第六話 暗闇への見送り
夜七時、二人はソフィアの家に迎え入れられた。
あの後市場で魚を捌いてもらい、いくつかの食材をソフィアが買い足した。どうせこの後お金はいっぱい貰えるからと全て奢ってくれた。
木造の小さな家は潮風で少し色褪せていたが、花の鉢植えや布で飾られていて、温かい雰囲気が漂っていた。
そしてベネットが料理をぜひ手伝いたいと言い、彼女達は汁物を作りながら盛り付けについて和気藹々と語り合っていた。
アンジェリカは、三人も台所には入れないので、絶対に無くしたり奪ったりしないという約束で招待状を借り、つぶさに観察していた。
「……なんだか夜になるにつれて、胸騒ぎのようなものがするけど……表も裏も普通のチケットね」
言葉にならない違和感。しかし手元にあるのは銀の固い紙。
この数時間でもソフィアの人の良さはよく分かった。だからこそ、
「優秀な人を上層の国に連れて行ったら、村を発展させられる人がどんどんいなくなってしまう気がするけど……社会構造としていいのかしら」
ソフィアと村を観光している時、前に建築を勤めていた親方や、近隣の森に巣食うモンスターを退治する討伐体のリーダーが招かれてから後進育成が大変だと言っていた。
心を読めるソフィアがいなくなったら、アンジェリカのような人間がこうして村に受け入れられることもなかっただろう。
「――永遠の命を貰える国、ね」
さっきの噂を思い出し、やがて目を伏せる。
「まぁ、私って知らない事いっぱいの小娘だし。考えすぎなのかしら」
暫くして、テーブルの上に三人分の皿が並べられ、アンジェリカは招待状を返却した。
「さあ、たんと召し上がってください!」
両手をいっぱい広げるソフィア。箸とフォークが置かれていたので、アンジェリカは慣れているフォークを手にする。
一口、刺身を口に入れたアンジェリカは目を見開いた。
「……っ……!」
舌の上でとろける柔らかさと、海そのものを閉じ込めたような深い旨味が口いっぱいに広がる。
王都の宮廷で出された豪勢な料理よりも、ずっとずっと美味に感じた。
「これ……凄く美味いわ!」
「ふふっ、やっぱり! 新鮮なシーエンペラーは最高なんですよ!」
ソフィアは嬉しそうに胸を張り、自分もぱくりと口に運ぶ。
「アンジェリカ様のお釣りになったお魚、最高です! 流石です!」
ベネットも頷きながら頬張っていた。
賑やかな食卓は温かい電球の光と相まって、どこか家庭的な安らぎを演出していた。
城の中にいる時は、他人の笑い声が作り物に見えていた。派閥争いや社交辞令に塗り固められて、立ち振る舞い一つにやたらと神経を尖らせる貴族達。
隣の芝生は青いと言うが、本当にこちらが青いのだろう。年頃の女の子で和気藹々と囲むこの食卓は、青春と呼べるはずだ。
「……もう少ししたら、行くのよね」
ぽつりと、思わず言葉が漏れた。
「えぇ。荷造りは済んでますし、両親も兄弟もいないので、この家はもう誰もいなくなっちゃいますね。お二人が滞在する間は使っててもいいですよ。役場には私から言っておきますから」
「嬉しい申し出だけど、どうしてアナタは、そんなにも優しいの?」
人柄の良さを極めたようなソフィアに、アンジェリカは疑問を抱く。
今日一日明るい顔ばかり見せていた彼女は、過去を思い出すように暗い眼差しを伏せた。
「……心が読めるのってそんなに良いことばっかりじゃないんです。いろんな事が筒抜けで、嫌な人だと思われたくない。嫌われたくない。いつからか、そんなことばっか考えるようになります。だから、良い人のフリを繰り返してるんです。全部何もかも自分のためですよ」
重い雰囲気が場を包む。アンジェリカは今日起きた事……家出の騒乱や貴族の罵声、村の出来事を振り返りながら、そのままの感情を告げた。
「それでも私は……アナタは、心から素晴らしい人だと思うわ」
「っ……」
