10
学校を出て、歩き出す。今度は駅に向かわず直接自宅に向かっていると、かりんがふと立ち止まりスマホを見た。
「あっ、先輩、こっちの道で良いですか?」
「ん? いや構わんが」
かりんが行先を変えた。地図アプリを開いて、きょろきょろと周囲に視線をやる。
そのまましばらく歩いていると、「あったー」とかりんが声を漏らした。
到着したのは大きな駐車場。自宅周辺ではあるが、似たような家が建ち並ぶ住宅街の普段通らない道ばかりを通ってきたので、何があるかは咄嗟に分からない。
「……ここは?」
「スーパーですよ。ほら大通りから行くとだいぶ遠回りになるけど、地図見てたら裏から入れるんじゃないかなーと思ってたんですよね」
「あぁ……そっかこのへんか」
言われてみると、大通りを自転車で通ってる時に見かける大型スーパーの裏手側だ。
とはいえ、特に用がないので入る機会はない。なんかあるな、と思う程度。
もっと家の近くにコンビニがあるため、ここまで足を運ぶことはないのだ。
最寄りのコンビニだったら、カップヌードルにお湯を入れてから家に帰ってもギリギリ3分以内に食べ出せるし、お湯を沸かすためのヤカンには常にお茶が入ってしまっているので、ここ数年はずっと同じコンビニで三食済ませてしまっていた。
あとはこのスーパー、総菜や弁当を取り扱ってるけどレンジがないのだ。スーパーで買った弁当を温めるためのレンジを買うくらいなら、レンジが置いてあるコンビニで買う方がトータルで見たら安上がりである。
引っ越したばっかの時にそれに気付いて、それきり使うことがなかった。調理実習で買い出しした時くらいかな。たしか俺はピーマンを買った。
「……そうか、夕飯作るのか!」
「いや何に驚いてるんですか」
「あまりに現実離れしすぎてて……」
かりんが料理上手という裏設定は、弁当を食べて知った気になっていた。
だが、俺の家で誰かが料理をする姿を、想像すらしていなかったのだ。そのせいで、料理というのをどこか他人事のように感じてしまっていた。
そうか、これからは毎日――
朝目が覚めるとセーラー服にエプロンつけたかりんが料理をしている姿を幻視して、頭をぶんぶんと振った。馬鹿野郎がよ。家に泊まらすな。
俺の謎動作に一瞬疑問を覚えたかりんだったが、何かに気付いたか、すぐににたぁ、と笑顔を作る。読心術とかもあったりする? ないよな流石に?
「同棲したてのカップルみたいとか考えました?」
「いや違う」
「……なーんだ」
ちょっとガッカリした様子。――だって、言えるわけないだろ。
(……新婚さんみたいだと思ったなんて)
実際のとこ、新婚さんがどういう感じなのかは知らない。
母さんが今の父さんをゲットした時だって、そんなホンワカした気配は毛ほどもなく獲物を捕らえたハイエナみたいな顔してたし、元から自立している母さんは炊事洗濯掃除とほぼしないので、まったくもって主婦っぽくない。
故に、家出料理をしている姿というのは、非現実的な存在として想像することしか出来ないのだ。
かりんはいいお嫁さんになると思う。可愛いし、料理上手いし、性格良いし、尽くすタイプだし、可愛いし。あれ完璧だな? もう他に何か必要か? 要らねえよなぁ!
