不法侵入者と今後の展開について
雨が降っているというのに、蒸し暑さを感じる嫌な夜のことだった。
いずれやむだろうと、寝苦しさを感じつつも自室のベッドに寝転がり目を閉じてゆっくり睡眠を呼び寄せようとしていた時に、その音はした。
――かたん、微かな音は、聞き逃してしまいそうなほどに小さく、けれどそれを聞き逃さなかったのは寝よう寝ようとして逆に意識が冴えてしまっていたからかもしれない。
扇風機が回る音と、時計の針が動く音、それが一瞬にして遠くに行ってしまったかのような錯覚に陥る。そして、何かが近づく気配がして、何の前触れもなく窓が開く音が目を閉じた暗い世界の中で響く。
まるでチープなホラー映画を再現されているようだと、蒸し暑さで緩くなった思考で思う。目を開くことすら億劫で、ため息を吐き出した。
めいわく、と音に出さないままつぶやいて、寝返りを打つ。
どうせ、入ってくる人物なんて、一人しかいない。残念そうな声が聞こえてくるが、黙ったままでいた。それが気に入らなかったらしい。
こんな真夏の夜に不法侵入なんて、笑えない。
そもそもいくら気心知れた仲だといっても、時間は深夜帯である。通報されたっておかしくないのだから、無視するくらい当たり前だろう。
そうして、名前を呼ぶ声を振り払うかのように、寝返りを打とうとして失敗する。
「ミツカ、寝てないんだろ。なあ、」
「………うるさい」
倉石ミツカはぎゅ、と眉間にしわを寄せたままむっつりと起き上った。
起きてるじゃねえか、と声だけは潜めているものの元気に満ちている隣に住む所謂・幼馴染の高梨アキトを胡乱な目で見上げる。
「こんな真夜中に窓から不法侵入して、それで無理やり起こそうとして」
「お前不用心だな、窓のかぎが開いてたぞ?危ないからやめなさい。それから、お前が起きてるなんてお見通しだ。どうせ寝れてなかったんだろ」
「………」
ぐう、と押し黙るしかない。ミツカは幼馴染に弱い。というよりも、ミツカの反論をいつだって整然と、反論できないくらいにばっさりと切ってしまうからだ。
見た目はいいのに、まるでハハオヤのようだとふん、と顔を背けることで鬱憤を晴らそうとして、アキトの目が優しいことに気付く。
こんな目をするようになったのは、最近だ。
前々から、なんだかんだふらふらと落ち着かないミツカを気にかけてくれていた幼馴染が、高校生になったときから少しずつ変わっていった。
態度が変わったわけでもない。むしろ昔よりべったりされている。なんというか、ミツカを見る目が変わったのだ。
いとおしいものを見るような、といえばいいだろうか。
――それが、ミツカにはどうしてもむず痒い。どうしたらいいのか、わからなくなるのだ。
向けられている好意を自惚れるには、心もとない。
幼馴染としてお互いに大切な関係だ、ということはお互い思っているはずだ。けれど、その先は、ミツカにとって未知の分類で、戸惑ってしまう。
「それで?寝れなかったのは、どうしてだ?」
「……別に、なんでもない。それより網戸にしておいてくれた?」
「したよ」
静かな声がミツカの耳に響いた。
大学生、大人とも、子供とも呼べない微妙な。大人なようでまだ学生という名前に守られている。けれど、体は声は顔つきは大人の男の人、だ。
ミツカはベッドに座りながらそばに立つアキトを見上げた。
こちらを見下ろす視線は穏やかで、そして慈しんでいる、ような。
「…アキト、なんで」
「一緒に寝るか」
「………はあ?」
真剣な声を出したミツカを茶化すように、アキトはにっこりと笑ってそういった。
思わず声を荒げたミツカは、悪くないはずだ。
布団に潜り込もうとしたアキトを蹴落とそうとして、失敗する。足首をつかまれたのだ。
そしてそのままベッドに乗って、アキトはミツカに近づく。
離された足首が、熱を持ったまま。こんなに男の人というのを意識させないでほしい。
心臓がいつもの二倍速で動いて落ち着かなくなってしまう。――いや、落ち着かないのだ。ここ数年、ずっと。
「知ってるよ、お前が戸惑ってること。でもな、俺はお前を手放すつもりはないんだ」
「……知ってるなら、手加減、して」
「お前が意識しないのが悪い」
「ばかじゃないの…!」
条件反射のように手を挙げた。あっさりとつかまれた手を引かれて、アキトの腕の中に抱き込まれる。
Tシャツ越しに感じる体は熱くて、温かい。
こんなにも、暑い夜。ミツカはその熱よりも、温度を知る。
距離が、動く。きっと、引き返せない。
心臓が痛いくらいに脈打つ。そして、相手の心臓も同じくらい激しく打っていることに気が付いた。
「…寝るぞ」
「うん」
なにもいえなかった。そのまま二人ベッドに倒れこんで、ぴったり抱き合った体は二人分の熱を孕んで、汗ばむくらいだ。
窓からゆるく風と扇風機の風だけが、二人の温度を冷まそうとするけれど。
