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かいこーさん

体力が復活してきたのでちょっと筆遊び

 少年が自分でも知らなかった突然の身の内に潜む衝動に任せ、鳥の肉体を喰らってから二時間が経過した頃。

 一人の男が一匹の熊と対峙していた。


「ぐるがぁぁぁあごるうぅぅぅ!!」

「……」


 身に纏う服装は動きやすさを優先した防御力の期待できない革製の上下。右手に構える武器は百七十センチほどのありふれた体躯に見合わぬ一メートルを超える幅広の大剣。


 大凡二十歳を超えるか超えないかといったような風貌の青年は、その若さに見られるような弱気や地震の無さは一切見られず、油断なく目の前の熊を見つめている。


「ぐがあぁぁぁぁあ!!」


 しばらくの停滞の後、熊が動く。その踏み込み、予備動作の少なさ、振り上げた腕の攻撃の鋭さは実に精強であり、いかに筋力が優れた人間でも早々に受け止めることは出来ない脅威の一撃だ。例えここで正教会の重厚な盾を非凡な技術で扱うことで有名な聖騎士たちがいたとしても、簡単に吹き飛ばすようなそんな威力だ。


 無論、その攻撃には目の前にいる男を吹き飛ばし、破壊し尽くすに足る十分な威力があった。


 自分を十回殺してもおつりが来るような脅威を前にして、しかし男に慌てる様子は見られない。


「――――――っは!」


 なんとしても相手を斬ろうという気迫では無い。単純に自分の身の丈に合わない大剣を振るうために必要な筋力と膂力を得るための呼吸法に従った呼気を放ち、前方正眼に構えていた大剣を自分の方に引き込むようにして両手に構える。丁度振り下ろされる左斜め上方からの熊の腕の一撃に対し、迎え撃つようにして刃の部分を攻撃の軌道上に添えた。


 誰がどう見ても無謀な受けの姿勢を取った男。熊の目には男の大剣を砕き、そのまま骨を粉砕してぐちゃぐちゃに潰した未来が垣間見えたことであろう。


 だがドガン、という硬い物同士がぶつかり合った硬質な音の後に残ったのは、爪が半ばから折れ、驚愕に体の筋肉を硬直させた巨熊と、未だに元の態勢で剣を構える男の姿であった。


 今の今まで、自分が振るってから破壊と暴虐の限りを尽くしてきた自身の右腕が、その意志に反して完全な粉砕を起こす。圧倒的強者の立場に安穏と構えていた熊にとって、目の前の光景は信じられなかった。


 思わず停止する体。戦いの中で致命的な隙。勿論そこを見逃すほどに、熊に対峙する男は甘くない。


 両手に構えていた大剣は受けると同時に自身の右側方に動かし、天を衝くような構えから一瞬。鈍い銀光を反射する刀身の軌跡のみを残して大剣は袈裟懸けに振り切られる。


 コマ落としのように地面すれすれで大剣の切っ先を止め、そのまま背中の鞘に納刀する。といってもその大剣にはまともな形の鞘では無く、刀身の中央を革製の帯で止めることで不慮の自体でもすぐに抜刀出来るように作っている特注の鞘だ。こんな鞘ではむき出しの刀身はすぐにでも刃が欠けて切れ味が鈍りそうなものなのだが、特殊な金属と鍛造法で作られた大剣の強度と男が常に大剣を意識した動きができることも相まって、鈍い光を反射する刀身には戦いにおいてついた傷以外、何一つ武器としての価値を損なうものは無い。


 男が大剣をしまってからしばらくの後、それまで停止していた熊の巨体には斜めに切れ込みが入りゆっくりと上下にズレ始め、やがてすっぱりとした切断面をあらわにしながら二つに分かれて地面に落ちた。


 仮にその圧倒的重量と刀身の強度によって叩き切るという使い方を目的とされた大剣を振るうのならば、厚い筋肉と頑丈な骨格に支えられる熊の巨体を斬れば、辺りに重厚な音が響いたはずだ。だが男が大剣を振り切るまでの間、風によって森の木の葉がさざめく以外は一切の無音。お世辞にも切れ味に優れた武器では無い大剣を使っての剣撃は、見事というほかない太刀筋によって噴き出す血すらもゆっくりと回避できるだけの余裕を男に与えるほどだった。


 そして見事なまでの一太刀で熊を沈めた男はといえば、今しがた襲ってきた熊のことなど眼中にあらずといった雰囲気で森の奥へと更に進む。その表情には戦いの高揚も勝利への安堵も何も浮かんではおらず、呼気に荒れたところは無く、皮膚の表面に汗の一つも浮かんでいないことから、熊を真っ二つに両断したことなど些末な些事としてしか認識していないことが窺える。


 実際に一振りいつものように剣を振るうだけで終わってしまった戦闘であったので、些末事以外何物でもないのだが、本来こう簡単に熊を倒せるものかといえばそうでもないのが現実である。


 これが常人であれば、長い毛で覆われた体表は硬質な鎧にも等しく、熊の体躯ごとそれを断ち切ろうとすればあまりの抵抗に硬質な筋肉に大剣の半分もいかないうちにめり込んで止まるだろう。体の表面の多くを脂肪と筋肉でおおわれた熊には並大抵の攻撃は通用せず、引き抜くことも出来ない大剣を持ったまま、次の瞬間とんでくる一撃で脆弱な人間の肉体などあっという間に壊されていたはずだ。


