緑の箱、APE弾。
「緑の箱を取ってくれ」
グレイはそう言うと、ガンケースから大口径のライフルを取り出した。
銃身部に装着されたバイポッドを広げると、カイエンのボンネットに乗せて狙いを定める。
「探しているのはAPE弾だ」
「えっ?PTAが何ですって?」
「APEすなわちArmor Piercing Explosiveの略だ。弾頭内部に炸薬を充填していて、目標貫通後に爆発する徹甲榴弾」
マイミはポルシェ・カイエンの座席の下に緑色の箱を見つけた。その箱にArmor Piercing Explosiveと書かれていたかどうかは定かではない。ろくに見もせず、グレイの手に押し付けたからだ。
銃刀法違反者に手を貸している気がするが、それ以上考える気力が無かった。
ノヅチがのろのろと蠢きながら、その太く鋭い毛で辺りの様子を探っている。もう少しすれば、こちらの存在に気づくだろう。
グレイがAPE弾をアンチマテリアルライフルに装填し始めた。
マイミはふと、トレーラーの運転席を見やる。窃盗団の一味らしきドライバーが、窓から上半身を突き出して助けを求めていた。
自力では出ることができなさそうだ。
シートベルトが絡まっているのだろう。
「本来であればあれだけ大型の相手は、銃で殺すことはできない。銃弾の運動エネルギーには限界があるからな。だからやつをバーベキューにする」
弾薬の装填を終えたグレイがつぶやきながら、狙いを定めている。
だがマイミは助けを求めるドライバーを見ていた。あの男を拘束し、今回の一件について吐かせる必要があるのではないか。
どこでこのノヅチを見つけたのか。
そして誰の依頼で、どこへ運ぼうとしたのか。
何よりも、その目的は何なのか。
世界中で、巨大な未知のクリーチャーの目撃情報が相次いでいる。それぞれが、神話伝承の類を現実化したような、奇怪な生き物ばかりだ。
この現象の正体は今のところ不明だ。
だがこの未知の危機に対処するのが、霧崎マイミの仕事。すなわち、国家危機調査官(Hazardous Events Reserch Officer)の任務なのだ。
「霧崎さん、口元を塞いだ方がいいな、ちょっと距離が近い」
言うとグレイはポケットからバンダナを出して、口元を覆い始めた。
その時、マイミは油の臭いがするのに気がついた。
見れば横転したトレーラーから、ガソリンがこぼれ出している。
「霧崎さん、早く口元を覆うんだ。この距離だとちょっと熱すぎる」
グレイが何を言っているのか、順序立てて理解することはできなかった。だが、マイミの灰色の脳細胞は潜在意識下で素早く計算を開始しており、肉体と精神の側に強い警告を送っていた。
グレイが何をしようとしているのか。
ガソリンと、APE弾すなわちArmor Piercing Explosive。
エクスプローシブ。
意味は、爆発。
そこまで考えて、グレイの意図に気づいた。
爆発する榴弾をノヅチに叩き込み、ガソリンに引火させて丸焼きにしようとしているのだ。
「だ、だめです!」
そう叫ぶのと、マイミが走り出すのとは同時だった。
大切なことを忘れていた。
グレイはPMSC(private military and security company)、すなわち民間軍事会社の構成員であり、金をもらってマイミの身を守る用心棒だ。
立ち塞がる脅威は蹴散らし、叩きのめし、細かく切り刻んで朝のスムージーに混ぜて飲んでしまう。
だがマイミの職務は違う。国家危機調査官は、その名のとおり国家の危機となりそうな事象を調査し、官邸にレポートしないといけないのだ。
グレイが全てを燃やして、灰にしてしまった後では手遅れになる。
トレーラーに駆け寄ったマイミは、運転席から上半身を出してもがくドライバーの腕を掴んだ。
「霧崎さん、何をしてる!」
グレイが声をかけてくる。
「そこにいちゃ危ない、早く離れるんだ」
「わかってますよ!」
急いでこのドライバーの身柄を確保し、この場を離れなければならない。
だがドライバーは大柄な男で、簡単に運転席から引っ張り出すことはできなさそうだった。何度も力をこめるが、ビクともしない。
「だめだ、ノヅチが外に出てくる」
グレイの声が聞こえた次の瞬間、マイミは足元がぐらつくのを感じた。ノヅチがコンテナから出ようともがいたせいで、自分が乗っているトレーラーの車体が傾いたのだ。
その拍子に、ドライバーの体がすっぽ抜ける。
バランスを失ったマイミは、頭から地面に転落した。
視界に星が散る。
散った星が、ガソリンに引火しないか不安になったが、そんなアホなと思い返して身を起こした。
「くそ、まずい」
グレイの引きつった声とともに、銃声が響いた。グレイがクリーチャーをけん制するために、コルトガバメントの四十五口径弾を叩き込んだのだ。
ノヅチの咆哮が夜空に響き渡る。
やめろ!
マイミは心の中で叫んだ。発砲した火花が気化したガソリンに引火したらどうする。
だが顔を上げたマイミは状況を察した。ノヅチはコンテナを這い出して、グレイの方へと近寄っているのだ。目が無いくせに、ノヅチは敵がどこにいるか分かっているようだ。頭部を振りかざし、筒状の口でグレイに狙いを定める。
マイミは息を飲んだ。ノヅチの口は直径一メートル近くあり、グレイを頭からすっぽりと飲み込むことができるだろう。
事態を打開するにはAPE弾を叩き込むしかないが、今撃てば、引火してマイミたちを巻き込んでしまう。
万事休すだった。
「グレイさん、逃げ……」
逃げてと言う暇はなった。先ほどまでのノロノロした動作は嘘のように、いざ獲物に食らいつく時のノヅチは驚くほど俊敏だった。
避ける暇も無く、グレイの体はノヅチの巨大な口蓋の中にすっぽりと包まれてしまった。
「えっ?」
マイミの顎がだらんと垂れ下がる。
想定していない展開だった。グレイは世界有数の民間軍事会社の一員という触れ込みで、昨年の業界紙が選んだ“紛争地で頼りになる傭兵百人”にも選出されたと聞いている。
個人として持ち得る戦闘能力という意味では、人類六十億人のほぼ頂点に位置する逸材なのだ。
だからこそ、高いギャラを、血税を注ぎ込んで支払ったというのに。
瞬殺されるなんて。
マイミが考えていたのは、この結果に対するレポートの書き方だった。何と言い訳したものだろう。委託先が業務中に起こしたミスの責任は、自分にもあるのだうかと。
だが次の瞬間。
グレイを飲み込んだノヅチの体が、いきなり膨張した。
大きな獲物を無理やり飲み込んだ蛇のごとく。
続いて、ノヅチの腹が爆裂する。
「えっっ??」
爆音とともに、ノヅチの体の破片が飛散した。
一瞬、何が起きているのか分からなかった。全てはスローモーションの映像のように進行している。
ノヅチの腹の内部で爆発が生じて、クリーチャーを内側から破壊した。
つまりは、グレイがノヅチに飲み込まれる瞬間、腹の中めがけてAPE弾をぶっ放したということだ。
内側から撃ったので、引火はしなかったのだ。
天才じゃん、とマイミは思った。
グレイは生きていた。飛び散るノヅチの体液を浴びて、びしょ濡れの状態で蹲っている。その鋭いまなざしは、飛散するノヅチの肉片を追っていた。
やったよ、グレイさん。
マイミがそう言いかけた瞬間。
空から降ってきた畳ほどの大きさの肉片に、マイミは押し潰された。
つづく