5.あかいくちづけ
クロさんに手を引かれ、再び舞い戻った舞踏会の会場は……
阿鼻叫喚の巷と化していた。
天井のシャンデリアは落下し、皿やグラスは割れ、それらが乗っていたテーブルまでもが床に散乱している。
物だけではない。そこにいた人たちも怪我をしているようで、床に座ったり横になったりしたまま、動ける人間から介抱を受けていた。
さらに、向かって右手に続く大きな窓の一部が割れているのが見える。外からの風を受けたカーテンが、他人事のようにヒラヒラとたなびいていた。
「一体、何が……」
突然の事態に驚愕し、あたしは立ち尽くす。
しかしクロさんは、落ち着いた様子で会場を見回し、状況を確認していた。
先ほどの、クロさんの口ぶり…
こういった事態が起こることを、彼は予期していたのだろうか?
それとも、これは……
彼自身が、仕掛けたこと……?
「理事長!何処へ行かれていたのですか!!」
そんな声と共に、足を少し引きずるようにして近付いてきたのは、フォスカー副学長だった。
クロさんもそちらに向き直り、尋ねる。
「何があったのですか?」
「女生徒の一人が突然、魔法を暴走させたのですよ!それで、あの窓を破ってバルコニーへ飛び出して行って…」
「…え……?」
暴走した生徒が、バルコニーに…?
あたしの背中を、冷たいものが伝う。
「それで、その女生徒はまだバルコニーにいるのですか?」
「おそらく…外に出たっきり、こちらへ戻ってこないので……軍部の方々と、こちらの教授たちとで、今から様子を見に行こうとしていたところです」
それを聞いたクロさんは。
一瞬、にやりと笑って、
「僕が、その子と話をつけましょう。みなさんは、怪我人の手当てを最優先してください」
そう、高らかに言ってから。
割れた窓の方へ一直線に向かい、バルコニーへ出て行こうとするので。
あたしは慌てて、後ろから彼の手を引く。
「待って、クロさん!そっちには……バルコニーには、隊長とルナさんもいるの!」
ただ暴れた生徒の説得をするだけでは、事はすまされないかもしれない。ルナさんの身に、もしものことがあったら……
彼に秘密にしていたその事実を伝えると、
「……え。ルナもいるの?」
「は…はい」
「…………それはまずい」
彼は、急に焦った様子でバルコニーへと飛び出す。
それに続いて、あたしも割れた窓を跨いで外へと出る。
すると、そこには。
「…ベアトリーチェさん!」
床に倒れ込んだベアトリーチェさんがいた。見れば、両手と両足を氷漬けにされ、身動きが取れないようだ。
氷……?では、これをやった生徒というのは……
「申し訳ありません…わたくしとしたことが……」
凍らされている手足は赤く、顔は青白くなっている。このままだと、ベアトリーチェさんの身体が危険だ。しかし、今は……
「ルナさんは…?」
「あそこに…ルイス中将が応戦中です」
あたしは振り返り、彼女の視線の先を見る。
バルコニーの奥。
怯えた表情で小さくなっているルナさんと。
それを背に隠すようにして立ち、肩から血を流しているルイス隊長と。
二人に向き合う形で、氷の剣を構える……
アリーシャ・スティリアムさんの姿があった。
やはり、魔法を暴走させた生徒というのは、彼女…?
いや、むしろあれは…暴走と言うより……
自身で生み出したと思われる、冷たく光る剣を手にしたまま。
彼女は刺すような視線で、ルイス隊長を睨んでいた。
暴走……ではなく、明らかな意志を持って剣を構えているように見える。
「どうして…」
あたしの呟きに、重なるように。
「…どうして…お前がここにいるんだ……」
ルイス隊長が、血の滴る肩を押さえながら言う。
その口が、
「………アリス」
アリーシャさんの目を見て。
はっきりと、そう言った。
呼ばれたアリーシャさんが、ぴくりと反応する。
え……?
何故、彼女の名を…それも、愛称で……
隊長は……アリーシャさんと、面識がある…?
「……決まっている」
ぎりっ、と氷の剣を握り直し。
アリーシャさんは、暗い声音でぼそりと呟いてから、
「あなたと、この国に……復讐するためだ!!」
叫んで、剣を振りかざし、隊長たちの元へと一直線に駆け出した。
まずい!このままでは、隊長が…ルナさんが……!!
あたしが「だめ!!」と叫んだ──その時。
二人を庇うように、アリーシャさんの前に飛び出し、手を広げ。
その身体で、剣を受け止めたのは……
クロさん、だった。
青く煌めく氷の剣が、彼の腹に深々と突き刺さり。
白いタキシードを、赤く染めてゆく。
「こほっ」と小さくむせると、口の端を血が伝った。
「………うそ…」
うそだ。そんな…なんで?
なんで、クロさんが、刺されて……
なんとかしなきゃ。でも。
どうすればいい?あたしに、何ができる?
