僕の創作の最終目標
自身の目標を見つけた、それが嬉しく、又思うだけでなくきちんと形に残しておこうと思い、今回のエッセイを書きました。
初めましての方は初めましてっ。
何かの縁で名前を存じている方々、こんばんわっ、こんにちはっ。おはようございますっ。
普段は「エッセイ? 無理無理っ(といいつつ、二回ほど書かせて頂きましたが(汗)」となっておりますが、この度自分の気持を整理、またはっきりさせておこうと思い、書いておりますっ。
それはタイトルに載せた『創作の最終目標』
きっとこの【目標】は、人によって様々だと思います。
書籍化を望む人。
自分の書いた作品が書籍化する、それはとっても素敵な事だと思います。
自分の書きたいものを、書き続ける人。
好きや、楽しいという気持ち、とっても大切で、そういった事を続けていく、そう考えるのも素敵です。
どんな目標も良いものだと思うんです。
もちろん創作をしていく中で、悩み、苦労、苦痛、そういったものもあると思うので、ただただ素敵、というわけではないかもしれません。
それでも「やりたいもの、したいこと」それを持って行動出来る事は、やっぱりいいな、って思います。
何故そう思うのか、というと。
先日まで、自分が創作を続けていくなかで、「目指すべきモノ」というのがまったくありませんでした。
書籍化して、作家デビュー……生きている内に自分の書いた作品を、本という形にしたいと思いはありますが、それは自分のためだけのものであればいいので、違います。
書きたいモノを書き続ける……現在の理由にはなっていますが、「目指すべきモノ」と言われるとちょっと違っている、と思います。
なので、そういった「目指すべき理由」をもてる事は羨ましいなと考えていたのですが。
つい先日、友人とこんな話をしておりました
「久しぶりに没頭できる小説をみつけた」
これは、名作に出会えた事に喜ぶ友人がいて、その友人に対して「そういう作品は出会おうと思って出会えるものじゃない、よかったね」と名作に対して思いを馳せていた時の事。
「たった一度だけ、自分で名作を書けたと思った事があったな」
と思い至ったのです。
それは作品を書き上げた時の達成感からくるもの、だけでなく。
書き続けてる最中、どんなに書けないとなっても「絶対完成させるっ」と奮起して様々な試行錯誤を行い、「キャラが自然に動く」という、今まで自身が体験したこともないような体験をし、書き上げながら、登場人物の台詞や行動を純粋に楽しんでいた。自身が「代表作」としているもの。
書き上げて、満足して、読み返せば笑ったり涙ぐんだりできる、「今後絶対これを越える作品は書けない」と思い続けているモノ。
人からみて、どう思われるか、それはわからないけど。
文章の表現の拙さは、まだまだ残っているかもしれないけど。
それでも間違いなく自分にとっては名作だと断言できる。
そんな小説。
その小説を頭に思い浮かべながら自然と友人に「自分で名作だと思えるモノが書けたよ、今後絶対書けないだろうけど」と伝えました。
すると友人は「何言っているの?」と言わんばかりに。
「それを”越える”ために書き続けているんじゃないの?」
そう言われました。
いつもだったら「あれを越えるなんて無理無理」返していました。
けど、その時は「出来上った後」だけでなく「出来上るまでの出来事」を思い浮かべていたので。
あの感覚を、もう一度体験する?
絶対書き上げてやると奮起して、登場人物が自分達で動きだして、彼らの行動や言葉に心動かされながら、書き上げた、あの時の感覚。
出来上ってからも、いつもだったら自分の出来ない所に目がいきがちだけど、読み返したら笑ったり涙ぐんだりを自然に出来て、自分の最高傑作だと胸を張って答える事が出来る、自分の代表作に置いている小説。
――体験したいな。
出来る、出来ないでいつもだったら考えていたけど。
この時は強く。
もう一度、体験したい。
そう思いました。
すると、そう思った所ですんなりと「ああこれだ」と思ったのです。
自分は、あの作品と同じような体験をして、形にしたいんだって。
そのために、創作を続けていこうと。
創作が楽しいから、書くだけでなく。
もう一度、自分にとっての名作を書くために、やり続けていこう。
それが、自分の「最終目標」
そう納得する事ができました。
友人にとってはきっと「今更」と思われるかもしれませんが、それでもようやく自分で思う事が出来て、とても嬉しく思っています。
そして、最初に書いた通り、その気持を何らかの形に残したい、という事でこの度エッセイとして、書きました。
完璧に自分語りの内容……はいつもの事ですが、ここまでお付き合い頂きありがとうこざいました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。