悪役令嬢の姉は、脇役だと信じたかった
※後味があまり良くない作品なので、苦手な方は読まないようにしてください。
―『無色のアリス』。
それは、魔法を使う者が当たり前の世界で、たった一人、魔法を使うことの出来ない少女、アリスが、自身に秘められた過去を紐解き、世界の闇に立ち向かう、というストーリーを軸とした、恋愛アドベンチャーゲームのタイトルである。
ローゼマリーは、軽い眩暈に苛まれながら、自身の過去…否、前世の記憶を手繰り寄せていた。
彼女は元々は、普通のOLであったように思う。
特筆する所など何もないような、ごく普通の彼女は、強いて言うのであれば、少し人よりも多くの乙女ゲームを好んでプレイしていた。
かと言って、熱心なプレイヤーと言うには、時間の空いた時にぽつぽつとプレイする程度で、詰まればすぐに攻略サイトを参考にしていた為、どちらかと言えば、ライトなオタクだったのかもしれない。
『無色のアリス』は、その中でも特に気に入った乙女ゲームだった。
あまり同じような展開の続く、所謂「金太郎飴」のようなゲームを好まない彼女にとって、各キャラクターのルートに割とすぐ入り、相互に関係性を持たせながらも、全く異なる展開を見せるこのゲームは好みに一致していた。
ムービーに粗はなく、立ち絵もスチルもブレはなく、BGMはオリジナル感に富み、声もピッタリ。
夢中になってプレイして、思わず二周、いや、キャラクターによっては三周してしまったのは記憶に深く残っている。
他のゲームは概要しか言えないが、このゲームに関しては、暗唱出来るレベルでやり込んだ自信があった。
だから、すぐに気付いた。
あれは十年程昔、まだローゼマリーが十歳の頃の事であった。
魔法大国「クリアス」において代々続く貴族の家系に生まれたローゼマリーは、貴族の令嬢として、何不自由ない暮らしを送っていた。
その日は、「クリアス」の第一王子、フランツとの婚約が正式に決定し、発表される事になっていた。
それまで、一度もフランツと会った事はなかったローゼマリーだったが、貴族令嬢として当然のことである、と受け入れていた。
父に連れられた先にいたのは、自分よりも年下の、しかし意思に満ちた強い瞳をした、いかにも王子様、という外見の少年であった。
ローゼマリーは、彼がフランツであるのだとすぐに理解した。
そして、こんなに綺麗な男の子の妻になれるのなら、幸せかもしれない、と漠然と思っていた。
ただ、少しの違和感が胸を掠めていた。
それが一体なんなのか。
追求する暇もないまま、親同士の話し合いが済み、速やかにパーティーへと移行していった。
しかし、その時であった。
まさに、パーティー会場が開かれん、と言う時、ローゼマリーは倒れた。
原因不明の高熱だった。
その場は騒然とし、当然、パーティーは中止となった。
ローゼマリーは三日三晩魘された。
そして、熱が引くことなく、四日目に突入した時、ローゼマリーは、ふと、自分が前世、日本と呼ばれる国で、OLをしていた頃の記憶を取り戻した。
頭がズキズキと痛み、意識は朦朧としていた。
それでも彼女は、それが間違いのない現実であると理解していた。
熱に浮かされた為の、妄想か何かと考えるのが普通であろう。
しかし、その判断力がなかったせいかもしれない。
ローゼマリーは、自分が『無色のアリス』における悪役令嬢…ではなく、その姉、ローゼマリーであると気付いた。
本編が始まる時、ローゼマリーは既に存在していない。
十歳の時に罹ってしまった病が原因で、帰らぬ人となってしまったからだ。
ローゼマリーは、そのことに気付くと、愕然とした。
そして、何とかならないかと、痛む頭を叱咤して、必死に思い出そうとした。
その結果、彼女はゲーム本編で妹…悪役令嬢マーガレットが、ローゼマリーの罹った病は特殊であったが、実は特効薬があったのだ、という話をするのを思い出した。
藁にも縋る思いで、ローゼマリーは信頼する侍女にその特効薬を用意させた。
特効薬、と言っても、それはただの野菜で、侍女は怪訝な顔をしていたが、或るいは、病気で弱った令嬢の頼みは叶えよう、と思ったのかもしれない。
速やかにローゼマリーが頼んだ物を用意してくれた。
そして、幸いにも記憶は正しかったようで、ローゼマリーは見る見る内に回復して行った。
結果だけ見れば、とても簡単な事で、何故ゲームのローゼマリーは命を落としたのだろう、と考えて、思い出した。