こんな時、どうすれば……
そうだ。
消してしまおう。
全部、消してしまえばいいんだった。
悲しみも、苦しみも、怒りも。
全部全部、壊してしまえばいいんだから。
消せ。壊せ。コロセ。
そんな感情に、心が支配され。
視界と意識が、ぼうっと白くなりかけた……その時。
「ぃ…いやぁぁあああっ!!」
ルナさんの叫び声が聞こえ、ハッとなる。
だめだ。この力を暴走させては。
護りたい人がいる。助けたい人がいる。
この力は、そのために使うんだ。
あたしは、右手を振るい空中に『署名』をする。指先が光り、あたしの名が闇夜に浮かび上がる。
そのまま指を、アリーシャさんに向け、
「その手を……離して!!」
叫ぶ。
すると、
「…え……あ、ああぁぁああぁぁぁあっ!!」
剣から手を離し、アリーシャさんが絶叫する。
身体を屈め、痛みに悶えるように足をふらつかせる彼女の両手は……
全ての指が、おかしな方向へと曲がっていた。
狙い通り。彼女の両手の細胞を、筋肉を、思いっきり分断して捻ってやったのだ。
これで、魔法は使えない。
……戦い方を教えてくれたゲイリー先生に、感謝しなきゃ。
アリーシャさんの集中が切れたせいか、クロさんを貫いたままだった剣と、ベアトリーチェさんを拘束していた氷が、光を放ちながら消えてゆく。
「クロさん!!」
膝から崩れ落ちるクロさんに駆け寄る。
そしてすぐに、刺された箇所に右手を当て、治癒の魔法を施す。
「クロさん……しっかりして!!」
意識はあるようだが、返事がない。目を閉じ、浅い呼吸をしている。
その間に、ベアトリーチェさんも動いていた。指を素早く振るい、魔法を発動させたかと思うと……
アリーシャさんの両手と両足に黒いものが現れ、締め付けるようにして彼女の動きを封じた。
……あれは、鉄…?
身動きを封じられ、倒れ込むアリーシャさんの前にヒールを鳴らして歩み寄り、
「お返し、ですよ」
ベアトリーチェさんは、にこりと微笑んだ。
「クロ……大丈夫か!?」
「クロード!クロード!!」
ルイス隊長とルナさんも、こちらへ駆け寄ってくる。
隊長の怪我も心配だが……クロさんの方が、重症だ。
剣が貫通した箇所の傷は、治せる。その自信はある。だが。
「血を……流しすぎている……」
怪我は治せても、血液は与えられない。
早く、早く傷を塞がなきゃ……
あたしは震えそうになるのを堪えながら、治癒を施す手のひらに全意識を集中させる。
彼の細胞が、組織が。血管が、筋肉が。みるみる内に修復されていくのがわかる。
と、
「これは……どういうことだ……」
会場内からフォスカー副学長と数名の教授たちが現れ、困惑した様子でバルコニーを見回した。
拘束されたアリーシャさん。重傷を負ったクロさん。そして、
「ルニアーナ王女…?!」
そこにいるルナさんに気が付き、一堂はどよめく。
「なんと……うちの生徒が、王女さまを手にかけようとしたということか…?!」
「違う、違うんだ!こいつは……アリスは……」
フォスカー副学長の言葉を遮り、彼女を弁護するような声をあげたのはルイス隊長だった。
やはり…彼女のことを知っているかのような口ぶりだ。
目を閉じたままのクロさんを見つめながら、考える。
何故、こんなことになったの?
アリーシャさんの動機は?
狙いはルナさん?それとも、ルイス隊長…?
そして、隊長とアリーシャさんは…どんな関係性なの…?
クロさん、あなたは……
何を……どこまで知っていたの?
手元に集中しながらも、あたしの頭の中は疑問符で埋め尽くされていく。
「と、とにかく、この女を捕らえて……」
「──待ってください」
再び、フォスカー副学長の言葉が遮られる。
しかし、その声を発したのは……
「く…クロさん!大丈夫ですか?!」
瞼を開け、ゆっくりと身体を起こしたクロさんだった。
傷は、ほとんど塞がった。しかし、明らかに血が足りていないはずだ。
「まだ、動いちゃ…!」
「あ〜、思ったより痛かったなぁ。けど……」
起き上がるのを止めようとするのを無視して。
血のついた手のひらで、あたしの頬を包むと。
──ちゅ。
静かに、優しく。
あたしの唇に、キスを落とした。
「ありがとう。最高の仕事ぶりだったよ。……惚れ直した」
固まるあたしに、優しく微笑みかけると。
「……ここからは、僕のシナリオだ」
そう、呟き。
少しふらつきながらも、なんとか立ち上がって、
「みなさん、会場へ戻りましょう。どうしてこんなことが起こったのか…説明してもらわなくちゃね。アリーシャ・スティリアム……いや」
痛みと、悔しさに顔を歪め、転がっている彼女に目を向け。
「……アリーシャ・モーエンさん?」
不敵に、笑った。




