第1話 おっさん、うっかり追放される
「シュウ・アラキ、現時刻を持ってバルゴ王国騎士団団長の地位を剥奪し国外追放に処する……!」
「はいい?」
騎士団の演習中、突如としてバルゴ王宮に呼び出されたオレは、玉座にふんぞり返りながら柔和な笑みを浮かべる色白な美少年ことエリック王子より刑の執行を言い渡された。
ここはバルゴ王国王宮内にある王の謁見の間だ。オレは騎士団の演習中に突然呼び出され、何事かと慌てて謁見の間に向かった。
先日、国王陛下は謎の病に倒れられ、そのまま昏睡状態に陥っていた。最悪の事態を想像し、謁見の間に向かうと、そこで目に入ったのは玉座に座るエリック王子の姿だった。
訳も分からず玉座の前で膝をつき首を垂れると、突然、エリック王子に刑の執行を言い渡されたのだ。正直、何を言われているのか理解が追い付かなかった。そんなオレの心情を悟ってか、周囲に佇む大臣や衛兵達も困惑の表情を浮かべていた。恐らく、彼等にとってもこの事態は青天の霹靂だったに違いない。
「何か申し開きはあるかな? あるなら特別に聞いてやろう」
エリック王子は悠然とした態度で目を細めると、片肘をつき足を組みながら勝ち誇った笑みを浮かべた。
そりゃあ、山の様にありますとも。何故、貴方が玉座にふんぞり返っているとか、どのような権限を持って演習中の騎士団長を呼びつけたのか、とか、色々あったが、自分を含めこの場に居合わせた者達が一番に疑問に思っていることを訊ねてみた。
「私はいかなる罪状で追放されるのでしょうか?」
「言わねば分からぬのか、シュウ騎士団長、いや、元騎士団長よ!」
分からないから訊ねているというのに、相変わらず回りくどい話し方が好きな奴だな、と思わず苦笑してしまう。
まあ、本当は聞かずとも分かっているのだ。オレが無実の罪を着せられ刑を宣告されたことを。
何故なら、オレはエリック王子から酷く恨まれていることを知っていたからだ。というか、オレとエリック王子の確執を知らない者はこの国には誰一人としていないであろうくらいには有名な話だった。
「ならば教えてやろう。貴様はあろうことか王族である私に無礼極まりない呪いをかけた。それが貴様の罪だ!」
「それって、もしかして私がエリック殿下にかけた不能になる呪い魔法のことですか? あれなら悪事をお止めにならないエリック殿下を懲らしめる為、国王陛下たっての要望によるものでしたが何か問題でも?」
その時、周囲から噴き出すような音が聞こえた。
エリック王子は周囲を見回しながら鋭い眼光を発するも、吐き出しかけた言葉をグッと飲み込んだ。怒鳴りつける対象があまりにも多すぎて尻込みしたのだろう。
「殿下ではなく陛下と呼べ。今や私はバルゴ王国の国王なるぞ⁉」
「いえいえ、確かに国王陛下は先日、病に伏せられ昏睡状態に陥っておられます。ですがそれとこれとは話が別です。いつ、エリック殿下は王位を継承されたのですか?」
「うるさい、うるさい! 私は第一位王子だ。だから、父上が亡くなったら私が王位を継ぐに決まっているのだ!」
バルゴ王国は長子に王位を継承させなくてはならないという決まりは存在していない。国王が継承者を指名し、大臣の合議によって決定される。つまりエリック王子は何一つ王位継承のハードルをクリアしていないのだ。今は第一王子という肩書のみで国王代理を任されているだけということは誰もが知る事実だ。
そして、彼には人事の決定権はおろか、司法に介入する権限も持ち合わせてはいないはず。このバルゴ王国では三権分立が確立されており、国王の独裁を許さない構造になっている。つまり、先程オレを追放刑に処すると宣言したのは、単純に玉座にふんぞり返りながら一国の騎士団長を呼びつけ、自分の希望を吐き捨てたに過ぎない。気に食わないからと言って兵卒やメイドをクビにする権限すら国王には存在しない。少なくとも国王が個人に対して好き勝手に刑罰を執行する権限は無いのだ。
「ええい! 話をすり替えるな! それに不能の魔法と言うな! 私はまだ不能ではない。ただ全身に激痛が走ってその気になれないだけだ!」
オレのクラスは聖騎士だ。聖騎士は中位の神聖魔法まで使うことが出来る。だが、オレは少し特異な存在で上位神聖魔法どころか全ての属性の上位魔法を使用することが出来た。中でも呪い魔法を得意とし、数多の呪い魔法を習得していた。
