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FREEDOM  作者: Hellmärc


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6/11

【ove one anoth あいしあおう】 5

 恋人の定義とはなんだろう。

 ユキは自答する。そうしていないと、どうかしてしまいそうだったから。

 愛し合っていることだろうか。身体を許しあっていることだろうか。言葉で承諾を得ているという事実だろうか。もっと単純に、互いが恋人だと認識し合っていることだろうか。


 彼に訊いてみたい。定義付けなんていかにも好きそうな議題だ。きっと幾つかの仮定を考え出してくれて、その反論まで述べるのだろう。でもそこに、ユキの欲しい言葉はない気がした。

 彼女じゃない。彼はそう言った。そこには「まだ」、という副詞が付いているのかどうかが重要だった。ユキはまだ愛を告白していない。好きだとは何度も言ったが、それは付き合って欲しいという明確な言葉の形を成していない。ただ好意を伝えただけだ。それ故にユキは夢想してしまう。あの言葉にはちゃんと告白して欲しい、なんて言外の言葉が込められていたのではないかと。

 希望的思考だろうか。言葉にさえすれば、彼は自分の恋人になってくれるのだろうかと考えてしまうのは。蒙昧な少女の妄想なのだろうか。


 彼を見上げる。全身でユキを捕食しようとするかのように覆い被さっていて、互いの性器は繋がっていた。いつものように甘い快楽が正中線に沿うようにユキを芯から揺さぶり、脳を痺れさせたが、意識が自分の身体から数ミリだけ離れているように虚しかった。

 夕飯は食べないで、一緒にお風呂に入って、服は着ないでベッドに向かった。一緒にいてくれる代わりに、それを求められているような気がしたから。その間にユキが何も喋らなかったことに、彼は違和感を抱かないのだろうか。


 何の違和感も抱かなかったのかもしれない。彼にとってはユキがいくら喋っても良くて、どれだけ無口でも関心がない。ただ大人しく性欲を受け止めていれば、他のことは些末な問題なのかも知れない。

 ならこの関係は何だろうか。恋人でないなら友達なのか、もっと弱く、先輩後輩の関係なのか。セックスフレンドなんて言葉が浮かぶけれど、それだけは許容できない。

 事実上そうであったとしても、そこには別の名称が当てられるべきだ。そうでないと自分は、心を保つことが出来ない気がした。

 何度目かの行為が終わって、休息の時間が訪れるとユキは瞼を閉じて、疲れ切って寝たふりをする。彼が寝てしまった相手を起こしてまで続けようとはしないことを、ユキは経験から知っていた。


「…………」


 髪を撫でられる。その手は暖かくて、そこに愛がないなんて信じられなかった。この慈しむように優しく髪を梳いてくれる手は、何を思ってユキの髪に触れているのだろう。

 愛がない訳ではないのだろうか、なんて考える。何か理由があって付き合えなくて、けれど愛情も好意も確かにある。そう考え出すと、それは疑いようのないもののように思えてくる。

 彼はしばらくユキの頭を撫でて満足したのか、小さな照明を付けると、持ってきていた本をヘッドボードから取って読み始めた。頁を捲る、紙の擦れる音が断続的に聞こえる。彼が頁を捲るのとユキの思考は連動しているみたいに、紙が擦れる音がする度に頭の中には様々な考えが巡った。


 嫌な考えばかりだ。ユキはそれらを、都合の良い解釈で否定していく。

 本当に好きじゃない? 好きじゃないとは言ってない。どうして彼女じゃないの? まだ告白していないから。あの夜にセックスしたのは間違いだった? あの間違いがなければ何も始まらなかった。どうして私に優しいの? 多少なりとも好意があるから。香水は他の子の匂いを隠すため? 単純に好きなだけだと思う。私以外にこういう関係の子はいるの? いたならもっと淡泊な気がする。ずっと騙されていた? 彼は嘘なんて吐かない。

