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しかし泥濘歴107年、その世界の在り方に、ほんの小さな罅の入る事件が起きた。
人類の版図として残された島の中では比較的大きな一つ、昔は護州、今はカルディアと呼ばれる場所に、恐らく竜と戦って敗れたのだろう瀕死の巨人が流れ着いたのだ。
これまでにも心臓を失った巨人の骸が流れ着いた事はあったが、生きた巨人がやって来たのはこれが初めてで、……人類はこの巨人の捕獲に成功する。
不滅に近しい肉体を持つ巨人は、心臓を失わない限り、完全には死なないと言う。
そして人類はこの巨人を元に、竜や巨人に対抗出来る兵器、巨人騎を作り出す。
正確には巨人の高い魔力抵抗をすり抜けて、その肉体を支配下に置く方法を編み出した。
それが完全に心臓を止めて仮死状態に置いてからの起動時に、同調と傀儡操作を行うやり方。
それから十年と少しの期間をかけ、人類は巨人騎を使って巨人を捕獲し、更に新しい巨人騎を造って、改良して、少しずつその戦力を増している。
そう、俺達が今から巨人と戦おうとしているのも、新たな巨人騎を生み出す素体とする為だ。
遥か昔の人類は許されない大罪を犯したが、けれども今の人類だって同じく罪に塗れてた。
でもそれが人類と言う生き物で、今更決して止まれやしない。
勿論、巨人騎がどの様に生み出されているのかは重要な機密で、一般の国民達には知らされていない。
多くの国民は単純に巨人騎を、巨人を駆逐して大陸に戻る為の希望だと考えているだろう。
斥候隊に誘導された巨人の一体、雄の方が襲撃ポイントに仕掛けてあった罠、落とし穴に填まって腹まで地に埋まった。
元が人であった巨人は知能も高いが、呪いに負けて理性を失った巨人はこんな簡単な罠にも嵌る。
罠に嵌った雄を見て、雌は咄嗟に足を止めるがもう遅い。
伏せていた状態から一気に起き上がる三機の巨人騎。
一騎は隊長であるシャンテが駆る十六メートル級の重装騎、ハスカール級のグレン。
残る二機は俺とラッツの十二メートル級の軽装騎、フェンサー級のエイフだ。
シャンテのグレンは左右の手に二本の剣を、そしてラッツのエイフは槍を持って前に出る。
だが俺のエイフが今手に持っているのは、城に備え付ける巨大バリスタを改造した、巨人騎用のクロスボウ。
既に弦が引かれて矢も装填済みのそれを、俺は雌巨人に向かって引き金を引く。
バツンと音を立ててまるで大きな杭の様な矢が飛び出し、雌巨人の太腿を貫き刺さった。
強い生命力を持つ巨人にとって、その矢傷程度じゃ大したダメージにはならないだろうが、それでも足に刺さった矢は雌巨人の動きを確実に邪魔する。
片足の動きが鈍った事で動きに隙の出来た雌巨人に、接近したラッツのエイフが鋭く槍を突き刺す。
顔を、四肢を、腹を、幾度も幾度も素早く突き刺して、相手に傷を蓄積して行く。
特に狙うのは、やはり脚部だ。
相手が女性の姿をしていても容赦はない。
巨人は人を滅ぼす生物で、仮に手を緩めて組み付かれでもしたら、巨人騎に乗っていてもこちらが殺されかねない相手だから。
巨人騎は鋼鉄の鎧を身に纏っているし、操縦槽には外部からの衝撃を遮断する魔術が掛かってる。
それでも巨人が全体重と渾身の力を乗せて操縦槽の真上を踏み付けたりすれば、中の騎手は操縦槽ごと潰されるだろう。
俺は放った矢が効果を発揮した事を見届けると、自分のエイフにクロスボウを捨てさせ、代わりに地に置いていた両手持ちの長柄斧を拾う。
