終 鈴揺れて
夏期講習も終わり、残りの夏休みを有意義に過ごそうというある日、俺は紫苑と買い物に出かけていた。事の発端は紫苑が先日熱中症で倒れたことである。体がだるいと言っていて熱もあるようだったので、神様も熱中症になるのかと俺が驚愕していると、紫苑はそのまま倒れてしまった。炎天下できっちり着込んだ黒ずくめなのだから、いつそうなってもおかしくはなかったのだが、去年何もなかったので今年も大丈夫だろうと思っていたら全然大丈夫ではなかった。
そんなこんなで、俺は快復した紫苑を連れて夏服選びをしている。
「晃一さん、これはいかがでしょうか」
スタイルもいいし顔もいいのだから何を着ても大抵は似合う。お面さえなければ。
「それでいいんじゃないか」
店に入って試着をするという服選びの性質上、紫苑は烏天狗のお面をしていた。着て帰ります、と店員に言う紫苑は、羽型のペンダントをぶら下げ、生成のTシャツに裾を少し捲ったベージュのチノパンに茶の革靴とかいう服屋のチラシみたいな格好をしている。夏物の黒いジャケットを手に取り、店員に「こちらもお願いします」と言っていて、どうやら黒い服からは離れられないようだ。
どこから支給されているのか俺にはさっぱり分からない金で服を購入し、ご満悦の紫苑と一緒に店を出る。
「なあ、神様って給料あるの?」
「なぜです?」
「さっき、自分で買ってただろ。今までだって何回か紫苑様が買い物してるの見たことあるけど」
「ふふ、秘密です」
余計気になる返事はしないで欲しい。
元々着ていた服を入れた袋にお面も放り込んで、紫苑は翼を広げる。毎回思うことだが、一体どうやって服の背中をスルーしているのだろう。顕現した時にも服に穴は見当たらないのだが。
服と翼の関係について考えていると、いつの間にか家に辿り着いていた。
「おや、玄関に……」
玄関の前に見覚えのある女が立っていた。俺達に気が付いたのか振り向き、にこりと笑う。鈴の音が響き渡った。
「こーいち、イケメンカラス、ただいま!」
「は?」
「……ただいま、ですか?」
神楽は赤い瞳をらんらんとさせて俺達に歩み寄って来た。
「ご近所ふらふらしてみたんだけど、アタシ脚力なさ過ぎて実際の距離より遠く感じちゃうらしいのよ」
知ってる。
「で、疲れちゃったのよ。新しい居場所探すのは疲れるし面倒臭いし、居心地いいし本体もあるからまたここにお世話になるわ」
なるわ、って勝手に決められても……。
「改めてよろしくね」
とりあえず相談、と思って紫苑の方を向くが、紫苑は漆黒をぐるぐるさせて身震いしていた。こいつには悪いが、ここで神楽を追い返すのも俺の良心が痛む。
「分かった」
「えぇっ、晃一さんの人でなしっ!」
「ありがと、こーいち」
人ならざる者に囲まれた暮らしというのは、いつも新しいことばかりで飽きないものだと俺は思う。かあかあ喚く紫苑を余所に、俺は鳴り響く嬉しげな鈴の音に耳を傾けた。