11:Enjoy football!
「基本的なルールは通常のフル試合の公式戦と同等、前半後半45分の合計90分」
坂上冬弥は、ピッチのセンターサークルに沿って並び、淡々とそう告げる。したり顔で川崎の選手達が彼に続いて並ぶ。
「決着が付かなければ延長戦で……っと。そこまでわざわざまで説明する必要もないか」などと、冬弥は嫌味ったらしく腰に左手を掛けながら、右手の手のひら側を僕らに煽るように向けた。そんな冬弥の言葉に、在里早は売り言葉に買い言葉で、「ハハッ!ご丁寧に蛇足どうも」と強がりに返した。
「サッカーってコールドゲームは存在したっけかぁー?あんまりにも点差が開いたら試合終了ってことにしてもいいぞー!」
川崎の選手たちが、ギャハハっと汚く唾混じりのような笑い声を上げた。
「審判はどうすんだ?」と、負けじとさらに在里早が噛み付く。だがそれも聞き流すように「川崎メーアルーカ(僕ら)の控え(サブ)メンバーが取り仕切るので問題ないよ」と冬弥が視線を誘導する。
その先に目をやると、ピッチサイドに黄色の審判ユニフォームを着ている複数名が、如何にも、といった様子でアップを始めた。
「しっかり公平にジャッジしてくれるんだろうなぁ……?」
在里早がなぜそこまて威嚇するのかは僕にはわからないけど。
「安心していいよ、ズルして勝ったってしょうもないからね」
気にもとめない様な堂々とした態度の茅都、威勢だけは良い在里早と並び、僕は冷や汗が滲み出ては止まらない。
………だって、つい先程、在里早がピッチへ飛び出して、それを追いかけた時、たったそれだけで僕の肺は息切れでぶっ潰れそうだったのに。11人を相手にしてこんな広いフィールドを何往復も駆け巡らなければならないのか。
「そもそも、僕、学校の体育でしかサッカーやったことないん、だけど……」
「俺も、テレビの中でならバロンドール取ってんだけどな!」
「あぁ、ゲームの話……」
こいつの話はまともに聞くべきじゃないと改めて心に誓った。
「八高……さんは、何か、策でもあるん、ですか」
緊張で言葉が上手く発せない。拙い僕の声を聞いた茅都は、「策……ねぇ」と軽い返事でチラッと横目で僕を見て、また視線をピッチに戻す。
「人って……」
何かを思いついたのか、今度は身体ごと僕に向き合うように、僕に目を合わせた。そんな茅都の様子を意外にに思ったのか僕も肩に緊張が現れてしまった。
「当たり前である事を……当たり前ではない、と思わなきゃならない。当たり前に息が出来るのも、当たり前にご飯を食べられるのも、本当は誰しもが平等に与えられる権利ではなくて、そう思っていない人間が向上できるはずがない………よね」
「……まぁ、そう……っすね」
突然何を言い出すのかと思ったが、茅都は続ける。
「でも、これは至って平凡な、普通の人間が心得る思考だ」
「………ん、え?」
「当たり前じゃないことを、当たり前だと思わなきゃいけない」
「…………??? えっ、あの、策とかあるのかなっていう、話じゃ……」
「こんなとこでコイツらに負けるようなら、この先、目標を成し遂げることなんて無理じゃないのかな」
「そ、それはそうなのかも、しれないですけど………?」
僕らが会話している中に割って入るように在里早が加わる。いつの間にか服を脱いだようで、タンクトップ姿になっていた。……かなり寒そうだけど。僕はコートを脱ぐだけに留めておいた。
「なぁポチタ、俺とオマエの仲だよな。俺はオマエのこと同じメンバーの最高の仲間なんだろうなって、思ってるからな」
「ポ、ポチタ……?ハチコウだから?犬だから?そ、それなんか、違うくない……?」
表参道のスタバで『俺たちは仲良くない』なんて、言ってたっけ。そもそもこの二人に信頼関係があれば、茅都が在里早の記憶を奪うことはしないはずだ。それでも茅都に訴えるのは、在里早の性分なのだろうか。その問いかけに、なんだか少し切なさを覚えた。
「在里早がドハマりして押し付けるみたいに勧められたマンガをちゃんと読んでるぐらいには、俺はちゃんとメンバーの事想ってるよ」
「ははっ、そうなんだ」
二人の会話はどこか他人事みたいに思えた。
ガサッ、ザザッと芝を駆けずる音が聞こえる。時間の止まった静寂のスタジアムでは些細な雑音が皮肉にもよく聞こえる。その音は、川崎の選手陣がポジションに着くために走る足音だった。……いや、走っているようなスピードに見えただけで、彼らにとっては軽い小走り程度なのだろう……。これを相手にするなんて、気が遠くなる……。
「川崎メーアルーカ(僕ら)に勝てる作戦を話し合えたかな。はやく試合を始めようよ」
「そうですね」と茅都と在里早はセンターサークルへ向かう。……ぼ、僕はどこに立てば?とフラフラと歩いては立ちすくんだ。
「ボール、そっちからでいいよ」
阪上選手も自分のポジションへ赴く。審判であろう黄色ビブスの男が、ボールを置いて離れると、『ピピーーーーッ!!』とキックオフの合図のための笛が鳴る。
それを確認した茅都が、センターサークルから最初のパスを在里早にボールをパスをした。
もう、どうにでもなれ………!
