第一・一話 もうひとつのプロローグ(Girl's Side)
(降って来ちゃったわね)
八重寺千鶴は空を見てため息をついた。
彼女は一八の姉で三つ年上の大学生。
かつ、沖縄では事実上一番有名な、CMタレント兼モデルでもある。
どこの百貨店やデパートへ行っても彼女のポスターはあり、テレビやネットをつければ、彼女のCMの流れない日がないほどである。
慌ててマンションのエントランスへ駆け込んできた千鶴の片方の腕にはバッグ、もう片方の手には洋菓子メーカーのブランド名が印字された紙袋。
本来であるなら、マンションの一階にある駐車場まで事務所の車で送り迎えになるのだが、今日は買い物があったから近隣のデパートで下ろしてもらった。
そのときは晴れていたのに、買い物を終えて外へ出ると雨が降っている。
そこは天気の読みづらい夏場の沖縄ならではだろう。
高校時代から千鶴はある意味時の人。
それでも町中を歩けるくらいには変装を怠らない。
これまでにバレたことは一度もないのである。
だが、一八と阿形のふたりと離れている際は、吽形がガードとしてついてくれている。
吽形は阿形の奥さんで、この世界でいうところのタコの姿した同じ異星人。
その間吽形は、『隠形の術』を使って姿を消している。
阿形、吽形の眷属ではない。
いわば血の契約を交わしていない千鶴の目には、『隠形の術』を使っている吽形の姿を視認することはできないはずだ。
だが、長い間一緒にくらしていることと、一八と負けないくらい彼女らと触れあっていたからか、近くにいたら彼らの術の恩恵を受けることもできるようになっていた。
両手の塞がっている千鶴の肩口から吽形は、蛸腕を伸ばして集合玄関機にあるオートロックのボタンに部屋番号を押してくれる。
慣れた手付きで実に器用に思える。
もちろん千鶴にしか見えないし、監視カメラにも映ってはいない。
千鶴は声に出さず、蛸腕に右手で触れてお礼を示す。
ここで言葉を交わしてしまうと、監視カメラに音声が、違和感として残ってしまう。
だから、こうしているのだった。
エレベーターから降りて廊下を歩き、部屋の施錠を解いてドアを開ける。
「ただいまーってやーくんやっぱり、オクターヴしてるわけね」
『そうだと思います』
ピンク色のデフォルメされた、可愛らしいタコのぬいぐるみのような姿を現した吽形。
彼女は部屋の中ではいつもこの姿でいることが多い。
千鶴はスマホを確認。
するとそこには『晩ごはんの買い物をしてから戻ります』と一八からメッセージがあった。
「あ、やーくん、買い物してから戻ってくるって」
『そうだったのですね』
「うん。わたし、着替えてくるねー」
『はい』
対面キッチンの向こうからピピピピと炊飯器から音が鳴り、ご飯の炊けた良い香りも漂ってくる。
テーブルに置かれた千鶴の持ってきた袋には、お土産として買ってきたケーキが四つ入っている。
ひとつは一八の好きなビターテイストのチョコレートケーキ。
炊事洗濯掃除まで、ときには千鶴の付き人のようなことまでしてくれる彼にはいつも世話になりっぱなしであるから、感謝の気持ちも含めて買ってきたのだ。
千鶴はテーブルに座って吽形のいれてくれたお茶をいただく。
すると、『くぅ』とお腹が鳴った。同時に吽形のほうからも同じような可愛らしい音が鳴る。
「お腹空いたけど」
『待っていましょうかね?』
「そうですねー」




