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会話をしたり、しなかったり

……何か筆がのった

 よくもまあ、ここまでよく分からない生き物ができたものだ。男の抱いた少年への感想の内、大半を占める意見は大凡そんなものだった。


 かつて感じた中でも上から数えて十指といえば言い過ぎだが、百の内では確実に上位に入る気配の殺し方。まさかそれが目の前にいる齢七の少年の独学故に身についたものだとはまさか男も想定していなかった。


 しかもそんなに気配を殺すことに優れた人物が、元から相手を殺すことでは無く、取引するために観察しようと技量を発揮するといった妙なアンバランスさがまた男の感想に拍車をかけた。


 今まで大陸中を回って戦いに明け暮れる人生の中で経験した敵の内、ここまで隠密の技術があって商取引を目的にしている奴は未だにお目にかかったことが無かったが、どうやら自分は今回そんな珍しい相手に遭遇したらしいと自分を見舞う新しい奇妙な星回りに少々どころではない感慨を抱く。


 そんな男の評価を受ける少年は目の前でゆっくりと男に渡された干し肉を齧っていた。


 その姿は男が今まで見てきた奴隷の例に従うことなく、急いで食べなくてはそれを失ってしまうとがっつく様子がない。ただ淡々と自分の体が受け付ける範囲で食べ続けているといった様子であり、長期の絶食や断食の後は胃腸の働きも弱くなり、目の前に食事があるからと言ってすぐにがっつけば、あっという間に戻すか体を壊すかするのだが、それを言われずとも知っているかのようにゆっくりと食事をとる。


 しかもそれが明らかに欠食であった子供が自覚無くするのを見て、この子供が一体何なのかということの不思議にますます頭を悩ませることになった。


「おい、餓鬼。お前はなんで他の奴みたいにがつがつ食わないんだ? どう見ても腹が減って死にそうだって体をしてるだろ」


 本来は聞く必要も無いし、尋ねる必要も無いことなのだが、男は少年がいったいどんな反応をするかということを確認したくて尋ねてみることにする。


「……? がつがつ食ったら体を壊すからだけど。がつがつ食えっていうのならこれは取引に関係なくただでもらったものだし、あんたに従うよ」

「いや、いい」


 首をかしげて帰ってきた反応は、半ば以上予想と違わなかったとはいえ、男に驚きを感じさせるものだった。まさかこのどう見ても齢十に満たない子供がしっかりと自分の肉体の状態を認識でき、しかもその上でがっつきたい欲求を抑えきって普通に食事してようことなど予測がつくものではない。


 ただ目の前の事実を信じないなんていう愚挙を犯すほどに男は愚かでは無かったので、事実を事実として受け入れる。そもそも男もそういった自分の体の状態を把握することなど物心ついてからずっと意識してきていることである。あまり驚く技術でもない。


「なあ、餓鬼よ。お前名前はなんて言う? 一応これからお前の言う通り取引に入ってもいいと思うんだが、互いに名前も分からないじゃ呼びにくいったらねえからな。取引を持ち掛けたお前の方から名乗れ」


 得体は知れないが、目の前にいてしっかり観察すれば子供が百回襲ってきても百回返り討ちにできる実力差は簡単に把握できたので男も警戒の段階を一段階落とした。それでも水準としてはいつもより随分と高いのだが、年に不相応な実力を考えればそれも妥当であると警戒を落とす気もない。


 子供は堅い干し肉を齧るのを止め、男の眼を見て停止している。一秒、二秒、三秒……気が長い人間であっても、我慢しきれないような長い時間が経ち始めるので、あまり気の長い方ではない男にとっては苛立つばかりである


 しばらくすれば気が立って胡乱な目で子供に殺気をぶつけてみるのだが、子供は停止したまま動かない。まさか殺気で硬直するほど神経が細いわけでもあるまいし、あまりに長い停止に男の感情にも苛立ち以外に不審や疑念が混じり始める。


「……おい。なんとか言えよ」


 男の再びの追及に、ようやく少年も返事をする……と思いきや腕を顎に当てて何やら唸り始める。


 名前をいうことの何が難しいのか。それとも何か不味い身分があって取引を止めようと思案しているのか。予想ならいくつも思いつくが、そういった濁った事情に敏感な男の嗅覚が反応しないので、もっと他のことだろうと当たりをつける。


 しばらく少年は悩み、やがて言い難そうにおずおずと口を開く。


「……十三号?」

「はあ?」


 名前を聞いているわけであって、別に番号なんて聞いちゃいない男にとっては疑問しか浮かばない声だったのだが、その回答を聞いた後にしばらく経って何となく予想がついたので確認のために聞いてみる。