茅都からボールを受け取った在里早に、四方八方から敵選手が向かう。ーーーと、同時に、僕と茅都の周りにも、敵選手が囲んだ。
在里早のパスの選択肢は、当然の如く僕か茅都へかの2択しかない。
在里早の足元を目掛けて、3人の敵選手が足を伸ばす。その反応に慌てた在里早は、「ハチコーーー!」と無駄に叫びながら出したパスは、力なくヒョロヒョロに芝生を転がっていくだけで、茅都の足元に収まる前にあっさりと敵に奪われてしまった。……と思ったのも束の間、そのボールは阪上選手へとパスされ向かっていったと脳で把握しているうちに『ボォォォォン!!』と風を切る音が響いて、ボールはこちらのゴールのネットに収まっていた。
とてつもないロングシュートだった。
日頃、サッカーなんてものはニュース番組で頭上視点でのハイライトを見ているだけの素人の僕にとっては、あまりにも一瞬に見えた。
『川崎ゴール!1対0!』
審判が叫び、笛が鳴る。
「……時間の無駄だね」
阪上選手は自陣へと戻りながら吐き捨てるように言う。人を、ゴミを見るかのように見下す目、とは、正しくあの目の事なんだろう……。
「わ、わりぃ……ハチコー………」
呆気に取られる在里早。勿論、僕には彼を責める気持ちすらも微塵も湧かない。こんなの、勝てっこない。
「気にすんな」
茅都はそれだけ言って、センターサークルへ戻った。
『ピピーーーーーッ!』
試合が再開される。
「………ッ!!」
僕の足元にボールが飛ぶ。弾丸みたいな速度で、咄嗟になんとか右足の側面で受け止める事はできたが、ボールは留まらず、数メートル先へ跳ね返ってしまった。
それを見逃すはすがない敵選手がすかさず奪い、阪上選手へ献上される。
『ダンッ!!!』
『ピピーーッ!!川崎のゴール!2対0!』
先程のリプレイのような、阪上選手のロングシュート。全く同じ映像。
「はやく死ね」
彼は茅都の横をわざと横切り、そう呟くのを確認した。
阪上選手にそんな言葉をぶつけられても、茅都は変わらず無表情のままだった。
何を考えているのか、さっぱり分からない……、パニックで狂ってしまいそうだ……!なんのつもりなんだ、八高茅都!
「は、八高、くん、これ、勝てない……よね?」
震える声で尋ねる。そもそも、茅都の存在自体、敵か味方かどうか分からないんだ。僕はどう動くべきなんだ……!?
「ははっ、茅都でいいよ。同い年でしょ?在里早の事も呼び捨てにしてたろ、俺もヒガラって呼ばせてよ。それに、今は一緒のチームで戦うチームメイトなんだし。ね?」
茅都はそう微笑んで手を差し出した。
その笑顔を見て、テレビのCMや電車で見たペットボトルの紅茶の広告での彼の姿を思い出した。
「………は?」
思わず口から疑問が零れる。笑顔の彼とは反対に僕の顔は引き攣っているはずだ。……なぜ、今、そう答える……?なぜ、笑顔……?