ローゼマリーは、良くも悪くも貴族の令嬢で、好き嫌いが多かったのだ。
病が、この時点で周知されていなかった事も不運だったが、もし好き嫌いをせずに食事を摂っていれば、避けられたかもしれない事態だったのだ。
そうして、目下の問題を速やかに解決したローゼマリーは、続いての問題に頭を悩ませた。
即ち、妹である、マーガレットの将来についてである。
『無色のアリス』における悪役令嬢マーガレットは、メインの攻略対象者であったフランツ第一王子のルートで、嫌がらせ等の理由で断罪され、流刑になってしまう。
嫌がらせ、と簡単に言うが、貴族としての根幹を揺るがしかねない、物凄い事を最終的にしでかしてしまうのだ。
ローゼマリーは、妹の沽券にも関わるから、細かく思い出したくない、とひっそりと思った。
まぁ、つまりマーガレットは、流刑になるのがかなりの恩情、と言われる程の罪を犯してしまう。
嫉妬に駆られた、という理由だけで。
本人にとってはそれだけ、で終わらせる事の出来ない問題なのだろうが、ローゼマリーからすれば、それだけ、の事である。
そして、そんな事で可愛い妹を流刑にさせる訳にはいかなかった。
更に、ローゼマリーにとって都合の悪い事を言うのであれば、マーガレットは、他の攻略対象者のルートにおいても嫌がらせを敢行するのだが、そちらは流刑になる程のオチにはならない。
しかし、問題がある。
展開はそれぞれまったく異なっているが、マーガレットはヒロインであるアリス達の問題に巻き込まれて、命を落とす羽目になってしまうのだ。
ゲームをプレイしていた当初は、そこまで気に留めていなかったが、今こうなってしまえば、最も大きな問題である。
今のローゼマリーにとって、マーガレットは自分をお姉様、と慕う、可愛い妹なのである。
死なせる訳にもいかない。
となれば、ローゼマリーに出来る事は一つである。
つまり、マーガレットを大人にさせる。
つまらない嫉妬から、身を滅ぼす事のないように、自制心を身につけさせる事、である。
その日から、ローゼマリーは頑張った。
自分とフランツとの婚約話は、元気になったのなら改めて、と誘われたが、メインの攻略対象者であるフランツに心を砕くような暇はない。
寧ろ、場合によってはあまり良くない展開に陥る可能性があるかもしれない、とローゼマリーは、いつ再発するか分からない、と仮病を使い、ゲーム本編と同じように、マーガレットとフランツが婚約者となれるように画策した。
何より、マーガレットはフランツを愛する事になる。
アリスが現れてからどうなるかは分からないが、現状としては最良の対処だろう。
ローゼマリーは、自らの気配りに、自分で満足していた。
まだ幼いローゼマリーが、まさかそんな事まで考えているとは思わなかったのか、それとも他に何らかの意図があったのか、物ごとはローゼマリーの願った通りに進んでいた。
ローゼマリーは、常にマーガレットの側にいるように心がけ、ゲーム本編のような、偉そうな貴族令嬢になりそうな片鱗を見つければ叱った。
ローゼマリーを慕うマーガレットは、お姉様のようになれるのならば、と言って、彼女の言う通りにした。
その結果、ゲームのマーガレットとは見間違う程、非の打ちどころの無い、完璧な貴族令嬢が出来あがった。
元々、見目は悪役令嬢だけあって、美しかったマーガレットだ。
性格が良くなり、しかも賢いとなれば、ローゼマリーの想像を遥かに超える。
十年経った今や、マーガレットを嫌う者など、殆どいない。
強いて言えば、あまりに完璧な彼女を妬む者くらいなものだ。
それでも、厭味の一つでも言えば、地位のみならず、その知識によって、その者は手痛いでは済まない返り討ちに遭う事だろう。
ローゼマリーは、満足していた。
両親からは、貴族令嬢として、病気が再発する様子がないのであれば、すぐにでもどこかに嫁ぐように、と言われる事も覚悟の上だったが、それもない。
物事は、順調に進んでいた。
ゲーム本編が無事に終了すれば、そろそろどこかに嫁ぐのも良いかもしれない。
そう思うほどだった。
しかし、本当はそうではなかった。
ローゼマリーは、ただ気付いていなかっただけなのだ。
既にここが、彼女の知る『無色のアリス』の世界ではなくなっている事に。
なるほど、確かにマーガレットを救う為の舞台は、完璧に設えられていた。