現在、エリック王子にかけている呪いは女性に淫らな行為を強要した瞬間、股間を中心に全身に激痛が走る呪いだ。だから不能になる呪いと呼ばれている。何故なら、何度も激痛を味わっていく内に、本当に不能になってしまうからだ。
本来ならば、仕えるべき王族にそのような呪いをかけるのは不敬罪どころか反逆罪に問われてもおかしくはない。だが、これは国王陛下たっての願いで行ったことだった。
エリック王子は外見とは裏腹に横暴傲慢が服を着て歩いているような存在で、最悪なことに病的なまでの女好きであった。王子であることをいいことに、メイドはもちろん、家臣の妻や娘にまで手を出し始め、遂に国王陛下の堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。
だが、愚かであっても最愛の息子である。その為、国王陛下は内々にことを済ませようと、呪い魔法に精通していたオレに白羽の矢が立ったのである。
それ以来、エリック王子は性犯罪に手を染めることは無くなったが、あくまでそれは呪いの激痛を味わいたくないが為で性根は腐ったままだ。あれから何度もエリック王子はオレに呪いを解くように脅迫してきたが、それを頑なに拒絶し、更に恨みが深まったのだろう。
残念ながら、オレは王国内の全ての女性の為にもこの呪いを解くつもりは無い。
しかし、エリック王子は理解しているのだろうか? オレがあの時、呪いをかけなければ今頃王族とて裁判にかけられ有罪になっていたことを。重性犯罪者に処せられた者は死刑か去勢の末の修道院送りしか無いのだ。
「だが、慈悲深い私は貴様に最後のチャンスをくれてやる。追放されたくなければ私の呪いを解くのだ!」
「お断りいたします」
オレは1秒もかけずに即答した。
「王国中全ての女性を守る為、私はエリック殿下の呪いを解くつもりはございません」
「その言い方は無礼であろう⁉ 私の様な高貴で美しい男に抱かれて喜ばぬ女などこの世に存在するはずがない。父上も貴様もそもそもの前提が間違っておるのだ! 私は悪いことなど一つもしておらぬわ!」
その瞬間、空気が凍り付いた。オレだけではない。その場に居た者全員の表情が凍り付いていた。
彼は厚顔無恥というよりはきっと身の程を知らないだけだろう。確かにエリック王子は絶世の美少年と呼んでも差し支えない程度には美形だ。だからといって内面が必ずしも釣り合っているとは限らない。その最悪極まりない性癖と性格から、王国内で彼を慕う人間はごくわずかだ。そのほとんどが権力にすり寄って来る人間に限られ、一般常識を持つ者なら彼に対して好感を持つことはあり得ないと断言できる。
王子の名を冠した異常者。それが王国民の彼に対する率直な評価だった。
恐らく、彼は自分の幸せが他者の幸せに直結すると信じて疑っていないのだろう。美形の自分に抱かれる女は皆幸せになれる。だから自分は善行をしているに過ぎない。そう宣言しているのだ。
「呪いを解かぬなら私にも考えがある。こうなれば貴様の親戚縁者をことごとく処刑してやる。それでもよいのか?」
エリック王子は口の端を吊り上げながら両目を見開いた。
「残念ながら、エリック殿下もご存じの通り、私は天涯孤独の身の上であり親族は一人もおりません。縁に恵まれなかったこともあり独身でありますれば、私には誰一人、人質に出来るような人物は存在しておりません。ただし、大賢者にして大剣聖の称号を持つ我が母サルビアを除いてではございますが」
その瞬間、エリック王子の顔が引きつり動揺に塗れた。
「大賢者サルビア、いえ、鬼百合の命でよろしければどうぞいかようにもエリック殿下のご自由になさってください。ただし、一つご忠告を。やるからには徹底的におやりください。首を切り落とし心臓を潰したくらいでは母は絶対に死にません。教会の総力を挙げて聖護結界を展開し、最低でも100年間は母の魂を封じて下さい。そうしなければ我が母の魂は闇に染まり魔神となってバルゴ王国に滅びの禍をもたらすことでしょう」
「今の発言は撤回する!」
