13
かりんと再会し、しばらく経った。今日は土曜日だ。
ほとんど毎日夕食を作りに来てくれるかりんに頼み事だと連れて来られたのは、まるでヤクザ映画に出てくる屋敷のような立派な門構えの日本家屋。
ここがかりんの家と知り、想像していたのと随分違って、呆気にとられる。
「思ったより……立派な家だな」
敷地に入るやいなや、「ちょっと待ってて下さい」と庭に置いて行かれたので散策していると、なんと敷地内に池があった。そもそも庭を散策できるほど広い家に入ったことが初めてだ。実は重要文化財とかだったりしない?
池には立派な錦鯉が泳いでる。すっげぇ金持ちの家みたいだなこれ。いや実際そうなんだろうけど、やっぱり想像と違う。数年前まで同じ団地に住んでいたとは思えない成り上がりだ。
しばらく一人で鯉を眺めていると、後ろから「え?」と声が聞こえたので振り返る。
そこに居たのは、細めの眼鏡を掛けた、生真面目そうな三つ編みの女子中学生。
中学生と分かったのは、見た目と、あとジャージを着ていたから。部活の帰りだろうか。
「誰? おねえのストーカー?」
「……ストーカーではない、信じてくれ」
「そう、お客さん? ならなんでこんなとこに居るの?」
「かりんに待ってろって言われて、絶賛放置中だ」
スマホで時間を確認すると、置いて行かれて10分ほど経っていた。かりんはまだ戻らない。
しかし当の女子中学生は、明らかにこちらを疑いの目で見て「えぇ……?」と声を漏らすと、そのまま警戒するように後ずさりをし、――走ってどこかへ消えた。
「通報……されないよな……?」
ちょっと心配になってきた。とりあえずかりんを探そうと歩いて行った方向に向かうと、ちょうど納屋から出てきたかりんが先の女子中学生と何か言い合いをしていた。
「なにあれ、ピ?」
「ち、ちがうよ!」
「なんで連れて来てんの? お母さんに見られたらどう説明する気?」
「帰ってくる前に終わらせるつもりだったし……」
なんの話かはよく分からないが、若干気まずいな。
「あっ、先輩、ごめんなさいお待たせしちゃって」
俺の接近に気付いたかりんが、手に桐箱を持って近づいてくる。とりあえず重そうなので受け取ると、想像以上に重くてよろけた。そうだよね、女子とはいえちょっと前までバリバリの運動部だったかりんと年中引きこもりの俺の筋肉量が同じなはずないよね。
「……先輩? このもっさいのが?」
「ちょっとみゆちゃん! 失礼でしょ!?」
「失礼なのは人前に出るのにこの頭のもさい男の方でしょ」
それはそう、と思わず頭を下げる。
どうやら状況からして、この子が以前話題に出ていたかりんの妹のようだ。
ずいぶんと雰囲気が違うな、と思ったが当然か。血の繋がりなど一滴もなく、同居をはじめて1年程度しか経っていないのだから、似ている方がおかしい。
「家の中なら良いだろうけど、おねえの先輩ってことは電車乗ってここまで来たんでしょ? 何千何万人の前に顔晒してここまで来て、この頭。いやナシでしょ」
「……みゆちゃん」
「おねえも人付き合いはもうちょっと考えた方がいいよ。折角顔良いんだから――」
「みゆちゃん!!」
明らかに怒りの色を見せたかりんが、声を荒げ遮った。
しかし当の妹は何も気にしないとばかりに、「はぁ……」とわざとらしい溜息を吐く。
「みゆちゃん、居間で待ってて」
「なんで」
「い、い、か、ら」
はっきり、強い口調で言うかりんに少しだけ気圧されたか、妹は「……はーい」と溜息交じりの返事をすると、さっさと家の中に入っていった。
――して、残された二人。
「……先輩、ごめんなさい。えっと、美しいに優しいで美優って書いて、前話した義理の妹です。普段はあんな子じゃ……、いやたまにあんな感じではあるんですが……。難しいですね中学生って」
