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「私のことしか見られないように、してあげます」
「……それは困るな」
そう返すと、かりんは「えー、」とわざとらしく不満げな声を漏らす。
「どうしてですか?」
「いや普通にオタ活したいし……」
「そのくらいはしてくれて良いですけど、オフ会とかで女の子ばっかのとこ行かないで下さいね。嫉妬しちゃうので」
「残念ながらそういう機会はない」
そういえば、オフ会みたいな話が出たことはないな。別にそこまで熱心にネットでコミュニケーション取ってる相手も居ないからだが。
時計を見て、「あぁ、」と漏らす。いつもならこの時間には友人たちをゲームをしているはずなのに、かりんと話し込んでいてすっかり忘れていた。
今日の一件を知っている浦部が何か言わなくても、明日には「どうして昨日やってなかったんだ?」と聞かれることだろう。
その問いに、正直に答えることは、たぶん今の俺には出来ないけれど。
「……満足したなら帰れ。駅までは送る」
「えー、折角二人きりなのに……」
「帰らないなら俺が出る」
浦部の家は自転車で30分くらいありゃ行けるんだ。急に押しかけてもまぁ許してくれるだろう。状況説明したら殴られるかもしれんが。
「……なら私が帰ります」
「分かってくれて嬉しいよ」
早い夕飯だったとはいえ、これ以上引き延ばすと帰らないと言いかねない。
なんとか納得してくれたようなのでふぅと一息をつくと、目を離した隙にかりんがすぐ傍に来ていた。
慌てて後ろに下がろうとしたが、――かりんが俺の腕を掴む方が速かった。
「……先輩」
「なんだ」
「私は、本気ですからね」
「あぁ、分かってる」
「本当ですか?」
俺の腕をぎゅっと掴んだかりんは、少しだけ不安そうな目をこちらに向けている。
こんな完璧美少女が、何の取り柄もないただのオタクを構うなんて、悪戯じゃなければなんなんだ。――俺の中の理性はそう言い続けているが、忠告を無視して口を開く。
「冗談じゃ、ここまではしないだろ」
「……まぁ、そうですね」
人の家に上がったのは、――やりすぎだ。
それも、ほぼ親が帰ってこない家。何をされても文句を言えない状況に、自分から突入した。ならばもう、そこの本気度を疑う必要はないだろう。
俺が何も出来ないことを知っているから、そうしただけかもしれないが――
「ただな、かりん」
「なんですか?」
「恩返しとかそういうのは、考えなくて良い」
「…………」
「あの時のことを美化してるかりんには悪いが、あれは見返りを求めてたんじゃない。俺にとっちゃ、捨て犬に餌をやってるような、そんな感覚だったんだ。だから、」
思い出を美化しているであろう相手に、酷いことを言っているのは分かっている。
――でも、これだけははっきりしておかないといけないんだ。
「あれは、自分の罪悪感を紛らわせるためにやってただけだ。今更恩着せがましく何かを求めるつもりはない。もしあの時の見返りのつもりだったら、やめてくれ」
「……分かりました」
コクリと、かりんは頷いた。
茶化してくるようなこともないし、俺の一世一代の告白を最後まで聞いた上で、彼女は選ぶのだ。
「……まぁ、そんなとこだろうと思ってましたが」
「悪いな」
「いえ、――先輩の気持ちがどうあれ、私が救われたのは事実です」
「そうか。ならその感謝は夕飯代を多めにくれた母さんに伝えてくれ」
「直接言っていいんですか?」
「待てやっぱりやめろ!」
かりんのことだから母さんに直接会って話しかねない。それは怖い。ありもしないことぺちゃくちゃ喋られたら俺が社会的に死ぬ。
にたぁ、と笑うと、「言質とーった」と呟いた。やっちまった……。
「まぁ、どこで働いてるかも知りませんが」
「俺も知らん」
「……ホントですか?」
「息子に大人の店紹介する母親が居るかよ……」
正直に答えると、かりんが気まずそうに「あー……」と頬を掻き目を逸らす。
お互い、水商売の親を持っているのだ。いやかりんに関しては元だけど、仕事の話を子供に出来ないことだって、きっと分かっている。
だからまぁ、そこは納得してくれたか、「うん、」と何かを決めたかのように頷いた。
「たぶん先輩のお母さんのことだから、家に女連れ込むなー、とか言いませんよね」
「まぁ言わないだろうな」
夕飯代をかりんと分け合っていることに、いつ気付いたのかは分からない。でも、急に主食のゴミが二つになっていれば馬鹿でも気付くだろう。コンビニ弁当のゴミってかなりかさばるからな。
「明日から、頑張りますっ!」
「無理しない程度にな。……んじゃ帰るぞ」
「はいっ!」
びし、と敬礼(なんの意図があるのかは分からん。たぶんノリだけだ)をされ、苦笑ぎみに玄関に向かう。
駅までの道を、二人で歩く。
会話は、随分と少なかった。それは話したいことがないのではなく、余韻を楽しんでいたかったから。
かりんと話すのは、楽しかった。
オタク以外と、オタク話以外をするのは久し振りだ。
それでも、そんな俺でも楽しいと思えるような話を出来るかりんは、コミュニケーション能力が相当高いのだろう。
きっと、他の女子だったらこうは話せなかった。だからこれは、かりんだからだ。
――再会して、たった一日。
彼女が自分の中の特別になっていることに、もうとっくに気付いていた。
「……怖いな」
「え? 何がですか?」
「明日の学校。……かりん、日下部に喧嘩売ってたろ」
「えー、あれあっちが悪いじゃないですか」
「それはそうだけどさぁ……」
急に面識もない後輩女子を男子数人で囲んで威圧するとか、会話に混ざってくるとか、日下部の行動は確かに褒められたものではない。
だが、かりんみたいな女子が、俺みたいな男子と話していることの方がおかしいのだ。だからきっと、世論は日下部を味方するだろう。
――怖いな。極力関わらないようにしていたのに、こうもがっつり恨まれてしまうと、明日からの学校生活が億劫だ。
「もしかして、私のせいですか?」
「断じて違う」
そこだけは、はっきり否定しよう。
「日下部が悪い。でも、それはそれ、だ」
「それはそれ」
「俺みたいなクソオタクが、かりんみたいな子と話すのは、もうそれだけで罪なんだよ」
「何罪ですか?」
「……オタク調子に乗んな罪?」
「自虐やめてください」
「そういうんじゃないんだよ……」
女子には、女子の陰湿さがある。けれど、男子だって別種の陰湿さを持っているのだ。
「……分かりました」
しかし、何が分かったか、かりんはコクリと頷いた。
「心配しないでください。私が、なんとかします」
「何する気だ」
「内緒です」
「…………かりんが危なくないなら良いんだが」
日下部呼び出してタイマンで話すとかそういうんじゃなければ良いんだが――、そんなつもりの言葉を紡ぐと、今日一嬉しそうな顔で、かりんはにたぁ、と笑う。
「だいじょーぶです。本当に、心配しないでくださいね」
「あぁ。……これで本当に心配するようなことされたら怒るからな」
「えー、怒られちゃうんですかー?」
「日下部みたいな奴はな、女子には良い顔するけど、男子には普段からあんなだよ。だから、誰にでも優しいわけではない」
「分かってます。分かってますって」
かりんがしきりにそう言うので、「そうか」と返し、はぁ、と夜空を見上げた。
――夏の空は、いつもより明るく見えた。
その理由は、今ではまだ分からないけれど。