なんとなくの反射で握り返してしまった茅都の握力は、優しかった。
「テメェら、舐めてんの……?」
その様子を見ていた川崎の選手陣が、煽る。
「まぁまぁ、サッカーって楽しいよね」
茅都はそう言いながら再び、センターサークルに立った。顔は無表情に戻っていた。
「茅都くん、さっきと同じこと、繰り返し続けるつもりなの?」
阪上選手は鋭く尖った眼差しと、濁った低い声で返す。
「じゃあ冬弥さん、あと何点欲しいですか?」
「……君こそ、あと何点入れられたら満足するの?」
「ハチコー!!どうすんだよ!?何考えてんだよオメェー!」
こればっかりは、在里早に同意だ……。
『ピピーーッ!』
はやく試合を続けろと言わんばかりに審判が笛を鳴らす。
「おい!!」
在里早の怒号も完全無視だ。
どうするんだ……。
茅都は、黙ったまま、とんっ………と軽くボールを空中へと蹴り上げた。
それに合わせて足を振りかぶった。
「………えっ……!?」
確実にそのフォームは僕か在里早へのパスでは無い……!
ドォォンッ!!
とボールが何かにぶつかる激しい衝突音のような音が響く。
それは茅都の足元から発せられていた。
そしてボールが、川崎の選手たちのやや頭上の空間を切り裂くかのように突き抜けた事だけは、なんとか把握できた。
そのボールの行方は、だんっ……だんっ……と相手のゴールネット内でバウンドしている。
川崎のゴールキーパーは1歩も動かずに立ち尽くしていた。
「八高チーム得点、2対1……」
阪上選手よりもさらに長い、センターサークルからのロングシュートゴール……。
『ピッ、ピーッ……』と審判が鳴らす笛も、動揺してるような音色だった。
「俺がYouTubeの切り抜きで見た茅都のスーパープレー集の"ソニックブームシュート"より、今のコレ、長くて早かったくねぇか……」
僕はサッカーをしている茅都のことは詳しくないので、それは在里早の独り言になった。
先程と変わって川崎スタートのボール。
センターサークルへ向かう阪上選手の顔は、まるで侮辱された怒りによって真っ赤になっているように見えた。
「茅都………どういうつもり?」
阪上選手に睨まれた茅都は、「はははっ」と背中を仰け反らせて笑う。
「俺は、冬弥さんの真似してんすよ」と口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。
その言葉に阪上選手は返答せず、センターのボールへと向かったが、茅都は言葉を続けた。
「"操り人形師"の"操り人形師"になる前の、冬弥さんの真似ぇ♡」
それは、にっこりと意地らしく微笑むような、"八高茅都"という至高の最たるアイドルの笑顔だった。
それを見て、ほんのうっすらとだが、茅都のやりたい事に、僕自身が何も知らないながらもなんとなく気づきはじめたような感覚を覚えた。
「…………」
阪上選手は眉間にシワを寄せて少しの間固まった後、何かの糸が切れたかのように、
ビュッン!!!!
目で捉えられないような速さのキックで、これまた刹那にボールはゴールの中へと突き抜けていた。
先程の1点目2点目とは大違いの、豪速球のロングシュートだった。
「はっや………」
茅都と同等と言っていい。在里早も僕も、ふたりのやりとりにただ立ち尽くすだけで、果たしてこれはサッカーなのだろうか……。
「か、川崎、ゴール、3対1………!」
「やればできるじゃないすか♡と・お・や・さん?」
不気味な程の満面の笑みの茅都。とても点を取られた人のリアクションではない。ハイタッチしようと両手を阪上選手に向けると、脳の血管がはち切れるんじゃないかと思うほどの、とんでもない形相で茅都を睨みつけていた。
ぞくっ……っと、背筋に悪寒が走った。彼の表情を傍から見ていただけの僕は、"この人は心の底から本気で茅都を殺そうとしてる"と、僕の脳がそう判断して、超危険人物に認定したような。今すぐ他のところへ逃げ出したい。けれど足が震えて動かない、そんな感覚に苛まれている。
「か、かやと……こ、これ、大丈夫か?」
その殺気を在里早も感じ取ったのか、震える声で茅都を案じた。在里早が茅都の元へ駆け寄って、肩を掴む。……僕とは対照的な、行動だった。
「大丈夫だよ在里早、冬弥さんはそういう曲がったことはしないって分かってる。ちゃんと"サッカー"で決着をつけるよ」
一呼吸置いて、茅都ははにかむ。
「俺にとっては、NOI"r"SEのメンバーのことも、川崎メーアルーカのチームメイトのことも、一緒に過ごしてきた大事な仲間、だよ」
ドラマの中みたいなセリフ……。
ーーーそれならどうして、昨日在里早と僕のことを襲った……?何故、在里早の記憶は消えたの……?
