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 結局起動したゲームをやることなく、かりんの背中を見ながら適度に雑談をしていると、帰宅から1時間ほどで料理が完成し、テーブルに並べられる。


「おぉ……」


 思わず感嘆の声が漏れたのには、理由がある。


「鍋とフライパンだけで……どうやってこれを……?」


 そこに並んでいるのは、ゴボウと人参にこんにゃくを加えて炒めたもの、厚焼き玉子に、お麩の浮かぶ澄まし汁、メインは鯖の塩焼き。――どう考えてもコンロ一つで出来る量ではない。

 しかしスーパーの買い物は見ていたが、総菜を買ったりはしていなかった。つまりこれは全部今作ったということだ。


「……いただきます」

「いただきまーす」


 誰かとテーブルを囲んで食事をするなんて、いつぶりだろう。

 オタク友達が遊びに来るときだって、テーブルを使うことなんて滅多にない。床でラーメン食うか、パン食うか、菓子食うか――そんな程度だ。

 だから、なんか、こう――


「あったかいなぁ……」


 澄まし汁は熱すぎず、じんわり身体を温める。

 出汁を取ってる様子はなかったが、どうやって作ったのだろう。なんかアニメとかでカツオブシどうこうしてるところを見たことがある程度。そんなの買ってなかったよな。

 厚焼き玉子は弁当に入っていた甘いものとは違う出汁巻き卵で、塩味の少ない出汁味だ。醤油をさっと掛けると、これまた旨い。


「……鍋とフライパンだけでどうやってこんなに作ったんだ?」


 最後に焼いていたのは卵焼きであった。当然、コンロが一つしかない以上、それ以外のものを火入れすることは出来ない。だからか汁物は少し冷めているようだが、夏場に熱すぎる汁物があっても飲みづらいし丁度いい。


「あ、コツが色々あるんですよ」

「そうか、コツか。……聞いても分からんだろうな」

「まぁ、そうですねぇ、慣れですよ慣れ」


 主菜である鯖を箸で割り入れ、口に放り込む。

 適度な塩味がちょうど良い塩鯖だ。時折コンビニ弁当に入っているので食べることはあるが、出来立ては全然違う。皮のパリっとした食感はコンビニ弁当からは絶対感じられないもので、外食する時にしか味わえない類のもの。

 なお魚焼きグリルなんてないのでこれまたフライパンで焼くしかなかったと思うが、ちゃんと焼き立ての温かさを感じる。

 テーブル越しに後ろ姿を見ていただけだったのでどんな手順で作っていたかはっきりは分からないが、明日はちゃんと見てようかな。純粋に興味がある。


 炊き立ての白米は弁当のそれともパックごはんとも違う、粒が立って少し硬い。そうか炊き立てってこんな感じなのかと、炊飯器に心の中で頭を下げる。

 外食するときも白米が炊き立てなことはほとんどないから、日常的に食べることはないものだ。だからか、一番味が違って感じたのは白米である。

 箸休めに根菜の炒めものを頬張ると、甘い・辛いが複雑に絡み合ったそれは、糖分が身体に必要なんだとはっきり教えてくれる。一番最初に完成したこれだけ少し冷めていたが、暖かくして食べるものでもないので気にならなかった。


 普段はコンビニ弁当にほんの少しだけ添えられているような記憶の片隅にも残らない副菜は、こうして出来立てを食べると主役を張れるほどなんだと教えてくれる。

 