しかし、彼女は失念していた。
妹を見るのに必死になり過ぎて、最も重要な人物の事を。
「何故だ、ローゼマリー!何故こうまでしても気付かない!?」
「あ、あの、フランツ殿下。落ち着いてくださいませ…」
「落ち着け?この状況で、何を落ち着けと言うのだ!」
「痛っ!」
声を荒げ、目など血走らん、という勢いでローゼマリーの細い肩を掴むのは、見目麗しく成長したフランツだ。
美しい金髪と青い目は変わりなく、しかしその目の狂気は、かつては見えなかったものだ。
周囲に佇むマーガレットは、やれやれ、という風に溜息をついており、この国にしては珍しい黒髪を持つ少女は、目を白黒させている。
黒髪の少女の名前は、アリス。
この世界における、ヒロインであった。
彼女の登場は、まったくローゼマリーの知っている通りのものだった。
庶民は、基本的に十五歳になるとその魔法の資質を、教会によって判定される。
因みに貴族は早めで、十歳で既に判定されるのであるが、ローゼマリーは癒しの力に長けている。
その判定の際、アリスは魔法を持たない、と判定され、国に目を付けられる。
そんな事は、あり得ない事だったからだ。
そして、国の研究機関で調査を受けている最中に、フランツと出会った。
最も関わりを持っているのも、フランツで間違いない様子だった。
この分ならば、フランツのルートに入ったのだろう。
ローゼマリーは、最悪マーガレットが死ぬ未来だけは回避出来たのだと、胸を撫で下ろしていた。
時折、イベントの起きる現場へ足を運んだ。
バトル要素もあるので、身に危険の迫りそうな所は避けたが、殆どその動向をチェックする事が出来たと思う。
そしてローゼマリーは、二人が順調に愛を育んでいる、と判断した。
マーガレットには可哀想だが、元々このゲームのファンであるローゼマリーからすれば、メインカップルが誕生するのも、それはそれで歓迎出来る事だった。
とにかく、マーガレットが無事に生きて、自分の側にいてくれさえいれば良い。
何なら、フランツ以上の良い男を捕まえてくれれば余計に嬉しい。
そう思って、ローゼマリーは、アリスの同行を窺う事をやめた。
ただ、日程は頭に入っていた。
だから、今日あたり告白イベントが起きるのだろう、と踏んでいたのに、結果は、限りなく良く似た状況ではあるが、まったく異なるものとなっていた。
ローゼマリーは混乱する。
あまりにも想定外の自体に、眩暈すら感じていた。
慌てて現状を把握すべく、どこを間違えたのか、前世の記憶を辿ってもみた。
けれど、分からなかった。
どこも間違えたとは思わない。
断罪イベントは起きなかったが、それがなくても、問題ないくらい、恋が盛り上がるイベントを、自分はこっそり提供していた。
十分代替としての役割を果たしたと思う。
ならば、何故フランツが、熱っぽい目で自分を見つめているのか。
アリスを放って、無関係な自分に声をかける意味が、まったく理解出来ない。
「俺との婚約に積極的ではなく、妹であるマーガレット嬢を勧めるから、俺の事なんてどうでも良いのだと思って、諦めるつもりだったのに。
この際、貴女と関わりを持てるのであれば、義弟でも構わないと思っていたのに…」
「殿下…?」
俯いたフランツは、ブツブツと、ローゼマリーには理解出来ない事を口にする。
いっそ狂気すら感じられるその言葉に、ローゼマリーは背筋に走るものを感じた。
不安に思って声をかけると、フランツは、今度は泣きそうな顔をした。
「アリスと二人きりになると、いつも貴女が付いて来るのは分かっていた」
「えっ」
「俺は、自惚れまいと思った。妹思いの貴女の事だ。妹のマーガレット嬢の婚約者である俺が、浮気はしまいか、マーガレット嬢を泣かせはしまいか、心配しての事だと思った。
しかし…マーガレット嬢に確認してみれば、彼女は俺の事などどうでも良いと言う。王子として、貴族としての体面が保てるのならば、それで構わないと」
「ま、マーガレット?どういう事…ですの?」
ローゼマリーは耳を疑った。
まさか、マーガレットが本編が始まってもなお、フランツに心惹かれていないなど、あり得ない、と思った。
しかし、当の本人はあっさりとした様子で頷いた。
「ええ。殿下の仰る事は本当でしてよ、お姉様。だって私は、お姉様さえいればそれで良いんですもの」
「そ、そんな…」
直後、マーガレットはうっとりとした顔でローゼマリーを見た。