二人分の体温はこの真夏の夜には寝苦しいだけなはずなのに、妙に安心してミツカは目を閉じた。
何もしゃべることのなくなったアキトが何を考えて部屋にきたのか、全く分からなかったけれど、きっとミツカ以上にミツカのことを理解している幼馴染は、ここ数日考え込んでいるミツカのことを心配してきてくれたのだろう。
――その考え事が、自分のことだとは、思うまい。
きっと、こんな曖昧な関係はやめるべきなのだ。
想像してみる、アキトがミツカ以外の女の子と歩いているところ。キスをしてそれ以上まで進むところ。そして、ミツカの隣にはアキト以外の男の人がそばにいるところ。
寂しさと切なさに押しつぶされてしまいそうだった。
想像だけでこんなにも切なくなる夜を、ミツカはいつからか過ごし始めている。
そしてその度に、そばにいてくれるだろうという自惚れに甘えてずるずると居心地のいい距離を崩せないでいる。
「…アキト、ねちゃった?」
囁くような声が出た。ん?と目を閉じたまま掠れるような声が返ってくる。
一際大きく鳴った心臓が、答えを告げる。
――ああ、ミツカはもうきっとごまかせないのだ。
「――あした、話したいことがあるの。じかん、くれる?」
「…いいよ」
それを、アキトがどうとったのは、わからない。
切なそうに笑ったように見えたのは、今までのはぐらかしたツケが回ってきたからだろうか。
それと反対に、ミツカを抱きしめる腕の力が強くなる。
子供のころ、よくこうして寝たことを思いだす。
隣同士、子供の年齢が一緒で母親たちの年齢も同じ、そして二人とも専業主婦ということもあってミツカとアキトの母親たちはとても仲がいい。そのせいもあってお泊り会をよくしたものだ。泊まるということは高校生になってからはなくなったが、お互いの部屋を行き来することは今でも続いている。
母親たちは今でも仲が良く、今日も二人は一週間ほど旅行に行くと出かけて行った。
ミツカの父親は一昨日から出張で一週間ほど帰ってこない。
きっと、それもあるのだろう。ミツカは幼いころから人がいない家というのが苦手だったから。それを知っているのは、きっとアキトだけだ。
父は仕事で出張が多い、母は出かけることが多い。頻繁にではないが、それでもさみしいという気持ちが上回って、それをアキトにポロリとこぼしたことがあった。
それからだ、母親たちがでかけるとき、父親が不在の時、アキトがミツカの家にやってきて何をするでもなく過ごしていくようになったのは。
友人たちにもよく言われたが、本当にアキトはミツカに甘い。それを当たり前のようにとられていた自分が、恥ずかしい。
当たり前なんかじゃないのだ。ともすればそれは、ほかに大切な人ができてしまったらすぐに消えてしまうくらい心もとないものだったのだ。
それに気づいたのは、つい最近のこと。アキトに好きなことをアピールする、女の子を目にしたのだった。
あの時のもやもやから、きっと、ミツカの恋は始まったのだろう。
当たり前で気付けなかった大切さに、ミツカは嫉妬という苦い感情と共に恋を悟った。
まだ、間に合うだろうか。ミツカはまだ、アキトの隣を歩く権利は、あるのだろうか。
まどろみの中で思ったことを、明日伝えればいい。
ミツカの唇は温かい何かに触れた。頭をなでる手を感じながら幸せな夢だ、と思う。こんな夢ならさめてほしくない。
「起きろ、ミツカ」
「……ん」
体を揺さぶられる形で目を覚ます。
今日は日曜日だったか。時計を見れば10時を回ったところ。
また蒸し暑い日々が始まるのだろうと、すでに汗ばんでいる首筋を触りながら、ふと目を開ける。
呆れたような幼馴染が隣に寝転んでいた。
「その無防備さはどうなんだ」
「落ち着いちゃったんだもの」
「ミツカ、話って?」
「……今?!」
「俺は今聞きたい。ダメか?」
たじろいだように、身を起こすミツカを追いかけるかのように起き上ったアキトは、ミツカに顔を近づけた。
まさかこんな寝起きで大事な話をすることになるとは思わずミツカはひきつった口元を隠せない。
寝起きだ、思いっきり。寝癖もついているだろうし、目立って半分しか開いていないだろう。そんな姿など見慣れているだろうが、それでも大事な話をする格好では、ない。
「ミツカ?」
「………ああ、もう!」
それでも、一心にミツカを見つめるアキトは欠片もそのようなことは気にしていなかった。
それに、寝起きはどうも目の前の男も一緒であるのだ。
「…今更って、思うかも、しれないけど。ここ最近ずっと考えてたの。アキトと私のこと、これからのこと」
そこで、じっとアキトを見つめる。
不安げに揺れるアキトの目が、なんだかかわいらしく感じた。いつも自信たっぷりでミツカを包み込んでくれているのに。
愛おしい、という感情は、きっと、こういうことなのだろう。