まるで何度も来ている地元スーパーかのごとくに迷いなく店内を進むかりんを追いかけながら、食材を眺める。
精肉コーナーの前で立ち止まったかりんが凝視しているのは、牛バラ肉。グラム179円。高いのか安いのかも俺にはわからん。それにしても――
「……高いな」
「分かるんですか?」
「あ、いや、すまん分からん。そうじゃなくて、食材が、な」
「割と普通なお値段だとは思いますけど……。たしかに住宅街で他に競合スーパーがないので強気な値段設定のもありますが、どうしてそう思ったんですか?」
「……今日弁当に入ってたの、レンコン、ホウレンソウ、卵、挽肉、鶏肉だろ――ざっと見た感じ、全部買ったら2000円くらいする。コンビニ弁当は高いってネットでは言われてるけど、こうして見ると食材も高いなって考えてたんだ」
「…………先輩、一食だけ作る想定してます?」
「そうだが……別に沢山買ったら安くなるシステムってわけでもないだろ」
「コスパは良くなりますけど……そうですね、食材単品を料理ごとに買ってたら確かにそんな計算になりますけど、たとえばこれ」
「ホウレンソウ……いや小松菜か。それがどうした?」
さっきかりんが店内に入ると同時に籠の中に入れていた小松菜を指差す。確か98円だったか。安かったのかな。それすら分からん。
「これだけで、お弁当に入れるお浸しくらいなら10人前以上作れます」
「…………そんなに?」
「そんなに、です。このパックのお肉も、そうですね、たくさん入れても5人前は作れて、野菜で嵩増しまで考慮すると10人前は余裕です」
「そ、そんなに作るのか!? 流石に食べきれんぞ!?」
「作りません。なので他の料理に使いまわします。冷蔵庫入れておくだけでも3日くらいは持ちますし」
「あー…………」
そうか、これって食材を料理ごとに買ってるわけじゃないのか。
目的の料理を作るために食材を揃えるという行動しか知らなかったから、計算方法が分からなかった。だが違う。これは――
「まさか伝説の……冷蔵庫にある食材から自由に料理を作るとかいう……!?」
「それ伝説になるほどですか? 私の場合は何作るか、それぞれにどれだけ使うかある程度考えながら買ってますけど……」
「……すごいな」
「なんか再会して一番驚かれてる気がするんですが」
「あ、いや、なんかそういうの、良いよな。憧れる」
「お嫁さんみたいってことですか?」
「どっちかというと主婦かな」
かりんは若干むすっとした顔で唇を尖らせ――、小さく「そっちでもいっか」と呟いた。
「で、新米主婦の華凛さんは考えるわけです」
「おう何をだ」
「鈍感系幼馴染をどうすれば靡かせられるか」
「…………」
「胃袋を抑えちゃうのが良いかなーと思うわけですが、そこんとこどうですか」
「そうだな、もう既に今日の昼用に買ってた菓子パンをどうしようか悩んでるとこだ」
「あ、そうですねごめんなさい、そういえばお弁当作るって言ってなかったですね。どうしましょう? っていうかお弁当足りました?」
「足りた足りた。元からそんな大食いじゃないんだよ」
「……まぁ見れば分かります」
うるせえ俺はガリガリだよ。これでも見た目よりは食べるんだ。弁当食べてからパン食べることも考えたが、折角の美味しい弁当の記憶を食べ慣れた菓子パンで上書きしたくなかったから食べなかっただけだ。
「私が食べましょうか?」
「……そういえば昔から俺より食べてたよな」
かりんって小学校低学年の頃から普通に大人の大盛りくらいは食べてたよな。まぁ食い溜めという意味もあったのかもしれないが、それにしても別に太ったりはしていなかった。今と違って運動してたわけでもないはずなのに。
しかしそれを指摘すると、かりんは頬を赤らめそっぽを向いた。なんだそれ可愛いな。たまに拗ねさせたくなっちまうぜ……。
「いつも朝はお弁当の残りもの食べるくらいなので、預けてくれたら私が処理します」
「いやわざわざそうしてくれなくても……、って、ん?」
「どうしました?」
たぶん、今は冗談でなく素で言ったのだろう。だが、ふと気になってしまった。
かりんは昨日言っていた。三食作ると。しかし、普通に考えたら昼と夜の二食しか作れないだろう。だって、朝から何かを作るには、その場に居なければならないから。
「……朝」
「朝がどうしました?」
「俺は朝、何を食べれば良いんだ……!?」
「リクエストあったら作りますよ。嫌いなものとかありますか?」
「辛すぎるもの全般。いやそうじゃなくてだな、」
おかしい、かりんが気付いていないはずがないのに、どうしてこれに疑問を抱いたのは俺だけなのか。
かりんは、どうやって俺の朝飯を作るつもりなんだ? まさか朝から家に押しかけることはないだろうし――
「あぁ、朝ごはんの話ですか」
「そう、それだ」
「目を覚ましたらエプロン姿の後輩がキッチンに立ってるのと、前日のうちに何か作っておくの、どっちが良いですか?」
「前日で頼む」
「……けち。減るもんでもないのに」
「かりんの可処分時間が減るだろ」
