1.氷楔の少女
氷楔 と書いて ひょうせつ と読みます。
核となる人物が登場する『魔法学院編』、スタートです。
「──精霊によりもたらされた君たちの魔法の能力は、大きく分けて二種類に分類される。一つは、白魔術。もう一つは、黒魔術」
王立エストレイア魔法学院。
その一番広い訓練教室に、白衣を羽織ったクロさんの淀みない説示の声が響き渡る。
「白魔術は…そうだな。例えば風とか、水とか、炎とか、そういった自然界に由来した能力、および治癒系のものを指す。そして、それに当てはまらないものが…黒魔術」
小気味良い筆記音を鳴らしながら、彼は黒板に流麗な字を書いてゆく。
そして、書き終えるとこちらに振り返って、
「どちらが良い・悪いということはありません。白魔術も黒魔術も、要は使い方次第です。そのためには……」
にこっ、と。
彼は、学生たちに向けて笑う。
「まず、自分自身のことをよく知ることです。自分の魔法は何ができて、逆に何ができないのか……
先ほども話しましたが、精霊は皆さんが十四歳までに感じたこと・経験したことに起因して宿主を選んでいます。
精霊と皆さんは、似ている部分があるということです。
精霊と、そして自分自身と……今一度、対話をしてみてください。それが、魔法を使いこなす上での、最初の一歩です」
「自分自身と対話……かぁ」
階段状になっている座席の、一番後ろの端っこで。
クロさんの講義を聞きながら、あたしは呟いた。
週に三日ほど、クロさんはこうして魔法学院の授業を受け持っている。今おこなわれているのは、先週入学したばかりの新入学年の授業だ。
講義が終わるまでの間、廊下でずうっと待っているのも退屈なので、あたしも見学させてもらいたいと志願をした。
と言っても、上級学年の授業は難しすぎて何が何だかさっぱりなのだけれど…
「座ったままでも良いですし、前のスペースで動いてみてもかまいません。自由に、やってみてください」
クロさんのその言葉に、生徒たちの数名が座席と教壇の間に設けられた演習スペースへと降りていく。
それにしても…毎度のことながら、見事なまでの聖職者っぷりである。このあとたばこを一気に二、三本消費して、煙と共に毒を吐くとは誰も思うまい。
と、教壇の上で善人面を貼り付けているクロさんを眺めながら思う。
それから、今しがた彼が説いた『自分自身との対話』について考えてみる。
クロ教授によれば、精霊は宿主の感性や経験に惹かれ、やってくるらしい。
あたしの精霊の能力は……人の怪我を癒すものだと、少し前までは思っていた。
けれど本当はその逆で、人の持つ再生機能を暴走させ、死に至らしめる…という、『殺すこと』に特化したものだったのだ。
「……そんなに誰かを殺したいほど憎んだことなんて、なかったけどなぁ」
精霊があたしたちの元を訪れ、契約を結ぶのは十四歳の時。
十四歳……それまでの自身の人生に、今一度思いを巡らせてみる。
父は、あたしが生まれた時には既にいなかった。母があたしを身篭った直後に亡くなったと聞いている。
周囲の反対を押し切り、駆け落ちのような状態で一緒になったらしく、あたしには祖父母や親戚もいなかった。本当に、母と二人きりの家庭だったのだ。
母は女手一つであたしを育てるため、朝から晩まで、仕事をいくつか掛け持ちして働いていた。
だから、一日の中でも一緒にいられる時間はごく限られていたのだけれど、あたしが悩んだり落ち込んだりしているとすぐに気が付いて、『何かあった?』と聞いてくれるような母親だった。
あたしはよく、この髪と眼の色のことで同級生にいじわるを言われていた。
葡萄酒みたいに真っ赤な髪と眼。珍しいこともあって、『血の色だ!』と気味悪がられたのだ。
…確かにあの時、いじめっ子たちに対して『うるさい』とか『黙れ』とか、思っていたかもしれないが、だからって『殺してやりたい』とまでは思わなかった。
そして、十二歳の時。仕事の無理が祟ったのか、母は病気にかかり、亡くなった。