その目は、どこか信仰にも似た光が宿っていて、ローゼマリーは息をのんだ。
それは、ゲームのように、フランツへの愛情に飲み込まれた目に似ていて、それでいて、まったく違うものだと思えた。
「いえ、分かっていましてよ。お姉様は、貴族の令嬢としての役割を果たす事を第一として考えられるお方…。
私も、殿下との婚姻を望まないにしても、それが私の役割であるのならば、きちんと果たす所存ですわ。ご安心なさって?」
お姉様の期待に応えますわ、と笑うこの子は、一体誰だろうか。
ローゼマリーは、混乱しきった頭で考える。
もしかすると自分は、大きな思い違いをしていたのではないだろうか、と。
「そう。マーガレット嬢は、俺の婚約者になりたい訳ではない。俺の事を、友人であるならばともかく、異性として好いてなどいない。ならば、俺が幾ら浮気をしようが、気にするはずもない…」
「……」
「ならば、何故貴女は俺を見ていたのか。…他の可能性なんて、考えたくなかった。仕方無いではないか。
俺は貴女が俺を…少しでも、気にしてくれていると、そう…思いたかったんだ」
「殿、下……」
ローゼマリーは、口の中がカラカラになるのを感じた。
この期に及んで、勘違いをする程、ローゼマリーは鈍くない。
自分が見て来た彼らの関係は。
少なくとも、フランツの行動は。
その理由は、今や一つしか思い当たらなかった。
「嘘!それ以上言わないで!!」
瞬間。
その場を切り裂くような悲鳴が響き渡った。
その声の主は、もう一人この場にいたヒロインに他ならなかった。
ローゼマリーは、力の抜けた身体に鞭打って、彼女の方へ視線をやった。
アリスの顔色もまた、ローゼマリーと同じくらい悪く、土気色と言っても、過言ではないほどであった。
「だ、だって、多少イベントは違ったけど、フランツ様は、私の事気にしてくれてたし、フラグ管理は完璧だったはずよ。なのに…た、確かにマーガレット様は私の想像とは違う動きをしてたけど、問題なんて、そんな、ローゼマリー様が生きてたのも驚いたけど、嘘…だって、フランツ様は、私の…」
アリスの支離滅裂な物言いに、フランツとマーガレットは首を傾げる。
水を差すアリスに、不快感すらあらわにしている様に見えた。
唯一、ローゼマリーだけが、彼女の言う事を理解していた。
彼女も、自分と同じ転生者で、ヒロインが歩んだ道を辿るべく、生きていた。
水を差したのは、本当は誰?
ローゼマリーは俯く。
肩に食い込む手が痛い。
それも、当然の事のように思えた。
この世界を、どこかで、フラグ管理出来るものとして、ゲームの世界として捉えていたのは、誰?
だから今、ローゼマリーは、しっぺ返しを受けているのではないか。
ある種、被害妄想に過ぎない。
ただ、この瞬間、確かにローゼマリーは、自分がこの場においての邪魔者であると理解していた。
それも、この場を離れたからといって、軌道修正出来るほどの些細な邪魔者ではない。
ローゼマリーは、物語を歪め過ぎてしまった。
ただ、妹を救いたかっただけなのに、何故。
ローゼマリーは、キリリと唇を噛む。
「何を言いたいのか分からない。だが、利用した事は謝ろう、アリス。申し訳なかった」
「いや、いやよ…フランツ様……」
「しかし、俺は嘘はつかない。俺が愛しているのはお前ではない。
此処にいる……ローゼマリーだ」
肩を掴んだ力以上の力で、フランツはローゼマリーを抱き寄せる。
ローゼマリーは、フランツを愛していない。
フランツとの思い出など、一つもなかった。
けれど、マーガレットの幸せの為に、幾度か会話をかわした覚えはある。
無意識だったが、そのいずれかが、彼の琴線に触れたのだろう。
そうとしか、思えなかった。
ローゼマリーは、とんでもない事をしてしまった、と思った。
本来あるべき道筋を、そのまま受け入れる事は許容出来なかったとしても、自分は、もっとこの世界に向き合うべきであった。
自分の怠慢がこの事態を招いた。
フランツの愛情は、一人にしか向けられない分、深い。
それは、ゲームをプレイしていて知っていたのに。
普通であれば、ここで断れば話は終わるのだろう。
しかし、フランツの場合は違う。
立ち場故に、別の女性と結婚もするだろう。
浮気もするかもしれない。
けれど、その愛を捧げる対象は、生涯ただ一人だ。
確かに、マーガレット以外どうでも良いと斜に構えていた。