 感動のあまりほとんど喋ることなくバクバクと食べ続けていると、かりんが手を止めてこちらを見ていた。

 しかし口の中には白米が残ったままなので、口には出さず首を傾げる。


「よく食べますね」

「……旨いからな」


 ゴクリと飲み込み、率直な感想を述べる。

 一品一品、一切手を抜いていないのが伝わってくる。いや実際には目にも止まらぬ超絶技術の手抜きがあるのかもしれないが、そんなの俺には分からない領域だ。


「なんというか、俺は幸せもんだな」

「どういう意味ですか?」

「こういう、人の作った暖かいご飯って、いいもんだなって思ったんだ」

「…………」


 頬を赤らめたかりんは何を返すでもなく、澄まし汁に口をつけて目を逸らした。

 なんか誤魔化そうとしてるな? まぁいいか。


 いつもより時間をかけ、それでも10分もかからず食事を終えたが、かりんはまだ食べていたのでとりあえず自分の皿だけシンクに運ぶ。

 一度にこんなたくさんの皿を洗ったことなんてない。どうすりゃいいんだ。まぁあとで聞くかと席に戻り、――スマホを弄ろうとする手を止めた。


「ごめんなさい食べるの遅くて。のんびりしてて良いですよ」

「あー、いや、気にすんな」


 スマホなんていつでもできる。それより今は、目の前に居るかりんを見ていたい。


 ――どうして、ただ食事をしているだけなのに様になるんだろう。

 まるでドラマのシーンのような光景に、感動まで覚える。


 それはかりんの外見が、非常に優れているからなのか。

 それとも、人柄を知っているからか。――俺には分からないけれど。


 食事の時間を楽しみに思ったことは、これまでの人生あまりない。

 食欲がないわけではないし、好きなものがないわけでもない。それでも、食べて幸福だと感じたことは、正直これまでほとんど感じたことはなかった。

 あれだな、浦部が作った超手の込んだ低温調理ローストビーフを去年のクリスマスにオタク友達たちと食べた時は凄い美味しいと思ったが――


 ――あぁ、そうか。

 料理は、味より環境なんだ。

 ただ一人で、誰とも喋らず静かな部屋で黙々と食べる、工場で作られたコンビニ飯には絶対ないものが、この場にはあるから。

 それは、きっと――


「ごちそうさまです」


 ゆっくりと食事を終えたかりんが、丁寧な所作で手を合わせる。なんというか、出るんだよなこういうところで育ちが。

 ――あれおかしいな、言っちゃ悪いがかりん、俺より育ち悪いと思うのだが、どこでこういうの身に付くんだろうな。性格か? 分からん。


「ごちそうさまでした。洗い物くらいはするぞ」

「じゃあお願いします。……ただ洗ったもの置く場所ないんで、洗ったそばから隣で拭いちゃいますね」

「助かる。……そうか拭けばいいのか」

「お皿拭いたことないんですか?」


 困惑した顔を向けられたので、黙って頷く。

 恥ずかしながら、ない。マジで一度もない。

 これまで洗ったものは、調理台の上に放置していただけだ。使って皿一枚か鍋一つだし、ほっときゃそのうち乾くから。


 皿が山積みになった超絶小さいシンクの、とりあえず一番上に置いた皿から洗っていく。一枚洗うと隣に立つかりんに手渡し、かりんはそれをさっと拭いて、一旦調理台に重ね、同じ皿の組み合わせが揃うたびに棚にしまっていく。

 協力プレイのお陰かあっという間に洗い物は終わり、さて、と時計を見ると――


「うおっ……もう8時過ぎてんのか」

「のんびりお買い物してたからちょっと遅くなっちゃいましたね」

「だな。……悪いな遅くまで付き合わせて」

「いえいえー」


 最後に布巾を干したかりんは、「んしょ」と床に置いていた自分の荷物を拾い上げる。


「じゃあ先輩、また明日」

「……いやちょっと待て、流石にこの状況ではいさよならって返すのはヤバいだろ」

「泊めてくれるんですか?」

「帰れ」

「間違えました。送ってくれるんですか?」

「徒歩で悪いがな」


 かりんの荷物を強奪すると、――あれ、重いな。

 慌てた様子のかりんが、あわわ、と手を泳がせる。渡さんぞ。


「何入ってんだ?」

「……内緒です」

「そうか」


 聞くのも野暮だよなと、頷き返すとかりんはほっとした様子で胸を撫で下ろした。女子の荷物多いっていうしな。っていうか、これ全部持ったまま買い物してたのか。まさか教科書一式全部入っているわけでもないだろうが――


