第一話
祖母と育てた桜の木は、今では私の背丈を越し、太く大きな幹が大きな木陰を作り出している。冬の寒さを何とか凌ぎ、もうすぐ満開の桜が見られそうだ。親のいない私には、祖母が私を膝に乗せながら、いつも二人で満開の桜を眺めていた記憶が蘇る。もういない祖母との懐かしいあのころを思い出し、今日も庭先へやってきた。桜をひとなでしながら、朝の挨拶をするのがいつもの私の日課だ。
桜が二つこちらを見ていた。違った、目玉だ。
「赤ん坊?」
どこからやってきたのか。桜の木の根元に、赤ん坊が置かれていた。周りを見回しても、親と思われる人物は見当たらない。おそらく、これは捨て子だ。珍しいことではなく、よくあることだった。貧しい村では、食い扶持に困った親が家族を養うために、生まれたばかりの赤子や老人を山に捨てて食いつなぐのだ。しかし、なぜよりにもよって家の桜の木の下に捨てたのだろうか? どこのどいつだ!
赤ん坊をよく観察してみる。漆黒の髪に桃色の瞳。とてもかわいらしい顔をしている。しかし、肌の色は少し浅黒くツンと尖った耳をしているので、すぐに魔族だと分かる。ひどい事に真っ裸だ。服ぐらい着せてあげてほしい。
私はしばらく思案した。桜の木の下に置かれた魔族の赤ん坊……漆黒の髪、桃色の瞳……。そうだ、この子は魔王だ! 私はこの子を知っている!
私には前世の記憶があった。前世の私は、この世界とは大きく異なる場所で暮らしていた。そこで私は平凡な人生を送り、40代半ばで病気により亡くなった。特に悔いがあるわけではなかったが、病気の時に読んでいたある本の中の世界と、今のいる世界が驚くほど似ているのだ。確証はないものの、魔法を使えたり、人間だけでなく魔族や魔獣も存在するこの世界は、まさにファンタジーそのものである。
ちなみに、私は人間と魔族のハーフだ。この世界では、そういった混血児は忌み子と呼ばれ、人間からも魔族からも疎まれる存在として忌み嫌われている。そのため、私の親は以前住んでいた村の人々に殺され、私自身も祖母とともに村八分にされた。祖母が亡くなった今、私は非常に孤独でつつましい生活を送っている。なんとも泣ける話ではないか。
しかし、私の知っている本には、私の存在は描かれていなかった。それでも、この赤ん坊が魔王だと確信できたのは、この見た目と桜の木の下に捨てられているという状況が、彼が魔王であることを裏付ける決定的な証拠だったからだ。
見なかったことにしよう。私はそのまま家に戻ろうとした。放っておけばいい。いずれ彼の配下が彼を見つけ出して連れて行くはずだ。本にはそう書かれていたのだから。
私は魔族との混血だ。ただでさえ村八分にされて人間からは良く思われていないというのに、もしこの魔族の子を助けたことが知れたら、今度こそわたしの命はないだろう。
でも待てよ、彼を助けなかったらどうなるだろうか?
私は家に入ろうとした足を止め、振り返って赤ん坊を見つめ、考え込んだ。
彼の配下がやってきた時に、なぜ王を助けなかったのかと逆恨みをされないだろうか?
その結果、命を奪われる可能性もある。
彼を助けて、それが後にばれて人間に殺されるか、助けなかったことで、魔族に逆恨みされて八つ裂きにされるか……
私は結局、後者を選んだ。ここに人間が来ることはまずないので、この子の配下が来たら、さっさと赤ん坊を渡せば済む話だと結論づけたのだ。
『おい、腹が減った』
頭の中に声が響いた。ここには私の他にこの赤ん坊しかいない。まさかとは思うが、この子の声だろうか?
「きみ、しゃべれるの?」
『念話くらいできる。それより、腹が減ったと言っている』
驚いた。こんな幼い頃から、これほどの芸当ができるとは。さすが魔王様だ。それにしても、主張が強い。いや、赤ん坊なのだから、それが普通か……
「私、乳出ないよ。魔族の赤ちゃんって何食べるの? 血とか言わないでよ……」
「そんなもの食うか! 腹が減った。食べやすいものをよこせ」
とても生意気だ。まぁしょうがない、殺されたくはないし。私は赤ん坊の口をこじ開けて、よく観察してみた。噛みつかれたが歯がないので痛くはない。
「歯が無いんだね。じゃあ果実があるからすりつぶしてあげる」
すりつぶした梨を上げると、気に入ってくれたようで素直に食べてくれた。まずいと言って吐き出されることもなく、ひとまず安堵する。
「きみ、迎えはいつ来るか分からないの?」
「さあな、それより俺はきみではない」
きみと呼ばれるのが気に入らなかったらしい。すぐに迎えが来ると思ったため、名前など考えるつもりはなかったのだが……
「名前…… 何がいいかな? 桜の木の下にいたからフラワー?」
「ふざけるな! もう少し男らしい名前にしろ。俺を誰だと思っている、俺は――――――」
「はいはい、冗談だよ。確かに君にフラワーは似合わない。いずれ最強になる男だからね」
できれば最悪になってほしくはないけれど、というのは心の中にしまっておく。
「お前は俺のことを知っているのか?」
「最強の魔族でしょ? その黒髪、血統が良い証拠だよ。私なんてこんな中途半端な赤髪だよ」
私が、前世の記憶を持っていることは話さない。本の登場人物だなんて知っても、誰も嬉しくないはずだ。ましてや、この子の運命を考えればなおさらだ。それに、話したってどうせ信じてもらえない……。
「きみの名前は…… レオン!」
「なぜ、その名なんだ?」
赤ん坊は訝しげな表情で尋ねた。気に入らなかったのだろうか。
「私の知ってる本に出てくる、星の神様の名前だよ。彼はとても強くて人々を正しい道に導くんだ」
物語に登場する魔王の名前はジェイルだった。本の通りに物語を進めたくはなかった。運命に逆らいたかったのかもしれない。名前を変えれば、彼が悪の道に進まず、善行を行ってくれるのではないかという淡い期待があった。甘い考えかもしれないが、せっかく拾った命なのだから、簡単に失わせたくはない。あの本のようには。
「お前は、何ていうんだ?」
「私の名前はサーラだよ。普通でしょ」
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