87.大河原教授と会う
「もう少しで、隠れ家につくわ。さくら、いろいろと忙しいから、あなたも手伝いなさいね」
「はあい」
とりあえず返事をして見たものの、お手伝いって、何をすればいいのか到底見当もつかない。
食事の支度とか、そんなものだろうか。
でも、わたしの料理の腕前は、ママが一番よく知っている筈だ。
なにしろ、わたしが作ったお弁当を見てゆかりがのけぞり、今度から自分が作ってきてあげるとまで言わしめたほどの腕前なのだから。
車は、結構な林に囲まれた一画に入っていった。
えーと、ここいら辺は、まだ坂戸市か鶴ヶ島市の筈だ。
ママと話をしていたせいで、わたしは自分がどこに居るのか、分からなくなってしまった。
林の中に、その家はあった。
ずいぶんと大きな家。
毛呂山の、わたしの家の3倍くらいはあるかと思うような大きなお屋敷だった。
家の前には、車が3台ばかり止っている。
そのうちの一台は、幌付きのトラックだった。
ママは、家の玄関の前に車を止めた。
「さくら、降りる時に、その荷物持っていってね。精密機械だから、落としたりしちゃダメよ」
そう言って、ママはセバちゃんを抱きかかえながらさっさと車を降り、玄関の鍵を開ける。
わたしは、ママに言われた通り、後部座席に会った段ボールを抱えた。
うっ、け、結構重い。
段ボールの上は開いていたため、中に入っている電子機器の基盤のような物が見える。
さっき、ママは精密機械とか言っていたけれど、どう見ても無造作につっこんであるようにしか見えなかった。
いいんだろうか、精密機械がこんな、拾ってきた猫みたいな扱いで。
そう思いながらも、わたしは重い段ボールを抱えながら、よたよたとママの後ろについて行く。
「ただいま、今戻りました」
玄関を入ると、ママは家の中に声をかけた。
うわっ、これって洋館。
玄関を入るとそこはエントランスのようになっていた。
靴を脱ぐ三和土などはない。
映画で見るような、えんじ色の絨毯が敷き詰めてある。
どこかのホテルみたい。
わたしはそう思った。
エントランスには、瀟洒な花瓶や置物が飾られ、ガラス張りのロココ調のダッシュボードには、お洒落な小物が並べられていた。
そしてエントランスからは、白い色の階段が2階まで続いている。
やっぱり、ホテルだよね、これ。
わたしはそう判断した。
「おう、おかえり」
1階のリビングと思しきところから、男性の声がした。
中年の、ちょっと英語訛りのある男性の声。
わたしは、いっぺんで緊張した。
ママは、パパと一緒に居るはず。
ならば、今返答した男の人は、きっとパパに違いなかった。
「あなた、さくらを連れて来たわよ」
その声に合わせて居間から出てきたのは、大きな白人の中年男性だった。
ジョナサン・ジェイコブ・プロッサム。
通称J・J。
それが私の前に立っている。
わたしの部屋にある家族一緒の写真に写っているパパの姿よりもだいぶ歳を取っている。
いえ、歳を取っていると言っても、中年の渋い年の取り方だ。
わたしは、目の前の男性をまじまじと見た。
わたしと同じ、目の覚めるような金髪。
彫りの深い顔立ち。
そして、明るいライトブルーの、ちょっと茶目っ気のありそうな眼。
そして、耳には何故かイヤホンを付けている。
間違いなく、わたしのパパだった。
「おお、さくら、ずいぶんと大きくなったね」
別れ別れになっていた父と娘が久々に邂逅する。
そのシーンをわたしは以前によく思い描いたものだった。
どんなことを喋ろうか?
どんな顔をすればいいの?
駆け寄って、抱擁する?
やっぱり泣いた方がいいの?
そんな、あれやこれや思い描いていたことが、急にバカバカしく思えてきた。
「パパ、お久しぶり。写真とあまり変わっていなくて、安心した」
わたしの口から漏れた言葉は、あまり感動的でもなんでもない。
だって、段ボールを抱えながら、なんと言ったらいいのだろうか。
「そうか、済まなかったね。色々と心配かけて」
本当の所を言うと、パパのことは、あんまり心配していなかった。
心配だったのは、ママの方。
だって、私の知るママは、こんな陰謀めいた世界とは無縁のように思っていたからだ。
「まあ、立ち話も何だ。中に入ってお茶でも飲まないか。紹介したい人もいるし」
パパは、そういって居間に続く通路を指し示した。
流暢な日本語。
ちょっと訛りがあるけれど、長い間に本を離れていたとは思えない。
わたしは、道を開けたパパの脇を通って、今へと入っていった。
そこは、見事な調度品が並んだ部屋だった。
小さな日本の家屋とは違い、大きな部屋にロココ調の調度品が、さも当然のように並べられている。
そして、壁にはヨーロッパの田園風景を描いた絵。
えーと、これ、何と言うんだっけ。
印象派だっけ。
モネのような明るい光に包まれた風景画が、何枚か掛けられている。
ヨーロッパの貴族の邸宅みたい。
第一印象はそんな感じだった。
今にも、ロングドレスを纏った貴婦人が出てきそうな趣だ。
「おお、君がさくら君かね」
不意に、瀟洒なソファーに無造作に積まれた毛布の塊が声を発した。
「きゃっ」
わたしは、思わず悲鳴を上げる。
そして、手に持った段ボールを取り落しそうになった。
「危ない」
二本の細い腕が毛布から伸びてきた。
はらりと落ちる毛布。
その毛布の中から、ひげもじゃで髪ももじゃもじゃの老人が姿を現す。
老人?
いや、それは老人ではなかった。
猫背でガリガリに痩せていて、もじゃもじゃの髪と髭に白いものがいっぱい混じっているから、老人と思っただけだ。
その肌は色が悪いものの、初老になりかかっている男性の物であり、決して老人のものではない。
「さくら君、転んでもいいけど、その段ボールだけは落とさない様に」
なにげに失礼な物言いで、その毛むくじゃらのおじさんが言った。
「さくら、この人は大河原教授だ。わたしに協力してくれている大学の先生だよ」
パパが説明してくれた。
教授って・・・ほとんど公園あたりで暮らしている人と変わらない格好。
わたしの中の、大学の先生のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れた瞬間でもあった。