それも、かなり病魔に苦しめられてから、死んでいった。
「…………」
あの時のことは、あまり思い出したくないな。
それから、身寄りがなくなったあたしは孤児院に入所し、そこで三年ほど過ごす。
十五歳になった年に突然、遠くの街の領主があたしを引き取る形で奉公先が決まった。
それも、この高い治癒能力(と思っていたもの)を見込まれてのことだったのだが。
クロさんの話を聞くまで、世の権力者たちがそんな風に、こぞって希少な精霊保持者たちを集めようとしているだなんて、想像さえしなかった。
ふと、目線を下に…教壇と座席の間の、演習スペースへと集まった学生たちに向ける。
あたしと変わらない歳の子たち。
自らの意志で、自ら志願してこの学院に入学した者は、どれくらいいるのだろう。
お家のため、さらなる身分・階級を得るために、大人たちの道具にされている子たちが、ほとんどなのではないだろうか。
「…………」
なんだか、気分悪いな。
もしかしてクロさん、本当は、そんな学院の風土を変えたくて理事長の座をぶん取ったんじゃ……
「……さすがにそれは、ないか」
はふ、と息を吐いて、学生たちが思い思いに演習をするのをぼんやり見ている……と。
──ピシピシィ…ッ!
「えっ……?!」
演習スペースに、突如として巨大なモノが出現した。学生たちの間に、どよめきが起こる。
天井に届きそうな程に高くそびえるその物体は、透明で艶があり、ゴツゴツと歪な形をしている。
これは……氷の柱…?
「……驚いたな。今のは、君が?」
クロさんがそう言いながら、演習スペースにいた学生の内の一人…氷の柱の前に立つ女の子に、歩み寄る。
「…はい、先生」
その少女は、感情の乏しい表情で振り返ると…
低い声音で、そう答えた。
凛とした雰囲気の、綺麗な子だった。
肩で切り揃えた紺青の髪。
サファイヤのような色をした、切れ長の瞳。
手足の長い、スレンダーな体型。
その落ち着いた佇まいから、周りの学生たちよりも少し大人びて見える。
「アリーシャ・スティリアムさん、だね」
クロさんが尋ねると、少女は少し目を細める。
「……理事長先生に名前を覚えていただけているなんて、光栄です」
「今、呪文の詠唱なしにやったように見えたけど」
続けて質問を投げかけるクロさんに、彼女は「ええ」と頷いてから、
「先生のおっしゃった通りに、自分自身の過去と向き合ってみたら…自然と手が動いていました」
と、やはり抑揚のない声でそう言った。
その言葉に、周りの学生たちはさらに騒めき始める。無理もない、あたしだって驚いている。
だって普通なら、宙に『署名』を記した上で呪文を唱える必要があるのだ。
『我が名はフェレンティーナ。精霊よ、契約に従い、姿を示せ』と。
そうして顕現した魔法も、素人であればほとんどが実用性のないレベルのものであるはずで。
例えば『炎』の魔法なら、マッチに灯る程度の火力。例えば『氷』なら…グラスに二、三個、小さな塊を落とす程度の……
それが、彼女は。
いきなり、呪文の詠唱もなしに、この巨大な氷の柱を生み出したのだ。
入学から僅か一週間程の少女が。
「……君、おもしろいね」
ニヤリ、と口の端を吊り上げて。
クロさんは一瞬、聖職者の面を外した笑みを浮かべた。
「すごい才能だ。ここまでコツを掴むのが早い人間は見たことがない。ただ……」
パチン。
と、クロさんが指を鳴らすと、彼女が生み出した氷の柱が黒い霧のようなものに包まれ、それに喰われるように消えてゆく。
彼の、"影"の力だ。他者の魔法を"影"に飲み込むことで、相殺することができる。
「まだまだ加減はできないようだね。人や物を傷付けかねない。教室以外では、使わないようにね」
にこりと笑うその顔は、『クローネル先生』のものに戻っていた。
氷の少女…アリーシャという名の女学生は、暫し沈黙した後に、
「……はい。気をつけます」
やはり感情の読めない表情で、そう答えた。




