06.車窓
「少なくとも、僕が受賞したのは真っ当な理由ではないと思っています」
「俺さ、てっきり、日柄くんが男優賞獲ったのに嬉しすぎて気絶しかけたんかと思った」
財偶さんの感想に、そうか、そういう見え方もあるのか、と不意をつかれた。
「まあ、でもさ!日柄くん、人間ってホメオスタシスっていう機能が備わってるんだよ、知ってる?」
「え、なんの話ですか」
僕としては、財偶さんには同情求めて話していたつもりが、突然知らない言葉が出てきて、拍子抜けしてしまった。こういう時の財偶さんは早口になってちょっと面倒くさいんだよななんて煩わしさがほんの少し湧いてでたが、捲し立てて話を続ける彼の言葉をとりあえず聞き取る事にした。
「自分に異常が起こると通常時に戻そうとする働きがあってね、ほら、地震とか火事とかの災害が起こった時にこれはすぐ収まる、大したことないなんて思って逃げ遅れたり逃げなかったりする人がいるでしょ?そういう時ってパニックで脳が活性化しすぎて狂わないように、冷静にさせようとするんだよ」
その言葉に、彼には僕に対して同情や共感のつもりは無いことを察し「僕がそれって言いたいんですか」と、皮肉めいた返しをしたが、構わずに続けられてしまった。
「ずっと片思いしてた女の子からさ突然付き合ってって言われたら、これってドッキリか?騙されてるのか?実は自分の気持ちに気づかれてて裏でバカにされてるんじゃないのか?みたいに思うでしょ?今の日柄くんはそれだよ」
はぁぁぁ、と心の中のもう1人の自分が大きな溜息を吐いたところで「そうなのかもしれません」と、この話題を終わらせる事にして力なく告げた。
信号待ちで車が停止している訳でふと、窓越しに外へ視線を向けると赤茶色のレンガ造りの広場に洋風の建物が目の前に見えたので、ここは恵比寿である事が簡単に分かった。広場から横断歩道をちらほらと行き交う人々はスーツ姿が多い印象から、辺りはすっかり日が落ちでいて暗いので、今は丁度会社帰りの時間帯かとぼんやりと理解した。
「家に着いたらさ、コーヒーでも飲みながら22時のアカデミー賞のオンエア見て、自分が話題を掻っ攫った喜びと人生がまるっきり変わる瞬間を噛み締めてごらん!」
ついさっきまでの僕の体調やらを心配する慈しみはもう無くなったんかなんてツッコミは口には出さず「そうしてみます」とまた当たり障りのない返事で済ませた。
それでも財偶さんは僕が受賞した事を、結果だけ見て僕の成功を本当に心の底から嬉しく思っているんだなと、複雑ながらにもそこは照れくさかった。
恵比寿駅を超えて少々進んだところで、僕の家は、いや、居住地はもうすぐそこで、車は代官山駅から少し手前の頃合で大通りを逸れて小道に入り、古着屋やらカフェやらがあちこちに見えるオシャレな通りをちょっと進んでいったところであっさり停止した。
目の前には、3階建てのコンクリート製の寂れ気味の雑居ビルだ。
財偶さんはエンジンを付けたまま運転席を降り、外側から後部座席のドアを開け、僕の視界に財偶さんが現れた。
「明日また10時に迎えに行くからねぇ」と言いながら、僕の隣の座席に置かれていた着替えやらが入った大きなカバンを持ち出し、それに合わせて僕が車から降りると、財偶さんは空いていた左手をぽんっ!と僕の右肩を叩いた。
「リラックスだからね、明日のクランクインも、気合い入れて頑張って!それじゃ!」
リラックスすればいいのか気合い入れればいいのかよく分からないな、なんてまたしても心の中だけで思って特に口には出さずに「ありがとうございます」と一礼をしたら、財偶さんは後部座席に忘れ物がないかを一通り軽く確認した後ドアを閉め、再び運転席に戻り、バックミラー越しに手を振りながら、セダン車を走らせていった。
さて、と、僕は降ろされた雑居ビルの階段へと足を進める。