母の名を聞いたエリック王子は酷く怯えた表情を浮かべながら、慌ててそう叫んだ。他にも若い衛兵達はともかく、年配の大臣達は皆顔を引きつらせ脂汗を垂れ流していた。
「撤回などせずとも、我が母とは30年以上会っておりませんのでご安心を。恐らく、何処かの地でのんびりと余生を過ごしているか、既に朽ち果て女神エレウスの御許に召されていることでしょう」
それは嘘だ。大賢者と呼ばれた母サルビアが存命であるならば、今年で70歳。鬼百合と呼ばれ恐れられた母のことだから、未だに現役のはずだ。あの母が70やそこらで死ぬわけがない。きっと何処かで元気に生きていて、気紛れに国の一つでも滅ぼしていることだろう。
オレは12歳の時に母と生き別れになった。ある日、目覚めるとテーブルに書置きが残されていた。
『ちょっと冒険に出かけてくるわ』と。
以来、34年間、オレは母と会っていない。
母のことを軽く説明しておく。母である大賢者サルビアは鬼百合の異名を持っていた。百合のように可憐な容姿と悪鬼羅刹の如き強さと恐ろしさを兼ね備えているのでその異名がついた、と母から聞いていた。
大賢者にして大剣聖。とにかく規格外の怪物。魔王を単騎で滅ぼし、民衆を苦しめる独裁国家があれば夕飯の買い出しに出かけるようなノリで国を滅ぼしてくるような人物だった。
未だにその名は世界中で恐怖の代名詞となり、母のとばっちりを受けてオレも恐怖の対象になっていた。それが原因なのかは定かではないがオレは騎士団長に出世しながらも良縁には恵まれず未だに独身貴族を謳歌していた。
「ならば! 呪いを解かねば貴様の部下どもを処刑してやるぞ⁉」
「御冗談が過ぎますぞ、エリック殿下?」
その瞬間、再びエリック王子の顔が引きつる。
オレはただエリック王子を睨みつけた。ただし気絶しない程度の威圧のスキルを付与してではあるが。
エリック王子は立ち上がると両手で首を掴み苦しそうに悶え始めた。
後ほんの少し魔力を込めるだけでエリック王子の心臓は麻痺するだろう。しかし、オレは彼が窒息死しない程度に力を弱め、生き地獄を味わわせてやった。
流石に殺すことは出来ない。そうすればオレは反逆者になってしまうだろう。だが、部下の命を脅迫した罪は贖ってもらう。
「や、止め……!」
エリック王子は口から泡を吐き出す。
そろそろ勘弁してやるか。オレは威圧のスキルを解除した。
スキルを解除すると、エリック王子は糸の切れた操り人形のように玉座に崩れ落ちた。
「エリック殿下、これ以上の問答は不要でございます。私事で部下達に迷惑をかけることは本意ではありませんので、何処へなりとも私を追放されるとよいでしょう」
オレは「ただし」と付け加える。
「万が一にも部下に危害を加えようものなら、私は逆賊の汚名も甘んじて受ける所存。その際は私もエリック殿下の冥府の旅路にお付き合いさせていただきますのでどうかご安心を」
エリック王子は顔を蒼白させながら、ごくりと息を呑み込んだ。
「よかろう。ならば貴様の追放先は廃棄迷宮とする! 今更泣いて詫びても許さぬから覚悟いたせよ?」
エリック王子はふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべた。
周囲からはどよめきが起こる。廃棄迷宮の名を聞き、誰もが顔を蒼白させた。
廃棄迷宮とは、冒険者ギルドによって攻略不可能と認定され立ち入りを固く禁じられた迷宮のことである。
内部には軍隊規模の戦力でなければ討伐不可能とされているS級モンスターが無数存在し、噂によれば魔王を凌駕する魔神も存在すると言われている。立ち入れば確実に命は無い。それは死刑と同義だった。
こうしてオレは騎士団長の位を剥奪され、外見だけが良いだけの無能に無能を重ねたエリック王子によって廃棄迷宮に追放されることになった。
しかし、エリック王子は理解しているのだろうか? 万が一にもオレが死んだ場合、呪いはその効力を増して解呪不可能になることを。
その時、不意に母の言葉が脳裏を過る。
『いい? もしも誰かに虐められたらお母さんに言いなさいね? その国、滅ぼしてあげるから』
きっとそれは冗談でも何でもないんだろうな、などと思い、オレはエリック王子を見ながら背筋に冷たいものを感じ身震いしてしまった。