ソフィアの濡れた瞳が、アンジェリカに向けて輝く。心と言葉の両方を噛み締めるように、彼女は笑って見せた。
「……ありがとうございます」
「良い未来を祈っているわ」
そうして、夕食を終えた三人は暫く談笑をし、
「やっぱり、最後に村のみんなと会ってきてもいいですか?」
「ええ。見送りの時には私たちも向かうわ」
ソフィアが先に家を飛び出す。規定時刻の十時より少し前、アンジェリカとベネットも家を出た。
***
アンジェリカとベネットが外に出ると、村の入り口に人が集まっていた。
人の波と形容すべき集団の隙間を通り、先頭にいるソフィアの元へ向かう。リュックを背負った彼女が見つかり、安心したように振り返ってくる。
「あ、アンジェリカさん。ベネットさん。良かった、来ないんじゃないかと思いましたよ」
「ごめんなさい。もう少し早く出るべきだったわね……ん?」
アンジェリカが謝罪をしながら、入り口の先へ視線を移す。
森林から続く道、二頭の馬が馬車を引き、蹄が土を踏む音が響く。
「アレが送迎ってやつかしら」
「そうですね。以前に招かれた人が乗ってたものと同じです」
馬車はソフィアの少し先で止まり、小さな個室のようなキャビンの扉が開く。
中から一人の人間が出てきた。白い仮面で顔を隠し、二メートル近い長身。黒のロングコートに身を包んでいる。
一目見て、アンジェリカは異様だと感じた。
見た目もさることながら、この人間――おそらくは男――から発せられるだだ漏れの魔力に違和感がある。故国の一級兵士以上の力。しかし、魔力の質が黒い泥のように歪んでいる。
男はソフィアを確認すると、扉に向けてゆるりと手をかざす。紳士的。動きの優美さは一流。されど、彼は一言も発することはない。
アンジェリカは冷や汗を流しながら、ソフィアの手首を掴み、小声で呼びかける。
「あの男、見るからに怪しいわ。アナタの能力で何か分かることはある? きちんとチェックすべきよ」
「え……? は、はい」
言われるままにソフィアは碧眼で男を凝視し、数秒間が経過。やがて彼女は、いつも通りの明るげな表情でアンジェリカに告げる。
「嘘とかそういう気配は見当たりませんよ。というか、心が全然上手く読めません! 一流の剣士や東洋の忍者の方なんかは読心を無効化できるみたいですし、あの方もきっと凄い人なんですよ。素人の私から見てもかなりの魔力を持ってますし」
心が読めない。何を考えているか分からないというのは、よりアンジェリカを不安にさせた。
しかし、技術や役職は人それぞれだ。
アンジェリカも魔力量は凄まじいものの、読心を拒絶するような技量や発想はなかった。
あの男の技量が特別高く、普通に迎えに来ただけでの仕事人な紳士――
……案外そういうものなのかもしれない。
(婚約破棄・城を破壊・大帝の召喚獣を粉々に消し飛ばす国家叛逆罪。バハムートを村に降ろしてほっつき歩いて、黒髪で闇魔術使いの私の方がよっぽどヤバいやつだわ……)
彼を見た目や魔力で批難するのは、相当なブーメラン発言なのだ。
「……そう、みたいね」
アンジェリカは手を離し、ソフィアは歩き出す。
「それでは皆さん、お世話になりました! お元気で! 旅人さんとも仲良くしてあげてね!」
村の人々が感謝や激励をかけ、アンジェリカはもう一度ソフィアに呼びかける。
「て、手紙、向こうに着いたら手紙を頂戴。アナタの無事と感想が聞きたいわ」
ソフィアはすぐに満面の笑みを浮かべた。
「はい! 絶対送りますね! 楽しみにしててください!」
アンジェリカが不穏に思う気持ちは、彼女には能力でしっかりと伝わっている。だからこそ、何も問題ないですよと言いたいのだ。
ソフィアは馬車に乗り、森林の奥深い闇へ消えていった。
三日後、“ソフィアの名が入った手紙”が届いた。
しかしそれは、アンジェリカがディートルード王国へ突入することを決意させるには十分すぎるものだった。