「いや悪い。この格好で来た俺が悪い」
いつ買ったのかも分からないよれよれのジャージ(部屋着である)、髪の毛はまだ切りに行ってなくてもっさもさ。癖毛といっても限度がある。
今時の女子中学生に罵倒されるのは、悲しいけど事実なので反論する言葉を持たない。
「……髪、切るか」
「私切りましょうか?」
「いやちゃんと店で切るよ」
かりん、前に人の髪切ったことないって言ったよな。なんで自信満々に切るぞポーズするんだ。こら、指をちょきちょきするんじゃない。
「なら私が通ってるとこ行きましょうか? 結構リクエスト答えてくれますよ?」
「え、いや、怖いし」
「何がですか!?」
「あれだろ、イマドキの……ファッション誌とか渡されて世間話振られるような……」
「それの何が怖いんですか?」
「知らん人に話しかけられるのが怖い」
「そんなじゃどこの店も行けなくないですか?」
「…………」
家から自転車で20分くらいのところにある散髪屋、お爺さんが一人でやってて物価高にもめげずずっと1000円なんだ。マジで一切話しかけられない。会話なんて「どのくらい?」「目が出る感じで」くらいだ。それ以上の会話をしたことがない。
大体他の客もそんななので、その雰囲気に慣れてる客しか来ない。そこに通う前は母さんの気が向いた時にバッサリ切られてる程度だったし、つまり――
「知らん奴とする世間話ってものが、難しくて……」
「いや私とはよくしてるじゃないですか」
「かりんは別だろ」
即答すると、「そですか」と顔を逸らされる。どうしてだ。
すぐに切り替えたか、「じゃ、」と振り返ってこちらを向いた。ちょっと耳が赤いな。
「おきがえしましょうか」
「……誰が?」
「先輩が」
「何のために?」
「え、ダンスパーティ……」
「…………あれ、そんな話だったっけ?」
最寄り駅で合流してここまで徒歩で来たが、要件は話されていなかった――気がしたが、そういえば昨晩そんな話してたな。ダンスは何種類かあってその中から先着順で――みたいな、当然ダンスの種類なんて分からんので、「任せる」と返した記憶がある。
えぇーと、つまりそういうことか。任せるって、全部をか!?
かりんは少しだけ呆れた顔になったが、俺の手を引き家の中に連れて行く。
「靴は……」
「そのへん置いといてください」
「あ、あぁ」
最早屋敷と呼んで良い広さの家はとんでもなく広く、玄関から数十人分の靴が置けそうである。
作法が分からないので靴を適当に脱ぐと、かりんがひょいと持って棚にしまった。そういう家なんだろうな、という関心と、たぶん客の靴を置く場所も決まっているのであろうという若干の窮屈さを感じ、先程美優の言葉を思い返す。
「お母さんに見られたら」、確かにそう聞こえた。
だが、以前の話だと両親共働きのはず。今日が土曜なので家に居るかは分からないが、少なくとも今は会わないで済むはずだ。会った瞬間罵倒されたらどうしよう。泣いちゃうかも。
「んーと、とりあえず先に着替えて貰います。セットはその後で」
「……セット?」
「髪です髪。そのまま人前に出るつもりですか?」
「…………」
出ちゃったなと、黙って項垂れる。普段から貶されるのには慣れてたけど、こうして身近なところから殴られるとダメージがデカい。
「こっちの部屋普段誰も使ってないので、とりあえず着てみて下さい。廊下で待ってるんで、もし着方分からなかったら教えてくださいね」
「あ、あぁ」
案内された部屋(和室かと思ったがリノベーションの結果か普通の洋室だ)に入ると、扉が閉められた。
ぐるりと見回す。テーブルや椅子、箪笥や大きな鏡が置かれているが、何に使うかよく分からない部屋だ。玄関から一番近いところにあったから、客間だろうか?