 紙が擦れる音が、一際鮮明に聞こえる。


 ――――他に、好きな子がいる。


「やめて……」


 これ以上、考えさせないで。もう、頁を捲らないで。

 寝返りを打つように、彼の方へと身体を向ける。

 目が合う。その朽葉色の瞳と。ハーフみたいな色だ。でも訊いたら純粋な日本人なのだと言っていた。それも本当なのか分からない。大学の前でした家族の話も、ただ自分を安心させるためだけの嘘だったのかも知れない。

 違う。彼は嘘なんて吐かない。それだけは、恐ろしいまでに確信がある。蜘蛛が親に教わることなく、巣の張り方を理解しているように、本能としてそれが分かる。

 なら彼は、ただ訊かれないことを話さないだけ。


「ユキ、起きてたんだ」


 空寝だったことなんて知っていたような口ぶりでそう言ったあと、本が閉じられる。パタンというハードカバーと紙がぶつかる音が、寝室に響いた。

 ユキの裸体にかけられていたブランケットが、中途半端に剥がされる。それから彼はユキの下腹部に顔を埋め、決まった道筋をなぞるように舌を這わせると、時間が経って乾いてしまったユキの性器に舌が降ろされる。


「……やだ」


 初めての拒絶だった。今はそんな気分じゃない。両ももの間に顔を出している彼を見下ろせば、彼は小さく首を傾げていた。ユキがどうしてそんなことを言ったのか、理解できないというみたいに。

 今は駄目だ。今、彼を受け入れれば、それは快楽を与え合うだけの関係なのだと認めることになる。そうじゃない。そうではないはずなのだ。自分たちにはもっと深い、感情の部分での繋がりがある。そうでなければならない。

 しかし拒絶の言葉はそれ以上出てこない。ユキには彼をこれ以上否定することが出来ない。言葉が使えないのなら態度で示そうと、小さく首を振るが、それは自分が感じているときにする動作と大差がないことに気付いて、あまりに無為なことだと分かった。


 最初の行為の前に彼は、手や口で二度いかせてくれる。少なくとも一度はユキを絶頂に導いてから挿入した。その方が相手がより感じられると、多くの経験から知っているようだった。

 だから感じないように感覚を押し殺す。つまらないことを考えるようにして、興奮しないようにした。いつまでも準備が整わなければ、彼は無理矢理入れるようなことはしないから。


「ぁ、ぅっ……」


 しかしユキには我慢が効かなかった。抑えようとして抑えられるものではないと知った。それに犬のように自分の股を舐める彼を見ると、どうしようもなく興奮する自分がいる。クンニリングス中に、いっそ彼を犬か狼に変えてしまいたいと願ったことは数知れなかった。理性を捨てて、憂鬱なことを考えなくてもいい獣になれたならどんなにいいだろうか。

 ユキは唾液と愛液による水音が羞恥心を引き出すほどに濡らされ、強い興奮に促されるまま彼に抱かれた。自分から腰を動かしもした。うなじを噛まれながら後ろから突き上げられる動物的な行いを特に好んだ。


「好き……愛してる」


 うわごとのように何度もそう言った。何度も「オレも好きだよ」とは返ってきた。しかしただの一度も、愛してるとは言ってくれなかった。やはり、彼は嘘を吐かないのだろう。

 窓から入ってくる月明かりを眩しく感じる頃に、彼は寝た。ユキも疲れ切っていたが、眠くはなかった。考え事が多すぎるせいだ。

 寝静まった彼の白い腹を撫でる。薄く割れた腹筋にキスをして、嫌な好奇心が起き上がった。

 ヘッドボードに、本と一緒に置かれているスマートフォンを手に取る。普段からスマートフォンの画面を隠すような仕草は見せなかったし、メッセージだってユキの目の前で打っていた。それでもこの中には、ユキが欲している答えがあるのだろう。