心臓を破壊しない限り負った傷もいずれは癒えてしまう巨人を、心臓を残したまま確実に捕獲するには、首を刎ね飛ばすのが一番良い方法だとされている。
幾ら肉体が再生しようと、それに行動を命ずる脳がなければ、巨人の身体は動かない。
そう、俺が拾ったこの斧は、斬首用の処刑斧。
ラッツのエイフからの攻撃に、脚にダメージが溜まった雌巨人はガクリと大地に膝を突く。
傷の再生は既に始まっていて、恐らく数十秒で立ち上がりはするだろうけれど、それは大きな隙だった。
「ミュール!」
操縦槽の魔振機から聞こえた、友の声。
もう一度繰り出されたラッツの槍が、雌巨人の肉体を貫いて地に縫い留める。
「応!」
完全なお膳立てだ。
これで仕留め損なう様ならば、騎手団の中でも精鋭と呼ばれる、ロワーズ騎手隊に所属する資格はない。
長柄斧を大きく振り被り、思い切り振り下ろす。
斬首のコツは、首を刎ねる以外には何も考えない事。
相手への哀れみは躊躇いとなって、憎しみは相手を苦しめたいと言う欲求が、怒りは力みが、恐怖は怯みが、斬首の刃を鈍らせる。
すると刃は、相手の首半ばで止まってしまうだろう。
巨人の動きを封じるには、首を完全に肉体から切り離さなければならない。
哀れみも、憎しみも、怒りも恐怖も全て他所へ追いやって、ただその首をごろりと地に落とす。
大きく跳ね飛ばしたりはしない。
巨人の首も、また回収の対象だった。
脳は確かに邪魔な存在だけれども、他の部位は脳無しの頭部を新たに作成する素材となる。
だがそれは後の話で、今行うべきはもう一体、シャンテと戦う雄巨人を仕留める事だ。
……とは言え、あちらの戦いも既にほぼ決着は付いていた。
落とし穴から抜け出そうともがいた雄巨人を、シャンテはハスカール級の重装騎であるグレンの膂力を活かして、上からザクザクと切り刻んで行く。
幾ら巨人の生命力が強くて傷が再生するとは言え、アレだけ切られれば流石に暫くは弱る。
つまりは、そう、もう既に首を刎ねる準備は整っているのだ。
流石は隊長と言うべきか、或いは流石はハスカール級と言うべきか。
俺達のエイフよりも巨大なグレンは、素体となった巨人自体が、今捕獲しているポーンとは違い、ナイトと呼ばれる上位種を使用している。
ポーンとナイトの脅威度は段違いで、同じくエイフとグレンの出力もまた段違いだ。
尤もその分、グレンを駆る騎手は高い魔力を保有した人間でなければ起動する事すら叶わない。
グレンを動かせる魔力を保有し、更に確かな実力と、隊長と言う地位をも兼ね備えたシャンテだからこそ与えられた、特別な巨人騎だった。
思わず近寄る事を躊躇ってしまう程に圧倒的なグレンの強さ。
しかしシャンテは一人で片を付けてしまわず、早くしろと言わんばかりにグレンにこちらを振り返らせる。
彼女の武器で巨人の首を落とそうとしないのは、所持した剣がダメージを与える事を優先した、切れ味の鋭い軽い剣だから。
巨人の首の骨は太く、剣を振う角度が少し狂えば、刃が折れたり欠けたりしてしまう。
その点、俺のエイフが持つ処刑斧は、首を刎ねる為の重量と頑丈さが取り得の武器だ。
サイズの大きな巨人騎は、扱う武器もまた大きい。
製造、手入れ、修理に掛かる労力とコストは、人が扱う武器とは比較にならない。
既に勝敗が決した局面で、無駄に武器を傷付ける必要がないとの判断は、至極正しい物だった。
俺はエイフを頷かせ、駆け寄って処刑斧を振り被る。
雄巨人の瞳は恨みと憎しみに燃えているけれど、俺は余計な事は何も考えずに、斧を振り下ろして首を断つ。