導く彼
彼は彼女を連れて、本殿に入る。すぐに目に付いたのは、直径1メートル程の真っ黒な丸いガラスの周りに石が積んであり、しめ縄が石の上にかけられたものだった。
「これがここのご神体だ。そしておまえの探しもの」
ぼんやりと黒いガラスを眺めていた彼女は、言われたことを理解するのに時間がかかった。
「でも、妹は小さい穴だって。建物の中じゃなくて外にあったって言ってたから…」
「妹ちゃんはもしかして2年くらい前にここでかくれんぼしてた子か?」
彼女はこくりと首を縦に振る。彼は納得したように二、三度頷いた。
「やっぱあの時の子かあ。あの時はちょうどこの入り口を囲ってる結界がほころんでて、なんでか下の宮にちっちゃい入り口ができちゃってたんだよなー。もう、埋めたからなくなってるけど」
彼女は納得した。妹が『もう行けない』と言っていたのはそのせいだったのか。
「さて」
彼は彼女に向き直る。
「探し物は見つかったけど、どうする?」
彼はあの、いたずらっ子のような目で彼女を見る。彼女は戸惑っていた。
妹にすぐに知らせてあげたいが、ここに連れてくるのは難しいだろう。どうやって連れてくるか。その前にまず、本当にこの石に囲まれたガラスは妹の言うキラキラした世界につながっているのだろうか。ただの、ガラスなんじゃないだろうか。
そんな彼女の思考を読んだかのように、彼は彼女に訪ねた。
「一回、見てみるか?」
おれも一緒に行くから、と。
彼女は考える前に頷いていた。
彼は再び彼女の手を取る。
「このガラスみたいなの、見た目だけだから。上乗ったら水みたいに沈むから気をつけろよ。あ、でも息はできるからなー」
じゃ、行くか。そう彼は言って、石のすぐ側に立った。
彼女も緊張した面持ちで彼の隣に並ぶ。
「せーのでジャンプしてそこに着地な。じゃあ、せーのっ」
彼女が頷くのを確認して、彼は合図する。そして、二人は黒いガラスの上に着地した。
次の瞬間。
ガラスに波紋が広がり、二人は吸い込まれるようにあっという間に沈んでいった。
目を閉じて、水のような、空気のような不思議な感覚を味わう。目を開ける勇気はなかった。
彼の手だけが、信じられるものだった。離さないように強く握る。握り返してくれるのが嬉しかった。
しばらく不思議な感覚を味わうと、ふっと何かを抜けた感じがした。足に地面の感覚が伝わる。
恐る恐る目を開くと、彼の心配そうな顔が目に入った。
大丈夫、という意味を込めてほほ笑むと、彼も安心したように笑みを返した。
彼はふと空を仰ぐ。
彼女もつられて空を見た。
そこには、闇の中に浮かぶ無数のキラキラとした光が瞬いていた。近くのものを見て、それが大小様々な球であることがわかる。大きなものは大玉くらいの大きさがあり、小さなものはビー玉くらいの大きさだった。まとう光がゆらゆらと揺れ、ゆっくりと明滅している。そしてその球もゆったりと移動していた。
「きれい…」
あまりの美しさにため息がこぼれる。
「きれいだろ。あれは一つ一つが世界なんだよ。それぞれがそれぞれの色をして光ってる。たまーに光らなくなるやつもあるけどな」
彼が隣で囁くように教えてくれた。
嘘なのかもしれない。そう思いながらも、彼女はその言葉を信じた。
すっと頬に手を添えられて、はっと我に帰る。
「また、泣いてる」
彼は彼女の涙をぬぐいながら言った。彼女も自分の頬を流れる涙に気付き、慌てる。
「ごめんなさい。悲しいとかじゃないんだけど、なんだか感動して…。妹が言ってたキラキラした世界ってこのことだったんだと思うと、見つけられたのが嬉しくて…。ごめんなさい…」
拭っても拭っても流れる涙は、しばし彼と彼女の時間を止めた。
彼女の涙が乾く頃、彼は一歩踏み出す。
彼女はその時初めて、自分が立っている地面が半透明の青白く光る道であることに気がついた。
「ひゃっ!」
下を見ると足元が思った以上に透けていることに驚き、彼女は思わず彼の腕に掴まる。
「どした?」
「し、下見てびっくりして…」
「ん?あ、そっか。最初はそりゃびっくりするよな。大丈夫だよ。過去この道を通ったやつで道が崩れたことはないし、そんなこと俺がいる限りあり得ないし」
「どこからそんな自信が…」
言いかけて、彼女はこれまでの彼の行動を思い出す。
案外、彼ならそうなのかもしれない。そう思わせる何かがあった。
「そいじゃ、行くか」
彼は腕に彼女をくっつけたまま歩きだす。彼女も必然的に共に歩きだした。
「おまえの妹は、確か道だけ見て帰ったなー」
懐かしそうに彼は話す。
「道だけ?この先に何かあるの?」
「そう、道だけ。この先には行かせなかった。まだ教えるには早かった。この先は…ま、見てからのお楽しみってことで」
彼はそう言って笑う。その笑顔に、彼女は不思議と頬の熱が上がるのを感じていた。
「もうすぐ見える」
彼がそう言った途端に目の前が突然開け、温かな白い光に包まれる。
光に慣れて目を開けると、目の前に大きな扉がたたずんでいた。
「大きい…!」
扉は白い大理石のような石でできており、両開きタイプで、今は閉じていた。扉の真ん中には同じく白い錠がかけられている。錠にも扉にも、見事な細工が施されていた。その扉の前に、黒いテーブルのようなものが置いてある。
「これ、ドア?」
「んー、ドアって言い方あんまり好きじゃないんだよなー。俺たちは『扉』って呼んでる」
「とびら…」
彼女は再び扉を眺める。この扉はどこに続いているのか。聞こうと彼を見上げるのと彼が言葉を発するのは同時だった。
「この扉は、おまえが行きたい場所に続いてる。おまえが願う場所にな」
「願う…場所…」
真っ先浮かんだのは妹の病室だった。それ以外、今の彼女には浮かばなかった。
「もう決まってるみたいだな」
「うん…」
「じゃ、行くか」
彼は彼女の手はそのままに、ゆっくりと扉へ向かう。彼女も同じ速度で彼に続いた。途中テーブルの隣りを通り過ぎる。それが実は扉と同じ白い石でできており、グラスのような形をしていることに気付いた。彼女は思わず足を止める。
「これって…」
「これは台座って呼んでる。ここの上に世界を留めるんだよ」
彼が説明してくれるが、彼女にはさっぱりわからなかった。
彼が進みだしたので、彼女は慌てて歩きだす。
扉の前にたどりつくと、彼は立ち止まる。そして、扉を見上げた。
すると、扉の光が一瞬強くなり、ガチャリと重い音がして錠が開く。そしてゆっくりと扉が開き始めた。
「開いてる…」
彼女は目を見開き、あっけにとられてその様子を眺めていた。隣で彼が面白そうに彼女を眺めていることにも気付かない。やがて完全に扉が開くと、彼は歩きだした。開いた扉のの向こうには、あの光る球の表面のように、赤、黄色、ピンクなどの光がゆらゆらと揺れている。
「これ、大丈夫なの?」
一抹の不安を覚えた彼女は、彼に尋ねる。
「あー、大丈夫。この色的に向こうに危険はない」
彼は安心させるように頷くと、扉をくぐった。一緒に足を踏み出した彼女は、あのガラスに飛び込んだ時のような、不思議な感覚に陥る。
目を閉じて、再び開けると見慣れた部屋に立っていた。