71.眠いけど、学校に行かなきゃ
パジャマの血は、自分の血ではないことを必死に説明して、登おじさんはようやく納得してくれた。
駆け付けた警官も、わたしが怪我をしていないことを無線で署に報告し、救急車の手配をキャンセルしている。
「済まない、さくらちゃん。帰るのが遅れたのは僕の責任だ」
おじさんは、まだ青ざめた顔でわたしに頭を下げた。
「いいんです、おじさん。わたし、大丈夫です」
とりあえず、この血まみれのパジャマを着替えてこなければ。
あーあ、このパジャマ、気に入っていたのにな。
侵入者の血がべったりとついたパジャマは、処分するしかなかった。
わたしが二階に行こうとすると、警官がわたしを呼び止めた。
「失礼、お嬢さん。侵入してきた男の顔をごらんになりましたか?」
「いえ、暗かったし、セバちゃんが相手の顔に貼りついていたので・・・」
「セバちゃん?」
警官が戸惑ったように聞き返して来た。
「ええ、うちの猫です。えーと、犯人の服装は上下とも黒ずくめ。顔にセバちゃんの引っかき傷が」
警官は直ぐに犯人の特徴を警察無線で連絡した。
どうやら非常線を張るらしく、パトカーのサイレンの音がどんどん増えてくる。
「あのう・・・着替えてきても・・・」
「あっ、失礼しました。どうぞ着替えてきてください」
警官はそう言ってすぐにわたしを解放してくれた。
家の前には警察のパトカーが止まり、くるくると回る赤色灯がせわしなく辺りを照らしている。
開きっぱなしの玄関のドア越しに、パジャマ姿の近所の人たちがこわごわとうちの中をのぞき込んでいるのが見えた。
「みなさん、大丈夫です。泥棒です。泥棒が入って、うちの猫に顔を引っかかれて逃げ出したんです」
わたしは、皆を安心させようと、外に向かって声を張り上げた。
「さくらちゃん、大丈夫だった? 怪我はないの?」
そう声をかけてきたのは、隣に住むおばさんだった。
「ええ、大丈夫です。わたしは怪我していません」
それを聞いて安心したのか、近所の人たちは家に戻っていった。
途切れ途切れに「泥棒だって、うちも戸締りちゃんとしなきゃ」とかいう声が聞こえてくる。
スウェットの上下に着替えて居間に戻ると、おじさんと警察官が居間に置いてある黒いバックを見つめて首をひねっているところだった。
「さくらちゃん、このバック、君のかい?」
そのバックは良く見ると布製や革製ではなく金属製の、どちらかというと小ぶりのスーツケースみたいだった。
そういえば、このバッグに足の小指をぶつけたんだった。
どうりで、痛いわけだ。
「いえ、このバック、わたしのじゃあありません。寝る前はなかったので、多分、あの男の人のものだと思います」
その言葉で、警官の動きが慎重になった。
直ちに本署に無線で連絡を入れる。
そして、応援にやってきた他の警察官と共に、指紋収集などの鑑識を行い、バックを回収して引き上げて行ったのは、午前三時をまわった頃だった。
さ、三時。
三時に起きていたことなんてない。
でも、これからベッドに入るのは時間が中途半端過ぎた。
それに、この事件で目がすっかりと覚めてしまって、眠れそうもない。
あっ、そうだ、セバちゃんの身体も洗わなきゃ。
セバちゃんは、自分の体に付いた犯人の血をほとんど自分で舐めとっていたが、それでも自分の舌の届かない範囲にはまだ血が付いている。
わたしはタオルにお湯を含ませて、丁寧にセバちゃんの身体を拭いた。
普通の猫は身体が濡れるのを嫌がるものだけど、セバちゃんは暖かいお湯が気持ちいいのか、目を細めてじっとしている。
「セバちゃん、ありがとう。悪者を退治してくれて。今日も大活躍だね」
みゃゃゃ。
どことなく、セバちゃんは得意げだった。
それから、わたしは床に落ちている血痕や、登おじさんたちが土足で上がってきた床の汚れを掃除する。
登おじさんは、その間に玄関のドアの点検をしていた。
「だめだ、ドアが完全に歪んでいる。犯人は物凄い勢いで激突したようだ」
見ると、スチール製のドアが、確かに反り返っていた。
ドアに嵌められた曇りガラスにもひびが入っている。
おじさんがドアを閉めようとしたが、ギギギーッと嫌な音を立てて完全には閉まらない。
勿論、鍵もかけることは出来なくなっていた。
「参ったな。ドアごと完全に取り変えなければ駄目みたいだ」
もう、NSAったら、何てことしてくれんのよ。
そう、これがNSAの仕業であることは、間違いなかった。
何故ならば、わたしがアノニマスの掲示板に動画をアップしたその日のうちに、何者かが侵入してきたのだ。
普通の泥棒にしては、タイミングが良すぎた。
この団地の中で泥棒や空き巣の被害にあったという話は、それでも一年に一回くらいはある。
犯人はまだ捕まっていないらしい。
でもその泥棒がたまたま、今日、偶然にわたしの家に入ったとは思えなかった。
そして、犯人の残していった遺留品。
重い、金属製のスーツケース。
泥棒に入るのに、あんな重くて邪魔な物は、持って入らない、ふつーう。
あのスーツケースの中身が何なのかは、結局分からずじまいだった。
警察官が、証拠品ということで中を開けずに署に持っていってしまったからである。
床を綺麗にして、気が付くともう朝の6時だった。
外はすっかりと明るくなってきている。
その頃になって、眠気が襲ってきた。
う、うう・・ね、眠い。
考えてみれば、2時間ちょっとしか寝ていない。
期末テストの時でさえ、わたしは徹夜などせずにいつもの時間に寝る方だ。
睡眠時間は毎日7時間と決めている。
どうしようかな、ちょっと、横になろうかな。
でも、今横になると、昼過ぎまで寝てしまう可能性がある。
わたしは、眠い目をこすりながら台所に立った。
朝ごはん作らなきゃ・・・。
おじさんは、まだ歪んだドアと格闘をしていた。
何とか、鍵だけでも掛けられるようにしたいと頑張っているのだが、スチール製のドアは、かなり手ごわいようだった。
「おじさん、朝ごはん」
わたしは登おじさんに声をかけた。
「ん、ああ、ありがとう。このドア、駄目みたいだな。今日地元の建築会社に電話して修理を依頼するよ。だから、僕は今日会社休むけど、さくらちゃんは、どうする?」
「わたし、学校に行きます」
「そうか、大丈夫か?眠くないか?」
眠くない訳はなかった。
でも、わたしは今日の件を、デリ研のみんなにこの出来事を報告する必要があったのだ。