「餓鬼。名前って何かわかるか?」


 疑問調で聞いた男の質問に、今度はすぐにこっくり頷いて返答する。


「他人からの呼ばれ方」

「……はあ」


 思った通りの回答に男は今まで覚えていた怒りを忘れ、大きな大きなため息を吐いた。

















 問題なのは、断片的に知識と経験を積んでいることにある。男は少年としばらく会話して、そのことをよく理解した。


 生きる知恵、サバイバル技術、戦いの技術、相手と話す言語能力。ここら辺にはあまり問題は無い。

 会話方法、一般常識、説明力。ここら辺がものすごく問題ありだった。


 具体的に言えば、人との話し方や距離の取り方が分かっていない。

 ある程度の単語の意味や基本的な会話の仕方の要点は押さえているのだが、本当に基本的なことを全くと言っていいほど理解していない。


 特に名前なんて、最初は「もう覚えていないから十三号がぴったりだと思って」というほどには常識が欠如していた。


 無論のこと、常識などにてんで価値を見出していない男であってもあまりの常識外れっぷりに思わず会話の基本やら常識の基本やらを数十分にわたり説明するほどの次第になったのである。


 これでよく取引という概念を知っていたものだと呆れたが、聞いてみれば何のことは無い。偶々彼の元の持ち主であった傭兵がそういうことを良くしていただけどいうことであったそうだ。


 なんでもそうやって相手が警戒を解いた隙に、隠していた武器で気づかれない様に殺すのが手口だったとか。


「……お前まさか最初からそうしようとか思ってなかったよな」

「一目見れば殺せそうかくらいわかる。俺じゃあんたを殺せないからやらない」


 だったら殺せそうだったらやったのかと突っ込みたかったが、あまりにも正直すぎる回答に毒気を抜かれた男である。やる気も起きないし、何より特段殺す必要も無い相手を殺さないといけないほどに切羽詰まっているわけでもない。


「今度からはまずやろうとするなよ。それは同業者の間じゃ、信用を落とすとして最も嫌われてる行為だからな」

「分かった」


 念の為釘を刺しておけば素直にうなずく子供である。本当に厄介な子供であり、一体何をかんがえているのかと疑問を持てば、ひらひらと舞っている蝶の姿を眺めている様子を見て、一秒後にいうか何も考えていないなこれはとすぐに理解した。


 何となく内面を勝手に想像して勝手に失敗しそうな気にさせられるかなり厄介な子供であるが、意思疎通ができる分だけ今まで拾った子供よりましである。


 ついでに言えばこの子供は拾う必要も無く、ただの取引相手なので特に斟酌する必要も無い。


「小僧。取り敢えず取引の前に手前に二つ選択肢をやる。拒否権はねえぞ、これが無いと取引にならないからな。まず一つ、俺に名前を付けさせること。もう一つは自分で名前を付けることだ。どっちがいい」

「う~ん。取引の為には名前がいるんだよな」

「そうだ」


 感情を乗せずに答える男を前にして、少年はしばらく首を傾げた後に、困ったようにして頭を掻く。


 もう何度目になるかわからないが、気の短い男にしては破格といってもいい忍耐力で少年の回答を待つ。

 やがて少年の口から出てきたのは、名前の宣言では無く、一つの名前への質問だった。


「あんたの武器は何て名前なんだ? 出来ればその剣と同じ名前がいい」

「……ちょっと待て」


 いきなり歯切れの悪くなる男に対し、またもや少年が首をかしげるがそれに構っている暇は無いのだ。


 それも何も男の剣の銘はエルファジストというのだが、これは彼がかつて人生において一度だけ惚れたことのある人物の名前を勝手に使っているのだ。


 地方によって剣につける名前というのは様々なものがあるのだが、男のいた場所では惚れた恋人の名前か女房の名前を剣につけるのが一般的で、男の大剣もその後多分に漏れなかった。


 流石にこの名前は女名でもあるし、人聞きも悪いし、何より教えたくないという抵抗が強い。


 かといって名前を決めろといった本人が剣の名前を嘘をついたり、だますような真似をするのは些かどころでなくみっともない。


「……悪いが名前を明かすことは出来ない」


 故に、なんとか絞り出したのはこの一言で精一杯だった。


「え? そうなのか。綺麗な大剣だったから名前が欲しかったんだけど……それなら仕方ない」


 邪気無く告げる少年の一言が的確に男の精神を穿つが、あまり人と会話しなかった少年はそのことに気付かない。


 じくじくと胃が痛むような心地に男が堪えていると、少年は今度はすぐに次の質問を飛ばす。


「さっき渡した白い鳥の名前は?」

「あ、ああ。それならアササギという名前がついてるが……」

「じゃあ俺の名前は今日からアササギだ。よろしくな」


 それだけを告げる少年。特に動かず、特に表情も変化しない。今日の天気を告げるほどに唐突で気楽な宣言。


「オルムス・リグナイヴァだ。ただのしがない剣士だが、取引が終わるまでよろしくな」


 男――オルムスはまず最初に、少年に自己紹介の時は握手をすることを教えることにした。


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