3.イケナイ理事長室
「今日もお疲れ様でした、クロさん」
会議を終え、理事長室に戻ってきた彼に、あたしはコーヒーを差し出す。
クロさんは背もたれの高い椅子に全体重を預けるようにして、たばこを咥えたまま天井を仰いでいた。
相当、疲弊していらっしゃるご様子だ。
無理もない。本性とは正反対の好青年キャラのまま講義をおこない、会議では私欲にまみれた副学長にナメた態度を取られたのだから。嘸かしストレスが溜まっていることだろう。
……自業自得じゃね?などと言う勿れ。ちゃんと『先生』やってて、あたしは偉いと思っているのだ。
「何か、あたしにできることあります?」
「…丸太持ってきて。ブタを丸焼きにするのに縛り付けるやつ」
あたしの問いかけに、クロさんが抑揚のない口調で答える。やっぱり「ブタ」って思っていたのか、副学長のこと。
「丸太は無理ですが……あ、肩でもお揉みしましょうか?」
「いらない。君、あんまり上手くなさそうだから」
なっ……
やっぱり前言撤回、全然偉くない!いくらイライラしているからって、その言い方はないでしょーが!せめて人の顔見ながら言いなさいよね!!
と、気怠げに首を逸らしたままのクロさんを睨みつけるが、
「──それよりも」
彼は身体を起こし、たばこを灰皿に押し付ける。
そして、自身の目の前にある執務机を指さして、
「ここに、座ってくれない?」
「………はい?」
「だから」
座ったまま椅子を少し後ろに引いて、真顔であたしの目を見ながら。
真っ直ぐに、言った。
「膝、貸して」
「…………」
「ていうか、太もも」
「モッ?!」
つつつ、つまり…
机に座って、膝枕させろ、ってこと……?
く、クロさんがそんな、欲望にド忠実なことを言うなんて…前代未聞だ。疲れで頭がおかしくなっているのか?
…いや、しかしこれはこれで……
久しぶりに、恋人として必要とされているみたいで、なんだか嬉しいような気も…
「…………いいですよ」
ごくっ、と唾を飲み込んでから。
あたしはパンプスを脱ぎ、クロさんの真正面…執務机の上に、向かい合うようして腰掛ける。
タイトスカートがずり上がるのを押さえながら、最後に残された羞恥心でせめて下着は見えないようにと、両のももをぴっちりと閉めて、
「……これでよろしいでしょうか、理事長先生」
目を伏せて、伺うようにそう尋ねた。
すると。
ぱふんっ。
そんな音を立てて、いつの間にか眼鏡を外したクロさんが、枕にダイブするかの如く正面から顔を太ももに着地させてきた。思わず「ひゃっ」と声を上げてしまう。
そのまましばらく彼は、何も言わずにあたしの太ももに顔を埋めて。
やがて、静かに顔を横に向けると、
「……君に『理事長先生』って呼ばれるの、悪くないから…もうちょっとだけ、がんばる」
そう、子どもみたいな口ぶりで呟くので。
不覚にも、胸の辺りがきゅうっとなってしまった。
「そ、そうですよ。副学長になんか負けないでください。理事長先生!」
「…………もっと言って」
彼は片耳をつけたまま、太ももを抱えるように両手を添えてくる。くすぐったさに、腰が引けてしまう。
夕暮れに染まる空が、部屋の窓から見えていた。もうすぐ陽が沈む。
だんだんと薄暗くなる理事長室の中で。
なんだか…イケナイことをしているようで、鼓動が耳の辺りで、煩く響く。
けれど、同時に。
膝の上に感じる体温に、愛しさが込み上げてきて。
あたしはその艶やかな黒髪に、そっと指を絡めた。
「…理事長先生。毎日毎日、本当にお疲れ様です」
「うん」
「大人な対応ができる理事長先生、かっこいいです」
「うん」
「あと、白衣姿も素敵です」
「うん」
「……一ヶ月後の舞踏会、本当にやるんですか?」
「……やる。けど、今年で終わりにする」
「……どうやって?」
あたしの問いかけに、彼は少し間を置いてから、
「材料がないわけじゃないんだ。あとは……」
つぅ…と、あたしの太ももを人差し指でなぞるようにして。
「どう、料理してやるか…だな」
吐息交じりに、そう言った。
その指の感覚に、甘い痺れを感じてしまっていたから。
あたしは、彼の言葉の意味を、深くは考えられなかった。
「……はい、充電おしまい。降りた降りた」
突然、彼はパッと離れると。
即座に眼鏡をかけ直して、あたしに「シッシッ」と手を払う。
本当にもう…マイペースなんだから。
息を吐きながら「はいはい」と言って、おとなしく机から降りる。
しかしクロさんにも、こんな風に甘えたい時があるのだと知れたことは、大きな収穫だった。
隙がなくて完璧な人だと思っていたけど…案外、弱い部分も持ち合わせているらしい。
その姿をあたしに、あたしだけに見せてくれているのなら、これほど嬉しいことはない。
まったくこの人は、どこまであたしを惹きつければ気が済むのだろう。
「他に、何かお手伝いできることはありますか?」
「いいや、大丈夫。ちょっと書類を整理したら、今日はおしまいだから。先帰ってて」
「わかりました」と返して、あたしは理事長室を出る支度をする。
この人、放っておくと平気で一食・二食抜くから…今夜もちゃんと、お城に戻ってから晩ご飯食べてくれるか心配だなぁ。
なんて思いながら、最後に一言添えようと、
「クロさん、ちゃんとお夕食…」
そう、言いかけた時。
ふいに。
彼に手首を掴まれ、身体を引き寄せられていた。
そしてそのまま、あたしの耳元に唇を近付けて、
「──ごめん。やっぱりもう一個、お願い」
低い声音で、そっと。
「…今夜、君の部屋に行くから……待ってて。いいね?」
そう、囁いた。
「…………ッ」
それって……それって、つまり……
…もしかしなくても……
バッ!と離れて、彼の顔を見る。
その表情は、今まさに沈もうとしている紫色の夕日に照らされて。
闇の中へ誘う夢魔のような、妖艶な笑みをたたえていた。
次回、何かが爆発します。お楽しみに。
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