妹の願い、彼女の決意
見慣れたベッドに愛しい妹。ベッドの側ではピッピッピッと機械が規則正しい音を立て、音を出さない機械も作動を示すように明滅している。
たくさんの点滴と酸素の管。
目を閉じた妹は、眠っているのか意識がないのかわからない状態だった。
妹の側には、妹が好きなキャラクターのクマのぬいぐるみと集めていたキーホルダーが並んでいる。そして妹の、そして彼女の母でもある女性がベッドにうつ伏せ眠っていた。
「お母さん…」
彼女の卒業式の後直接来たのだろう。スーツは彼女と別れた時のままだった。
「やっぱ、この子か」
彼の小さな声が聞こえる。気付けば彼は妹の顔を覗き込んでいた。
顔には先ほどまでの笑顔はなくなっている。妹を見つめるその横顔に、彼女はどきりとする。
「妹ちゃん、意識はあるのか?」
彼女に向き直る彼に、彼女はふるふると首を振る。
「日によって違うみたいで…。調子がいい時は話もできるんですが」
そう。日によって変わるのだ。今日の体調は、声をかけてみないとわからない。
「ちょっと待っててください。今、呼んでみるから」
彼女は妹の側に立つと、母を起こさぬよう小声で妹の名を呼ぶ。すると、妹の瞼が震え、ゆっくりと目を開けた。
「おねえちゃん…?」
彼女は安堵の息を漏らす。
「おねえちゃんね、見つけたよ。キラキラした世界の入り口」
妹の目が見開かれ、口がパクパクと動く。ほんとに?と言っているようだった。
「ここからちょっと遠いんだけど、お姉ちゃんが必ず連れて行ってあげるからね」
彼女は微笑んだ。本当は無理かもしれないのはわかっていても、そう言わずにはいられなかった。妹は少し口角をあげゆっくりと頷く。緩慢なその動きは、妹の命の火が弱まっていることを彼女に思い知らせた。
「ちょっと、俺のこと忘れてない?」
唐突に彼が二人の間に割って入る。妹は彼のことを知っているようだった。掠れた「おにいちゃん」という声が彼女の耳に届く。
「久しぶりだな。おまえのねーちゃんに聞いたぞ。また道に行きたいって言ってるって」
妹はゆっくり頷く。心なしか頷くのさえ、辛そうだった。
「俺が、連れて行ってやるよ」
彼の言葉に彼女は彼を振り返る。
振り返った先には、彼と、あの闇に浮かぶ光が瞬いていた。
驚いて妹を見る。妹は目を見開き、そのキラキラとした世界を眺めていた。その目から涙が零れている。
部屋が、あの世界に包みこまれたようだった。
それから1週間後。
妹は眠るように息を引き取った。
最後には両親の希望で全ての機械が取り除かれ、父と母に抱きしめられながら旅立った。
彼女も妹の手を握りながら、その温もりが弱くなっていくのを感じ、涙した。
妹を失ってから、彼女は無気力になった。母と一緒に毎日泣いた。
妹の所に行きたいと何度も想った。
それでも、彼女はわかっていた。前に進まねばならぬことを。
妹の葬儀が終わってから、中々家を出ることはできなかったが、ある日彼女は決意する。
あの神社にもう一度行くことを。
外では春の風が吹き、小鳥がさえずっていた。
彼女はふらふらと歩きだす。妹が好きだったクマのキーホルダーを握りしめて。
もうすぐ咲くのであろう、つぼみを膨らませた桜並木を抜け、あの神社の鳥居をくぐる。
ここにくると、あの日が鮮明に蘇る。痛む胸を押さえて階段を上った。
拝殿の横を抜け、鎮守の杜の小道へ入る。
彼と共に歩いたはずの藪道を進んだ。
いくら歩いても、どこを探しても、あの小川も奥宮も見つかることはなかった。
探すのを止め、彼女は神社の人に尋ねた。奥宮はどこにあるのかと。巫女の衣装を纏った女性は不思議そうな顔をしながら、奥宮などないと答えた。
諦めて、彼女は階段まで戻る。
そこから見えるのは、彼女の愛した妹の眠る町。
町は夕日色に染まっていた。
握っていたぬいぐるみキーホルダーを眺める。
ずっと一緒だからね。
今はいない妹に届ける言葉。
大好き。大好き。大好き。お姉ちゃんは、ずーっと一緒にいるからね。
吹き始めた風に紛れて、妹の声が、聞こえた気がした。
桜が舞っている。
満開の桜並木を抜け、彼女はあの鳥居をくぐる。
長い階段を上ると振り返った。
彼女の住む町が見える。
彼女が生きていくと決めた世界を光が照らしていた。
新しい制服の襟を直すと、彼女は参道へ足を踏み出す。
彼にはあの日以来会っていない。気付けば病室は病室に戻り、彼はいなくなっていた。
けれど、彼女は確信している。
彼にまた、会えることを。
その時こそ、妹の分までお礼を言わねばならない。
そして…。
彼女は空を見上げる。
一瞬、あのキラキラした世界が垣間見えた気がして、彼女は笑みを零した。
終
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。