少し試行錯誤しながら服を着る。若干サイズが大きいように思えたが、恐らく肩幅や胸板の厚さの問題だろう。丈はほとんど変わらないようだ。
さて、と鏡で全身を見る。――うん。
「タキシードだな」
スーツのようで、やけに色んなところの布が余っている。ちょっと変わったスーツなんだな、と思って着てみたが、鏡で見るとはっきりわかる。これはスーツとかじゃない。
ネクタイ(普通のネクタイでなく蝶ネクタイだ)の付け方は分からなかったので一旦そのまま手に持ち、扉を叩くとすぐにかりんが入ってきた。
「んー……」
裾を引っ張ったりくるくると回したりで全身をチェックしたかりんは、「よし、」と呟くと俺を床に座らせる。
後ろ手に扉を閉め自分も座ると、巨大な化粧ポーチを取り出した。
「化粧するのか!?」
「整えるだけですよ。眉とか」
「あ、あぁ、そういうのなら……」
細いピンで前髪を留め、小さなハサミと毛抜きをポーチから取り出したかりんが、「動かないで下さいね」と言うと、ぐんと近づいてくる。
――ほんのわずか動いただけで、唇が触れそうな距離。
まじまじと、かりんの顔を見てしまう。
長い睫毛に、整えられた眉、よく見ると目元にはうっすらラインが引かれている。
ここまで脱色している女子生徒はここまで多くない、と思えるほど綺麗な金色に輝く髪を持つかりんが陽キャであってギャルではないのは、恐らくメイクの濃さの問題だろう。
地の顔の強さをこれでもか、と引き出す性質のメイクは、たださえ顔の良いかりんを何倍にも引き上げる。
と、偉そうなことを脳内で語っておきながら、ノーメイクのかりんを見たのは小学生の頃が最後である。今は朝でも夜でも休日でもいつ会ってもメイク決まってるからな。
それにしても、顔が良い。どれだけアップで見ても染み一つない。
唇なんてぷるぷるしてるし、いやたぶん何か塗ってるからだろうが、現実のものとは思えないほど潤って、――色っぽく見えた。
しばらくかりんの顔を超至近距離で凝視していると、眉のカットを止め少しだけ顔を離したかりんが――顔を真っ赤に染めた。
「な、なんでこっち見てるんですか!?」
「いや見るだろ。減るもんじゃないし」
「そりゃ減りませんけど……」
よほど集中してたか、というかたぶん角度的に眉を見ていたから目なんて視界に入っていなかったのか、自分が見られていることに気付いていなかったようだ。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ……」
「はい?」
「悪い聞かなかったことにしてくれ」
思わず言ってしまったが、当然通じるはずもなく。いやニーチェの本なんて読んだことないんだけど、印象的な言葉だけは知っている。浅く広いオタクだからな。
「先輩、案外睫毛長いですね」
かりんが色んな角度から眉を眺めていると思ったら、そんなことを呟いた。
「そうなのか?」
「……まぁ自覚してませんよね」
「当たり前だ。家に鏡なんてないしな」
「…………あれっ、そうでしたっけ!?」
気付いてなかったのか。そう、あの家に鏡なんてない。後付けされたであろうキッチンの変なところにある洗面台にも鏡はないし、元は付いていたであろう風呂場の鏡は、引っ越してきた時には既に取り外されていた。そうなると自分の顔を見る機会なんて滅多にないのだ。
「ちょっと眉毛抜きますけど、動かないでくださいねー」
「痛っ」
「動かない動かない」
「いや待って痛っ、痛い!」
毛抜きでぷちぷち一本ずつ抜かれていく眉毛。普段毛抜きとかしないから突き刺すようなその痛みに慣れず悶絶してると、かりんが「むぅ、」と唇を尖らせる。
「……先輩」
「わ、悪い。けど痛いのは痛い」
「じゃあ――」
かりんは毛抜きを持っていなかった方の手で、床に座っていた俺を――押し倒した。
どしんと背中から倒れる。して、馬乗りになったかりんは、肘と手首を使って俺の顔を無理矢理固定し、再び眉を抜き出す。
――痛い、というかいや、それ以前に、
(胸、胸がッ!!!!)
さっきの距離とは違う。押さえつけるため身体を密着されると、胸とか、身体とか、足とか、もう至る所が触れてしまう。
下半身に送り込まれる血を必死に制御し脳内に瀬戸内寂聴を召喚していても、顔のすぐ前にある胸が鼻先を擦りそうになり、血が上っていく――
(素数を数えて落ち着け、えっと、1、2……なんだっけ……!?)
思考が定まらない。
顔が可愛いなで済んだ先程までとは違う。肌が、いや当然服越しではあるが夏らしく薄着のかりんの体温まで感じるような錯覚を覚え、ぐわんぐわんと頭が回る。
――どれだけ経ったろう。
眉を抜かれる痛みなんて、もう微塵も感じなかった。
かりんと触れ合ってる部分から、体温が移されていくよう錯覚する、ただそれだけを感じる無限とも言える時間は、「ふぅ、」とかりんが退くことで終わりを迎えた。
身体を密着させていたことなんてすっかり忘れたのか、あっさりした様子のかりんは満足げにうんうん頷くと、俺の手を引き起き上がらせる。
「あとは髪ですね」
「切るのか?」
「それは今度にしましょう。とりあえず整えちゃいますね」
ポーチから取りだした整髪料――そんなのも入っているのか――の蓋を外し、ぺたぺたと髪に塗られていく。
そういえば高校デビューとかでワックスを買ったクラスメイトに塗られたことがあったな。油っぽくて洗うの大変だった記憶が蘇るが、しばらく成すがままにされていると、髪をぐい、と持ち上げられる。
どうやらオールバックにされたようだ。前髪に邪魔されず、かりんの顔がこれでもかとはっきり見える視界は、ちょっとだけ気恥ずかしい。




