探す彼女
彼女は穴を探していた。
それはキラキラと光る世界への入り口。
「どこにあるの。あの子はあるって言ってた」
彼女には大切な妹がいた。今年小学生3年生になる妹。
妹は、不治の病にかかっていた。
なんとなく風が肌寒くなった頃、病床で妹は彼女に言った。
『おねえちゃん。わたし、もう一回でいいから、キラキラしたあの穴にはいりたい」
彼女は始め妹が何を言っているのかわからなかった。夢と現実の境が分からなくなったのだと悲しくもなったりした。しかし、よくよく話を聞いてみれば、自宅の近所にある神社で皆でかくれんぼをした時に見つけたのだという。穴は小さいが、中には長い道が続いて、空がキラキラと光っていたそうだ。
そういえば…と彼女は思う。何年か前、かくれんぼで妹が見つからないと近所の子たちが知らせに来たことがあった。呼んでも呼んでも出てこなかったと。その後一緒に探しに行くと、ひょっこり出てきて何事もなかったような顔をしていた。二人で手をつないで歩く帰り道。その時私に言ったのだ。『きれいな場所に行ってたの。でもね、もう行けないんだって』
それ以上詳しいことは教えてくれなかった。彼女も何事もなく無事に帰ってきたことにホッとして、知らない人に付いていかないよう注意し、その時はそのまま何事もなかったように過ぎ去った。
あの時か。彼女は思い当たる。それからというもの、学校帰りには神社により、穴という穴を覗いてみいるものの、全くそんなものは見つからなかった。
季節は本格的に冬になり、雪が降っても彼女は神社を訪れていた。一日でも逃すのが惜しくなっていたのだ。彼女が通う中学が最後のテスト期間に入ってもそれは続いたが、見つかるわけもなく、日々は過ぎて行った。そうしていくうちに、妹の病状も思わしくなくなってゆく。
妹がほとんど眠って過ごすようになった頃、彼女は決意した。
今日で最後にしようと。
彼女は明日からを妹の側で過ごしたいと考えていたのだ。
そう、今日は彼女が中学の制服を着る最後の日だった。
一度足を止め軽く会釈をしてから鳥居をくぐり、階段を上る。石畳の参道を歩き、途中の手水舎で手と口をゆすぐと、拝殿へ向かった。
今日は、お賽銭を奮発して、500円入れる。卒業目前の自分にとって、500円はほぼ全財産だ。鈴をカランカランと鳴らし、二礼二拍手を行う。願うことは2つ。
妹の苦しみが少しでも和らぎますように。
妹が行きたいという、穴が今日こそ見つかりますように。
奮発したのだから二つくらい神様にはお願いを聞いてほしい。
よろしくお願いします、と深々と頭を下げ、その場を後にした。
もう何度歩いたかわからない鎮守の杜。ぐるりと神社を取り囲む森に一人で行くことに母はいい顔をしなかったが、今日までという約束で好きにさせてくれていた。
小道に沿ってぐるぐると杜をめぐる。木立に分け入り、木のうろを覗く。
「どこにあるの。あの子はあるって言ってた。必ず、あるはず」
気付けば杜の小道を一周し、社殿の裏に出た。社殿の下も腰をかがめて見て回る。
そして、目の前には先ほどお参りした本殿がそびえていた。
自分が鳴らした鈴を見た瞬間、涙がこぼれる。
見つからなかった。見つけられなかった。
あの子の願いを叶えられなかった。
とめどない涙を流し続けながら、彼女はそこに立ちつくしていた。
「おまえ、いっつも何か探してるよな」
男の声が聞こえた。
彼女は身構える。空は、夕焼け色から薄紫へと色を変えつつあった。
恐る恐る声のした方を振り返ると、高校の制服を着た男子生徒がこちらを見て立っていた。
制服に見覚えがあり、思わずつぶやく。
「紅架…高校?」
「お、うちの学校知ってんのか」