 信じられないほどの鋭さを誇る一撃と絡みつく刀身への抵抗を振り切るだけの有り余る威力。それこそが容易く鉄の体毛を断ち、脂肪の壁を通り抜け、筋肉と骨格の鎧を砕き、それでもなお大剣に傷一つ無く戦いを終結させるだけに必要な最低限の条件だ。 


 決して恵まれているとは言えない男の体のどこにそんな力があったのかは不明だが、間違いなくそのありえないほどの一撃を放ったのはこの男である。そしてそれほどの攻撃を、まったく意識した気負った様子も見せずに放てるのがこの男の実力だ。底の見えない強さ。仮に見ているものが居ればそのあまりの偉業に戦慄を隠せないだろう。


 熊と男の序盤の対峙は、恐らく熊のその野生動物ゆえの本能に従って目の前にいる落ち着いた行動しかしない男が強敵であるという判断の下、警戒して容易には手を出さなかったのだろうが、だというのならば熊は逃げの一手を選択するべきだった。それほどまでに男は強く、その実力の片鱗すらも垣間見せることが無かった。


 そんな実力者の男の歩みがふと止まる。今の剣撃一つからしてあり得ないほどの技量を示した男であるから、その他にある周囲の感知能力も生存本能による勘の鋭さも優れた五感から与えられる情報の判断力も人間にしてはあり得ないほどに高い。そんな男の張った警戒網の中に、危機といえるだけに足る存在が居ることを敏感に察知したのだ。


「誰かいるのか? 居るのだったら出て来い。三秒以内に出てこなければ敵対行動をとるものと見做して攻撃する」


 無造作に告げられる言葉には一切の緊張は無い。莫大な戦闘経験とそれを生き抜くだけの実力に支えられた者だけが持つ覇気と強者の風格に溢れた男の声には、しかし一切の慢心も驕りも感じられない。


 出来るから斬る。それだけの事実を淡々と告げる作業のような単純さが声には含まれていて、それが殺気などの気迫が含まれてはいない分、余計に聞く者に現実味を感じさせる宣告となる。


 瞬間的な動きを邪魔する筋肉の硬直と緊張は一切ない。そこに確実に相手がいることは長年の経験からわかっており、それが言葉の通じない野生の動物では無く、人間や亜人のようにしっかりとした言語を持つ存在であることは感じる気配の違いから男には分かっていた。


 だがさて、それでもどうやらまともな人間に近い気配では無い。周囲の音にまぎれ、呼吸を殺し、こちらを見ている視線を感じさせない気配の殺し方には並外れた技量を感じさせるものがある。男の感知した僅かな気配に含まれる違和感が無ければ、それがこちらの隙を窺うだけの野生動物と大差ないと流してしまいそうになるほどに、相手の気配の殺し方が上手かった。


 逆に言えば上手すぎた。それこそ驚異的な実力を誇る男が、常の通りに慢心なく警告を発するほどに。


 心の中で二秒ほどを数え、三秒が経った瞬間に感じられる僅かな気配を頼りに斬り込む容易をしていた男は既に、半ばまでその存在が出てこない事を確信していた。今までその実力と強さ故に立ててきた功績に、それを恐れた雇い主、同業者、レギオン、ギルドから幾度もの暗殺者や刺客を向けられ、その悉くを返り討ちにしてきた男であるから、こういう時に一流の暗殺者が決して外に出て来ないことを知っていた。


 だから半歩遅れた。突然茂みをがさりと揺らし、素直にそこから出てきた子供の姿を見て。


 どこにでもいるような普通の体格をした少年。しかし体に纏う服は既にぼろきれといってもいいほどに損耗しており、あちこちに見える皮膚の上には鞭や拳による打撃痕がみられ、さらにはその頭にある伸び切ったぼさぼさの髪の毛は色素の抜けきった不自然な白髪である。


 それだけを見れば性質の悪い主人に非道な扱いを受ける憐れな奴隷だが、その子供の真っ赤な瞳と視線を合わせた男は、子供がそんな木端のような存在でないことをすぐに理解した。


 これはどんな生き物でも対等で戦いの世界に生きるということを知っている人間の目だということを余すところなく理解する。男がそうであるが故に、目の前にいる子供が戦うとなれば一片の容赦も慈悲もなく戦うことができる存在であると。


 そんな危険な輩を見ればさっさと戦って勝利を手にするのが男の持つ方針の一つであったが、この子供は測ったように三秒以内にこうして姿を現した。ああして文句をうたい上げた男の前に姿を晒した以上、この少年には敵対の意思がないということであり、口約束であろうとも、信用がすべてである世界に身を置く男にとってはここで先制して攻撃するのは唾棄すべき行動であると己を律した。


 故に問う。


「おい餓鬼。お前は何者だ? 何のために俺を見ていた?」


 乱雑な聞き方の中に触れれば切れるような切れ味の刃を隠しながらの男の問いに、それが確かに分かっているであろう少年は特に怯む様子もなく言葉を返した。


 その手に持っていた血抜きした白い鳥を前に差し出して、


「……服か武器か何かがあったら、これと交換してほしい」


 そう告げた。


 それを聞いた男はしばらくの沈黙の後、


「はあ?」


 と呆れたような声を上げる。


 少年と男の第一次接触はこうして終わった。

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