「ずっと当たり前だって、思ってた。でも当たり前じゃないって気付いたの。こうしてアキトが私の隣にいてくれることが。だから、やめにする」
「…やめる?」
押し殺したような低い声が響いて、ミツカはまたベッドの上に逆戻りした。
押し倒された、と感じたのは、ミツカの上にアキトがいたからだ。
泣きそう、とも取れる表情でミツカをベッドに押し付ける力は、強い。
そういえばこの男はミツカのこと異性関係においては早とちり早合点が得意だった、と笑いそうになる。
――ずっと、愛してくれていたのだ。気付けなかったミツカが、お子様だったとしか言いようがないが。
「うん、幼馴染、やめる。ねえアキト、私のこと好き?――好きなら、わたしを
恋人にして」
「嫌いなわけないだろ、俺が何年お前を思ってきたと思ってるんだ」
「うん、ごめんね、気付けなかった。私、最近気づいたの。ありがとう、愛してくれて、私を大切に思ってくれて」
ミツカ、呼ばれた名前が熱を持ってミツカを焦がす。泣きそうな、けれどそれ以上に嬉しそうなアキトの首に腕をまわして抱き着いた。
そういえば、ここ最近はアキトに触れられることはあってもミツカから触れたことはないなと気づいた。
確かめるように抱きしめられた腕の中でかみしめる喜びを、ミツカは素直に愛おしいと思う。
「好きよ、アキト」
「俺はその数十倍お前のことが好きだよ」
愛してる、その言葉を繰り返しながらアキトはそっとミツカの唇に触れた。
きっとこの男は、唇の熱だけでミツカのことを殺してしまえるだろう。こんなにも触れ合うことが幸せだということを、初めて知った。
うわごとの様に名前を、愛を囁きながらアキトがミツカの隅々を確かめるように口づけを落としていく。
抱きしめあった体温を知ってしまったから、きっと離れられないだろう。
「ん、も、起きるから…」
「俺が何年待ったと思ってるんだ、まだ足りない」
「んん、あつ…っ、アキト、落ち着いて…」
繰り返される口づけの深さに、溺れそうになりながらきゅうとその胸元をつかんだ。
貪られる、という表現が適切だろう。
まるで嵐のようだ。絡まった足が、触れ合った箇所が熱い。のぼせそうなふれあいの中で、ミツカは愛しさに、アキトからの愛に息もつけないような瞬間を知った。
「アキト、そろそろ離れない?」
「…いやだ」
ようやくベッドから起き上がって着替えを済ませたのは正午を過ぎたころだった。
朝食兼昼食を準備しながら、ミツカは自分に張り付いているアキトを呆れた目で見上げた。
ミツカより高い身長で男らしい精悍さが最近女子に人気なアキトだが、こうしているとどうも犬に見えて仕方ない。大型犬、だろうか。
「もう、危ないでしょ」
「足りない。俺がどれだけ我慢したかわかってるのか、お前」
「…知らないわよ!」
気付いたのは最近なんだからしょうがないじゃないか、と口を尖らせながらそれでも強く出れずにミツカはされるがままだ。
「これでも頑張ってたのに、お前だけは綺麗にスルーしてくれた時には心が折れるかと思った。しょうがないから家でも大学でもお前のそばにいて、俺以外が入る隙をなくしてたのに。…ミツカは寝入ると何されても起きないし」
「ちょっと、何かしてたの?!」
「お前、なにもされてないと思ってたのか?」
「信じられない!ばか!」
「好きな女が寝てるのに何もしないなんてマネできるか!キスで済ませてた俺をほめてくれてもいいくらいだ」
そう、真剣に言われてしまうとどうも、弱い。
流されている自信はあったが、きっとこれからもミツカはアキトに流され続けてしまうのだろうなと思ってしまった。
それよりもなによりも、照れるからやめてほしいくらいだ。
愛されていることはこの短時間でよくわかったので、正直もうこれ以上は、どうにかなってしまいそうである。
「…お前が自覚してくれてよかった。囲い込んで嫁にするとこまではさすがに俺もお前に嫌われそうだから躊躇してたんだ」
「………わたしも、気付けてよかったな」
どうやら長い間ミツカが気付かなかったせいで幼馴染は危ない扉を開きかけていたらしい。
聞かなかったことにして、ミツカはごまかすように笑った。
乾いた笑いになってしまったことは、ご愛嬌だ。
それから、アキトとミツカが共通の友人たちにようやくか!と祝われるのも、手をつないでどこまでも時を共にしていくことも、そう遠くない未来のことである。
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幼馴染強化月間(勝手に)ということで、今回も幼馴染をば。
どうも、鈍いヒロインとちょっと危ない思考に走るヒーローというのが好きみたいです。
前作前々作といい、ヒーローがちょっと病んでる感じですが、そこがポイントです。