「……あの、先輩」

「なんだ」

「ちょっとその中から、いくつか抜いてっていいですか」

「いいけど……どうするんだ?」

「先輩の家に置いて行こうかな、と」


 若干申し訳なさそうな顔で言われたが、「あぁ、」と頷く。


「家で使うものあるのか、ほれ」


 鞄を手渡すと、受け取ったかりんは背を向けて中身の選別をする。

 なんか見てたら悪い気がしたので目を逸らし、5分ほど待つ。


 それらは家中至る所に隠すように置いて行かれたが、まぁ気にしないでおこう。流石に監視カメラとか盗聴器ってことはないだろうしな。そこまで自意識過剰ではないぞ。

 片付けを終わったかかりんが戻ってきたので、「ん」と手を出し鞄を受け取ろうとすると――「ていっ」と腕を組まれた。


「あ、いや違くて。鞄だ鞄。荷物をくれ」

「私が荷物です。運んでください」

「…………置いてくぞ」

「良いんですか? ここで寝泊まりしちゃいますよ?」

「俺が悪かった」

「遅くなっちゃうんで帰りましょー」

「……あぁ」


 まぁ、こんな時間なら学校の近く通っても部活帰りの生徒なんて居ないか。最終下校時間はとっくに過ぎてるし、駅前に辿り着く前に離せば良いか。


 腕を組まれたまま外に出、鍵を掛け、――かりんが鍵をじっと見ていた。


「どうした?」

「いえ、……ドアの内側にかかってたの、合鍵ですよね」

「そうだな」

()――いえ、やっぱまだ大丈夫です」

「ん? そうか」


 よく分からんが、大丈夫ならまぁ良いか。

 小さな声で「ちょっと足りないか……」と呟いたのが聞こえたが、何のことか分からないので聞き返さないでおいた。


 そのまましばらく、暗い住宅街を歩く。

 街灯に照らされる虫の数が明らかに減っているので、もうじき夏も終わるのだろう。

 今日は扇風機で足りるくらい涼しくて助かった。

 居室にエアコン(数十年前のボロいものだ)が一応ついているが、風量は弱く、また角度のせいで、引き戸を開けていたところでキッチンにまで冷気は行かない。


 もし真夏に再会していたら、家で料理するなんて不可能だと断ったろう。

 日当たりの問題で、真夏のキッチンは灼熱になる。お茶を取りに行くための移動すら億劫になるほどである。

 来年はどうしような、と考えたところで、ふと、馬鹿な妄想をしていたことに気付く。


(……来年までかりんが飯作ってくれると思ってんだな、俺は)


 飽きたらやめてくれと言ってある。すぐには飽きないかもしれないが、他にやりたいことが出来たら毎日人の家で料理をするなんて時間はなくなるだろう。

 買い物をして、料理をして、食べて、片付けて。たったそれだけで、8時を回ってしまった。

 高校生の時間は有限だ。こんなこと毎日してたら友達と遊ぶことだって出来なくなる。あと勉強とかな。俺はしないから知らないけど。


「なぁ、かりん」

「なんですか?」

「土日は、来なくていいぞ」

「……どうしてですか?」

「遊びたいだろ。平日はほら、学校もあるからどうせこのあたりまで来てるだろうが――」


 返事がなかったのでかりんの方を見ると、むすっと唇を尖らせていた。可愛いな。

 ただ腕組んで歩くのって、結構難しいのな。普通に歩いてるだけで足が当たるんだよ。どうすりゃいいのか全然分からん。


「先輩」

「なんだ」

「人が好きでやってることを他人から否定されたら、どう思います?」

「何言ってんだお前、って思うだろうな」

「そういうことです」

「……そういうことか」


 かりんは「はい」と頷くと、少しだけ表情をきつく、歩くペースを早めた。


 怒らせちゃったな、ということくらい分かる。けれど、言わないわけにはいかなかった。

 かりんの時間を全て奪ってまで、俺はかりんに返せるものがないから。


(何て言うのが正解だったんだろうな)


 実際のところ、現実の会話に正解の選択肢なんてほとんどない。

 不正解と、()()()()()()()()があるだけだ。

 好感度は目に見えないし、会話の選択肢だけで上下するものでもない。だからただ、不正解を選んでしまったという事実だけがこの場に残る。


「なぁ」

「どうしました」


 さっきより少しだけ強い口調で、けれどこちらの目を見て、かりんは返す。


「なんか、俺に返せることはないか。金でも、なんでも。いや金はそんなないが」

「……なんでもいいなら、」


 しかし何かを言いかけたかりんは、ぶんぶんと首を振って、「恩着せるのはまだ早いか」なんて呟く。何が早いんだ?

 ところで金と言ったが、別にそこまで金を持ってるわけではない。生活費として振り込まれている金がそれなりに残っているが、時給換算で毎日賃金を払っていたら、たぶんすぐ底を尽きるだろう。

 ならバイトでも、なんて考えて、かりんと会える時間が減るよな、と却下。


「私のお願い、たまに聞いてもらっていいですか?」

「そんなんでいいのか?」

「はい、充分です」

「分かった。じゃあ……決まったら教えてくれ」

「はーい」


 少しだけ上機嫌になったかりんは、歩くペースを戻してくれた。


 そのまま駅前に辿り着く。――誰かに見られているかもしれないので腕を抜こうとしたが、がっちり決められていて全く解けない。力つっよ。流石元運動部。

 改札に辿り着き、名残惜しそうな顔でようやっと腕を離してくれたかりんは、「ありがとうございました」と頭を下げ、去っていった。


 ――それ言うの、俺の方なんだけどな。

 そう返す間もなく、かりんの後ろ姿は人ごみに消えていった。

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