝うのを忘れ、自然に笑みを零してこう言った。
「そう…ですね。あなたと私は友達です。生まれて初めての第一号目です」
ジョーノの笑顔は満天の青空の下、綺麗な満月のように光り輝いていた。
台詞が多いとやっぱり多くなりますね。まあですがいよいよ観光案内も大詰め。次回はいよいよジョーノの新居紹介編に移る…と思います。はい、多分次の次になるかも…
まあ最近アニメ鬼滅の刃の本気や銀魂漸く完結やらいろいろありますが、もうすぐモンハンのアップデード版が来月上旬に、遊戯王メイドドラゴンパックが未完成のまま、来月のエクストラパック2019…金が湯水の如く消えて行くのを感じながら、今日も財布とにらめっこしていく所存であります。では次回。