「もう部活してませんし、そんな気にしなくてもいいんですけど」
「俺が気にするんだよ。趣味の時間とか友達と遊ぶとかあるだろ。こんな冴えないオタクを構ってないでな」
むすっとしたかりんが、急に近づいてきた。思わず後ろに避けようと思ったが、棚に足が当たって止まる。
伸びてきたかりんの腕が、――細いのに彫刻のように綺麗だ――俺の前髪をさっ、と掻きわける。
前髪に隠れて普段あまり見ることのない、完全な視界。
――かりんは、ただのスーパーの店内であるにも関わらず、輝いて見えた。
ほとんど金まで脱色された髪は、頭頂部にほんの少しだけ黒い毛が見えていて。
その大きな瞳は、カラーコンタクトレンズの模様が、星が散ったように見え。
長い睫毛は、小さな鼻と、朱の入った唇は、年下の子を随分大人っぽく見せてくれて。
あぁ、こんなにはっきり見えるなら、髪切った方がいいのかもな、なんて考えちゃって。
「前髪、切りましょう」
「どうした急に」
「いや先輩の雰囲気が暗いの、大体髪型のせいですよ」
「それは……そうかもしれんが……急になんなんだ」
「冴えないオタクとか、自分で卑下しないでください」
「……なんでだ」
かりんは自分を指差し、自撮りでもするかのごとく完璧な角度を俺に向ける。ちょっと慣れてきたけどやっぱり照れるな。顔面レベルが高すぎる。
「こんな可愛い後輩が、自分のことブスで陰キャとか言ってたらどう思います?」
「鏡見ろ」
「そういうことです」
「いやそういうことじゃなくないか? 俺が冴えないオタクなのは事実で――」
「先輩、自分のこと不細工だと思ってません?」
「いや実際そうだろ」
「…………」
かりんは目を細め、じっ、と俺のことを見る。
自慢じゃないが、小学校の頃からさほど活発でなく、図書館に籠って本を読んだりゲームをしたりとインドア趣味に没頭していた俺が、自然とオタクグループに所属するようになったのは中学に入ってからだ。
中学からは、常に「キモい」「クソオタク」と蔑まれて生きてきた。だから、客観的に見た自分が気持ち悪いオタクでしかないことは分かっているのだ。
それでもかりんが仲良くしてくれるのは、昔の恩はあれど、かりんがそういう、外見を気にしていない性格なのであって――
「まぁ、そうですよね、自尊心って誰かに褒められないと高まらないもんですしね」
「かりんが自信満々なのも、そのせいか?」
「そうですね」
はっきりと返す。――まぁ、当たり前だ。かりんがこんなキャラになったのがいつからかは知らないが、この顔、この性格の女の子が、嫉妬以外の要素で嫌われるはずがない。褒められ続けて生きてきたろう。
――小学生の頃は、違っただろうが。
「一応誤解を解いておきますが、私は顔を気にしないから先輩を好きになったわけじゃないですからね」
「…………そうなのか?」
「たぶんここで私がかっこいいって言ったところで信じませんよね」
「当たり前だ」
「……なので、そのうち、そうですね。分からせてあげます」
「こ、怖いんだが……?」
決意表明をすると、牛肉を選び、ついでに四角い白いもの――無料の牛脂と一緒に籠に放り込み、棚の上に陳列されていた焼肉のたれに伸ばした手を引っ込めた。たぶん焼肉のたれが俺の家にあったことを思い出したのだろう。調味料メーカーの株主優待でよく届くんだ。浦部に押し付けようにも「そんなに使わねえよ!」と返されるくらい大量に。
しかし、分からせるって、誰をだ? 俺をか? 他人をか? 人生でそんな機会があるとは毛ほども思えないのだが、かりんには何か確証があるらしい。
数か月に一度、髪をばっさり切った後は、鏡を見るたび思う。
俺の顔は、母さんとは全く似ていない。成長するにつれ、それは顕著になってきた。
恐らく父似なのであろう。実の父親なんて生きているのかすら知らないが、少なくともこの地球上に存在はしていたはずだ。そうでないと単為生殖になってしまう。
だんだんと、実の父の顔に近づいていく俺を見て、母さんは何を想うのだろう。父のことを思い出したりしているのだろうか。
ひょっとして、最近明らかに俺を遠ざけているのも――――
(あぁ、……この思考は駄目だな)
ずっと家に居なくとも。母さんが(かりんの以前の母親のように)育児放棄をしていたことはない。女手一人で中学まで子供を育ててきた、立派な母親だ。
――だから、そんなもしもは考えてはいけない。
「そういえば先輩、学祭では何するんですか?」
手慣れた手つきでセルフレジを通し、俺が支払おうと財布を取り出す前にスマホのタッチ決済をされたので、財布を取り出す手が止まる。
食材を手際よくエコバッグに詰めながら聞かれたが、質問の意図が分からず「ん?」と首を傾げる。
「何って……別にどうもこうもしないが」
「全校生徒強制参加ですよね?」
「つっても裏方なんて、準備したらフリーだぞ。朝居りゃそっから帰ってもバレん」
「…………」
明らかにドン引きした顔のかりんを直視できなくて、目を背けた。