 愛されていなかったとしても、この関係が自分一人なら耐えられる。いつか彼から愛を貰えるような自分になればいいのだから。


 手を持ち上げて、彼の指紋を借りてロックを解除する。二重パスワードでもないセキュリティなんて、大した意味がない。

 ユキは彼の写真フォルダを開いて、ゆっくりとスクロールしていった。

 最初は、幾人かの女性とのカフェやバーでの写真が見つかった。彼が好きなキャラクターの絵や、何故か酷いリストカットの写真もあった。しかし綺麗な腕を持つ彼のものではない。何枚かのデートのような写真に映る女性たちが、彼が出かけるときに会っていた相手だったのかも知れない。けれどどの写真でも、彼は退屈そうに、楽しくはないのだと表明するような表情で映っていたから、それはユキの心を掻き乱さなかった。


「なんで……」


 胸が痛い。強すぎる鼓動で身体に亀裂が入りそうだった。ユキは写真を見る。少し先にあった、とても素敵な写真を。

 笑っていた。ユキが一度も見たことがない笑顔で、本当に楽しそうに。これが彼の心からの笑顔なのだと分かった。今まで一度だって、自分の前では笑ってくれたことなんてなかったのだと知った。

 隣にいるのははにかみ笑いがとても可愛らしい、まだ高校生くらいに見える少女だ。四肢は細長く、ウエストなんかもモデルなんかよりずっと細い。信じられないくらい幼く笑うのに、写真によって目つきが強いこともあって、可愛らしい服装もクールな装いも全てが似合っていた。全ての服は彼女のためにデザインされているようで、将来美人になることが運命付けられているような女の子だった。


 画像がぼやける。涙が画面に落ちて、そこに映るあまりにも可憐な少女の姿を歪めた。

 嫉妬以上の感情が、ユキの心を劈く。だって腑に落ちてしまったから。別世界から来たような彼と、同じ世界観を生きているような子だった。そこに入り込むことなんて、この世界を生きる自分には不可能なのだ。


「……可愛いでしょ」


 息が止まる。写真を見るのに意識を向けすぎて、起きていた彼に気付くことが出来なかった。


「天使なんだ……オレの」


 彼もまた、写真を見ていた。愛おしそうに。この世界全ての愛を集めたって足りないくらい、呪いのような愛を瞳に籠めて。画面の薄明かりに浮かぶ彼の白貌と双眸には、泣きたくなるほどの優しさが見える。


「こんな子がいるなら、どうして……」


 どうして私なんかを。そう叫びたかった。だってこの子だけでいいじゃないか。写真の中の彼は充分すぎるほどに満たされていて、自分が世界で一番幸せな人間だと疑っていないような表情だった。むしろ自分が何を持っていないのかについて疑問を持っていそうだった。


「失ったんだよ……」


 小さく呟かれそれが、答えだったのだと思う。失ったという言葉がどこまでの意味を持っているのか、ユキには分からない。ただ写真を中の彼と見比べれば、今の彼は抜け殻のように見える。勝手にヒニルな人だと思っていたが、ただずっと、滅入っていただけなのだろうか。


「どうして……私を選んだの」


 理由が欲しい。彼女の変わりでも構わないと思った。自分では写真の少女との共通点なんて分からないけれど、どこかが似ていたのかも知れない。それで好きになってくれて、いつか失ったという愛がユキに芽生えてくれたのならどんなに良いだろう。

 ユキの問いに、彼は言葉を精査するように虚空を見てから、「訊いてどうするの?」と尋ねた。それは分からなかったから、そのまま「分からない……」と伝える。どうやらそれは彼にとって話す理由になる返答のようだった。


「オレは、嘘が嫌いだ。虚言を忌避している」


 知っている。それが由縁で、独特で透明な雰囲気があるのだと思っている。


「誰かに愛を告白されても、その気持ちに応えられない。それは無くしたものだから。でも君は、オレに告白しなかった。付き合ってだとか、恋人になろうだとか。そういうことを言わないから、この関係を続けられた」


 名前のない関係。そんな言葉が浮かんだ。まだ命名される前の、曖昧な繋がり。


「君を選んだのは、君が白百合だったから。オレはね、白が好きなんだ。純真だとか無垢だとか、それは白い言葉だ。蜜を吸うなら、初心な花が好きなんだよ」

「それだけ……なの?」


 違うと思った。嘘ではないけれど、それが本心ではない。彼はこの、全てが露顕した場面に酔っているような気がする。今言った言葉は随分前から用意されていたもののように、台本でも読んでいるように滞りがなかったから。