彼女はおずおずと頷く。紅架高校は、彼女がこの春から通う予定の高校だった。
紅架高校はこの辺では一番の進学校で、自分も頑張って勉強して合格が決まったのだ。決まった時は嬉しかった。だが、目の前の男子生徒は制服を軽く着崩し、色素の薄い髪を風に揺らしている。
自分のイメージと違う生徒に少し戸惑いを覚え、警戒心も強くなった。
「あー、警戒させちゃった?一応怪しいもんじゃないから。身分もしっかりしてっだろ?あ、ちなみにこの髪は地毛だから」
「え、地毛?」
「そうそう。よく間違われるんだよ。うちの教師にもよく言われるし。ま、もっと凄いのが今いるから俺はそれほどでもないけど」
いやー、参るよなーなどとぼやくその生徒と見ていると、流れていた涙は止まり、思わず笑いがこみ上げる。
フフッと笑みをこぼした彼女に、彼も笑顔を見せた。
「おー、やっと笑ったな。いやぁ俺さ、泣かれるとどうしたらいいかわかんねーから、ちょっと焦ったわ」
そして彼は彼女に再び尋ねる。何を探しているのか、と。
彼女は少しだけ戸惑うが、何か知っているかもしれない、と話し始めた。
妹が病気であること。その妹がキラキラした世界に通じる穴にもう一度行きたいと言っていること。
気付けば自分でも不思議なほどすらすらと彼に話していた。500円もお賽銭をしたのに結局見つからなかったことも含めて。
話を聞き終えた彼は、ぽんぽん、と彼女の頭を撫でた。
彼女は思わず彼を見上げる。気付かぬうちに縮んだ距離に驚きつつも、彼から発せられる言葉に目を伏せた。
「今まで、良く頑張ったな」
再び溢れそうになる涙を必死にこらえる。
「でもな、500円は無駄じゃなかったと思うぞ?」
え、と彼女は彼を見上げた。
そこにはいたずらっ子のようににやりと笑う彼がいた。
この神社に奥宮があるのは知ってるか?
あの後彼は彼女に言った。彼女はふるふると首を横に振る。
彼はやっぱりという顔をすると、彼女の手を引き歩きだした。ちょっと森ん中通るけどごめんなと言いながら。
普段の彼女であれば絶対にその手を振り払っただろう。
黄昏時に、名前も知らない人に手を握られ藪を進むなど、彼女の日常では考えられない。
だが、彼女は彼に促されるがまま歩きだした。
鎮守の杜の小道を脇にそれ、ずんずんと奥まで進んでいく。
彼の足取りに迷いはない。
あたりはもう暗闇に包まれていたが、不思議と怖くなかった。
彼の手が温かかったからかもしれない。
途中小さな小川があったが、彼はさりげなく彼女を助けてくれた。
恋人がいたらこんな感じなのだろうか。
日々を勉強と入り口探しに明け暮れていた彼女は、ふとそんなことを思い、赤面する。
繋がれた方と反対の手を頬に当て、頬の熱さに驚いた。
「足元気をつけろよ」
彼は階段を上り始める。彼女も後に続いた。階段の両端には燈篭が並び、ゆらゆらと蝋燭の灯が揺れている。無性に怖いと感じた。無意識に手に力を込めていたようだが、彼は安心させるように握り返してくれる。後ろからだと彼の顔は見えないが、今どんな顔をしているのか、少し気になった。
階段を上り終え、石畳の参道を歩く。間もなく奥宮本殿と思われる建物が見えてきた。
「着いたぞ」
彼はそう言って彼女の手を離す。離した手が涼しくなり、心にも一瞬寂しさがこみ上げる。
それを押し殺して彼女は言った。
「こんなところがあるなんて、知らなかったです」
「そりゃそうだろうな。ここ知ってんのは俺と、俺の友達と宮司くらいだと思うけど。それに、変なのが近づかないように仕掛けもしてあるしなー」
「仕掛け…?」
彼女は彼に問いかけるが、彼は笑ったまま何も教えてくれなかった。