八高茅都の言動のいずれは、どれが真実で何が嘘なんだろうか。
『ピピーーッ!!』
審判が急かすように笛を鳴らした。
「俺は、"負けない"っすよ、冬弥さん」
先程見たのと同じ動き……、ボールを空中へ浮かせて、足を振りかぶるフォーム……!
バットやラケットでボールを打つみたいな、サッカーなのに他の球技で例えるのもどうかとは思うが、それを足に替えただけの同じに見えた。
一度見て少しぐらいは目が慣れたのか、なんとかボールの行方を追いかけることぐらいはできた。
茅都の蹴り打ったボールは、弧を描くというよりまっすぐ突き抜けていく。八高茅都の"ソニックブームシュート"、そういえば昨年の流行語の候補に入っていたような。
バシィィィ!!!
だが、茅都から放たれたボールは何かに激しくぶつかる音を鳴り響かせた。
川崎のゴールキーパーの選手が、少し痛そうに手を払っていた。その仕草で、あの茅都の"ソニックブーム"をブロックした事を悟った。
「俺らチームメイトだもんな?そうだよなぁ、八高のシュートだって研究し尽くしてる、伊達に日頃の練習してねぇぜ
「俺たちの事舐めやがって……!!俺らも」
ゴールキーパーの選手が叫ぶと、他の選手も賛同し叫ぶ。
「ふーん、そう来るんだ」
ボールはバウンドし、弾き飛んでいた。
………!!!
………これ、こぼれ球ってやつか!?
そうか、相手は完全に油断している。『茅都プラスド素人二人相手』だから、僕らの事なんて視界に入ってない。それに、ただでさえ影の薄い僕だ。
「………っはぁ!!!」
ザザザザッ!!と芝を掻き分けるかのように、ボールの方へ必死に走り込む。
気づけば無我夢中で向かっていた。
別に無視すればいいのに。こんな危ない事、茅都に任せればいいのに。
だってーーーーー
もしかして今、必死に走り込めば、僕でも点が奪えるんじゃないか。
すごい人間になれるんじゃないかと、思ってしまったんだ。
ーーーー『日柄、私が生きている 芸能界はね、どんなチャンスも絶対に逃してはいけないんだ、自分にはできないことも、できると言わなければいけない』
館山さんの言葉が、こんな時に脳に過ぎる。
『そんな、普通の人間の幸せを手放してまでしなければならない努力をすべきだと、私は君には言いたくないんだ。それでも……君が、私の生きる世界まで来ようと言うのなら、喜んで迎え入れるし、共に生きよう。だから、いつでもおいでーーーー日柄』
ズンッ!!!!!!
重くて鈍い衝撃が、僕の右側後方から叩きつけられたような感覚。
その瞬間僕の足元は、宙に浮かんで、芝生を蹴れなくなった。
「…………あぇ?」
必死に動かしていた足は、何も蹴れずに空振ったと同時に、重力が容赦なく僕の身体を前へと押しやる。
ズズザァァァァ!!!!!!
骨が叩きつけられる感覚、全身の肌を草の刃が通り抜ける。
「うっ……ぐうぅ……!」
喉奥の奥のみぞおちから、低く掠れた呻き声が漏れ出る。
僕はピッチに打ち付けられ、転がっていた。
キィィィィーーーーーーーーン…………
耳の奥がスタジアムの青空が闇にフェードアウトしていく。
今、僕、どう……なった……?
「…………ガラァァァ………!」
在里早の声がとてつもない遠くから響いて聞こえたような気がした。状況を思考しようとしようにも、全身が闇の底に落ちていく感覚についてしか、分からなかった。