 尋ねられれば、彼は答える。彼が予想していたこの場でのユキの言動は、最低だと泣いて叩いたり追い出したりするか、ただ泣き続けるといったものだったのだろう。

 分かっていない。どれだけ貴方を見ていたのかを。


 彼は真っ直ぐにユキの目を見つめていた。けれどその目はユキを透過して、何か別のものを見ているような気がする。ユキはその透明な視線から目を離せなくて、瞬きだって出来なくて、乾いていく右目と、涙が溢れ続ける左目を不思議に思った。

 そうして彼は、きっとユキに初めて聞かせる、心からの言葉を紡ぐ。


「君の名前が……天使に似ていたから」


 笑えてきそうだ。実際は涙の量が増えただけだけれど、親から貰った名前でしか彼に見られていなかった自分に、嘲笑が零れそうだった。

 名前が似ているというだけの女に、どうやって愛されろというのだろうか。


「もういないなら……代わりにしてよ」


 安堵している自分に、ユキは気付いている。愛情の有無で暗鬱になっていたが、幸運なことにどうしたって勝てない相手は、もう彼の側にはいないのだと分かって、心底喜ぶ自分がいる。けれどユキは、言葉を間違えた。


「代わりなんていないっ……」


 ずっと、凪のような静かな話し方だったのに。声を荒げたのも、また初めてだった。あの日の夜のように、今夜は初めてばかりだ。

 写真の少女に代われるほど、自分に魅力があるだなんて思えもしないのに。どうして代わりにしてなんて言えるほどに、楽観的になれたのだろうか。

 彼は片手で顔を覆っていた。露出する感情を見せまいとしているように。心が乱れた証明である涙を隠しているのだろうか。何故か達観したように彼を見ていたユキは、彼は私のために涙を流すだろうかなんて考える。死んだ時くらいは流してくれるかも知れないと思った。それ以外では、流さないだろうなと思った。


「……そんなこと言うならもっと痩せれば。君って45キロだろ。39まで落とせよ。それに胸も大きすぎる……手脚も細さが足りない。君があの子が似てるのなんて歳くらいだ……彼女に代わろうって言うなら、外見くらい繕えよ」


 性格も容姿も服装も、文句を言われたことなんてなかった。彼は私を褒める言葉してか持っていないのだと思っていた。だから余計に涙が止まらなくなる。片目が壊れてしまったように、まだ左目だけから流れている。

 彼はユキからスマートフォンを静かに取り上げて、画面の中の少女に微笑んだ。一生掛かっても、ユキに向けられることはない笑みだった。


「……人が、天使になんてなれるものか」


 その言葉が、ユキの心臓の中心に雪崩れかかる。

 誰だって、考えなくたって理解している事だ。きっと自分には、尻尾が生えているのだろう。悪魔の子孫なのだろう。だから、天使になんてなれない。


「……アオイ君」


 なのにどうして、私は口を開いたのだろうか。

 翼を持った蝶を幻視した。寝室の中を、蒼く光る鱗粉を零しながらに飛び廻っていて、ありもしない出口を探しているように見える。あの月に行きたいのだろうか。青く、碧く、蒼く輝く氷河期の月に。それは故郷に帰りたがっているというよりは、ただ月に手を伸ばし続けているだけのように見える。どうしたって届かない、ブルートパーズのように輝く月に。

 飛び疲れた蝶がベッドに降り立つ。よく見ればそれは、光の帯で編まれたような翼を持った彼だった。尻尾はない。彼も天使なのかも知れない。


 ユキは言葉を止められない。だってこれは陥ったのだから。この世界の誰もが重力に逆らえないのと同じように、落ちるようなこの感情は停まらない。本当の恋は、言わないように出来る感情ではないのだろう。

 嗚呼、私の最初の人。どうか、最後であって。


「好きです…………恋人になってください」


 それが、破滅の言葉だとしても。


 ――――言わずにはいられない。

 

 


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