けれどローゼマリーは、フランツにも幸せになってもらいたいと思っていた。
出来るのならマーガレットと。
そうでないのならアリスと。
幸せになってもらいたかった。
でも、もう無理だ。
少なくとも、ゲームの知識でこの状態を打破する手段は分からない。
「敏い貴女の事だ。分かっていただろう?俺が、貴女を嫉妬させたくて、アリスと会っていた事くらい」
「わ、私は…」
「それなのに、途中から姿を見せなくなるし…。貴女は、本当に酷い女だ。俺が、狂おしい程貴女を愛している事が、分からないとでも言うつもりか?」
「分からない、ですわ…」
「分かりたくない、の間違いではないのか?」
「っ!」
図星だ、と思った。
この世界が、今では嫌な訳ではない。
けれど、最初記憶が戻った時に思った事は、恐怖だった。
その時、怖い事をすべてなくす事を決めた。
それが、今も胸のどこかに刺さっている。
もし、決めた通りに出来なければ、怖い事が残ってしまう。
自分の想定外に事が運んでいると認める事は出来ない。
そうでなければ、ローゼマリーは、どうしたら良いのか。
彼女には、分からなかった。
「…本当は、貴女の側にいられれば、それで良かったんだ。けれど…貴女があまりに、酷い仕打ちをするから。…それだけでは、足りなくなった」
「は、なしてくださいまし…殿下」
「断る」
「殿下!…っ、マーガレット!!」
ローゼマリーは、この場から早く離れたいと思った。
反射的にマーガレットに助けを求める。
妹なら、自分を助けてくれる。
そう思ったけれど、マーガレットは申し訳なさそうに首を横に振った。
「申し訳ありませんわ、お姉様。本当ならば、私だけでも、お姉様の味方でいるべきなのでしょうけれど、殿下は、最後のカードを切ってしまわれたので」
「最後の、カード…?」
「ええ。殿下は、私ではなく、お姉様と結婚出来なければ、弟君に王位を譲られると明言なさいました。公式のものではございませんが、私に言った以上、かなりの効力を持っております。
―……お姉様も、お分かりですわよね?当然ですわよね。私のローゼマリーお姉様ですもの」
眩暈が強くなる。
どれ程、想像からかけ離れれば気が済むのか。
自分は、一体何を間違ってしまったのか。
「ローゼマリー」
強く、きつく、抱きしめられる。
鼻腔を満たす、甘い香り。
ローゼマリーは、それが自分の名の元となった、ローズマリーの花の香りだと気付く。
どうして、私なのか。
貴方を望んだ、彼女ではないのか。
「俺と、結婚してくれ。そうでないと…分かるよな?貴女の家は、第一王子派…つまり、俺の派閥。俺が王位を継がなければ、弱体化は防げまい。
そして…優しい貴女ならば、淑女の鑑と称される貴女ならば…そのような愚かな選択はしないだろう?」
優しげな微笑みで。
幸せそうな微笑みで。
何という事を言うのだろうか。
ローゼマリーは、靄のかかり始めた思考の中でそう思った。
「本当は、こんな事したくなかった。すべて、貴女がいけないんだ」
わたしが、わるい。
「貴女が、つれなくするから」
わたしが、げんじつをみなかったから。
「けれど、これでもう安心だ。貴女は、俺から離れない。俺を愛さなくても、俺の物でいてくれる」
わたしは、こんなみらいをのぞんだわけではなかったのに。
「愛してる。愛している…俺の、ローゼマリー」
マーガレットは、これでもう安心だ。
それは、理解している。
けれど、ローゼマリーは、この事態を幸いとして受けとめる事が出来なかった。
愛おしそうに自分を見つめるフランツ。
申し訳なさそうに、しかし王妃となった姉を思い浮かべ、うっとりとした笑みを浮かべるマーガレット。
呆然と、事態を理解する事が出来ず、泣きじゃくるアリス。
こんな事になるのなら、前世なんていらなかった。
ローゼマリーは思った。
何も知らなければ、辛くもならなかったのに。
乙女ゲームなんて、画面の向こう側から見るから良いのだ。
でも、もしかすると、これは夢なのかもしれない。
きっと、そうだ。
薄れゆく意識の中で、ローゼマリーは、ただ目が覚める事だけを祈っていた。
もっとローゼマリーさんのテンションを高めに、ラブコメで連載にしようと思っていた作品です。
何か道を間違えた結果、ローゼマリーさんが鬱っぽく、加えて王子が果てしなく病んだので、やめました。
ただ、一応形としては出来てしまったので、勿体なかったので上げました。