09:闘争
在里早は考えないんだ。やりたいと思ったら身体が先に動くタイプ。
僕はその真逆。行動の前に必ず理由を付ける。保険を掛けるんだ。
"魔法"を解いて見られたらバレるだろう、人に囲まれたらどうするんだ、パニックになったらどうするんだ、そんな速さで階段を段飛ばしで駆け下りて転んだらどうするんだ、頭から落ちたらどうするんだ、自分も誰かも怪我をしたらどうするんだ。
この場合、在里早を引き戻した方がいいと判断して彼の背中を追いかけて、柵を飛び越えフィールドへ降りる。
当然僕は"魔法"は解かない。
見掛けはフロントスタッフのままだ。周りには乱入者を止めに行くスタッフに見えている。抑止されずにスムーズに追いかける事ができた。
フィールドに降り立った在里早は、ピッチをとんでもない速度で駆ける。試合途中に交代で出てきた選手じゃないんだがら、なんてくだらないツッコミが脳裏に過ぎるも口に出したところで誰にも聞こえない。というよりもはや、在里早を追いかけるのに必死で酸素を吸う暇もない。
「え!?あれ在里早くんじゃない?!!」
「キャァァァァァーーー!!!!!!!!
「キャーーー!!!!!!」
その人影の正体に気づいた観客席があっという間にどよめきだす。
NOI"r"SEのファンとおぼしき客達も立ち上がったり、便乗して階段を降りようとしていた。
「危ないので!お下がりください!席から離れないでください!!」
そこに他の警備員やスタッフの怒号も飛び交って混じる。
すなわち、この状況は在里早の登場によって、パニックを助長させる結果になっているのだ。
そんなの、ちょっと考えたらすぐに分かることなんじゃないのか。追いかけながら僕の在里早に対する呆れが、軽蔑に変わっていく。
在里早は阿津とSuiryuのいるピッチ中央の特設ステージまで駆け寄り、阿津の握っていたマイクをかっさらうように奪った。
『みんな!!!!!頼む!!!あぶねぇから席戻ってくれ!!!』
スタジアムに在里早の叫び声が響く。
キィィィィィーーーン!!!
と、不快なハウリング音が鼓膜に刺さるかのようであった。
客席も一瞬は怯んだようだが、
「メーアマーレに関係ないヤツは引っ込め!!」
「ブゥーーーーー!!!」
「お前らアイドルのせいで俺たちは迷惑被ってんだよ!!」
「在里早くんがそう言ってるんだから席戻りなよ!」
「在里早くーん!私九真担だよ!!大好きだよ!」
「ギャーーーー!!!」
「ドラマやらないで!!あの女と共演やめて!!!!」
「ワァァァーーー!!!」
騒ぎが収まるどころか、興奮はさらに過剰に悪化していた。
急いで在里早の元へ駆け寄ろうにも、サッカーコートの半分強の距離は、僕にとってはそれなりに長い距離に感じた。選手はこの倍のフルコートを試合中何往復もするのだと思うと途方もない思いに駆られる。だが今はそんな事は関係ない思考だ。
意識がおぼつかなく肺が酸素を求めて破裂してしまいそうなほど息が上がっており、同時に在里早への怒りが重なり頭に血が登っていた。
「ぜぇ、はぁ、はぁ……ッ!はぁっ!在里早ッ!!ふざけんなぁっ!さっきからずっと、勝手な行動すんなっ!!もっと考えて動けよ!!」
呼吸も感情も乱れているのは自覚している。思考も喉の筋肉も、どちらも上手く働かない。僕は両膝を両手で掴み、猫背の姿勢で目の前の在里早を睨んだ。
反対に僕の様子を見た在里早は、思っていた反応と違かったのか、一瞬ぎょっと驚いた表情をして、
「いや、こんな状況おかしいに決まってるだろ!はやくなんとかしねぇと、俺も出るドラマなら尚更、ROM専リスナーみてぇに他人事ですって顔して指くわえてバブバブ見てらんねえよ!!」
『頼むからみんな!!!危ねぇから戻れって言ってんだ!!叫ぶのやめろ!!今は文句言っていい時間じゃねえ!!』
「キャァァァァァァ!!!」「ブゥゥゥゥウ!!!!」
「ワァァァァァァ!!!!」
在里早は僕を無視して再度マイクを通して呼びかけるが、客席が収まることはなかった。
「在里早、お前っ……!良かれと思ってやってだろうけどっ……!くだらない正義感振りかざしてんなよっ…!!お前が前出たせいで状況が悪化してんだよ……っ!ぜぇっ、はぁ!!」
あの距離を走ったのに、僕とは全く違って呼吸の乱れていない在里早に劣等感さえも覚えていたのかもしれない。普段の僕なら、こんなに誰かを責め立てるような事を言わないはずが、よっぽど腹が立っているのか、思わず口調が強くなる。
僕らの言い合いを傍から見ていたのか、阿津勇彌が割って入る。
「NOI"r"SEんとこの九真在里早やんな、急に出てきて何してくれとんねん、せめて言葉選ばんと、わっるいマスコミとかに都合ええよう切り抜かれんで。このスタッフさんの言う通りや、頭冷やせ」
阿津は在里早の右肩を掴む。テンションも声色もやや低めの一定した話し方で、関西弁特有の巻舌混じり。テレビでバラエティ番組に出ていた時も、このような同じ雰囲気だった。そういえば阿津には僕がスタッフに見えているんだった、と少し油断した自分に焦りを覚える。
在里早は、阿津に掴まれた肩を思い切り振りほどいた。
「え?!なんで俺の方責めんの?!今そんな場合じゃなくない?!」
阿津に窘められようが落ち着く様子の一切ない在里早に、更に堪らず言い返す。
「もう少しさ頭使って行動しろっつってんだよ!!阿津くんの言う通りだよ!」
「は?!お前結局そっち側か?!寝返ったんかよ!!」
「そっち側ってどういう事?!何言ってんのまじでお前?!」
僕には"魔法"が掛かっているままなのに、際どい事を口走る彼に対し、僕もかなりムキになる。
これはもうしっかりとしたケンカ。
在里早も目に見えてイライラしている様子だった。ぶっきらぼうにマイクを握りしめ「あ"〜〜!!」と叫びながら芝生を蹴り上げていた。その様子は反抗期の子供みたいで、しょうもなく見えた。
『テメェらギャーギャー騒いでんな、黙れよガチで!!ここはサッカーする場所なんだよ!!関係ない事でグチグチ言ってんなよ!!!』
「なっ……!!??」
ヒステリックにマイクを通してスタジアムへ叫ぶ在里早の様子は目に余るひどい態度だ。これではやけくそに火に向かって油を、いや、ガソリンを注いでるようなものだ。
今にも暴れそうな在里早に、咄嗟に体当たりした。
当然、僕も含め、よろけてそのまま芝生の上へ2人で倒れ込む。
マイクが手を離れ、転がる。それを取りに行こうと旗取り競走みたいにお互いで手を伸ばして、行く手を阻もうと妨害して、醜い取っ組み合いに発展していた。
「やめろや!」「マイク持つな!」「退けよ!」
揉め合う僕らに阿津が駆け寄った。
「あぁ何してんねん!!カメラもお客さんもみんな見てんねんで!」
そんな事は分かっていたが、最優先事項として今はとにかく在里早からマイクを遠ざけることに必死だった。
するとメインスタンドからSuiryuと川崎のユニフォーム姿の男を2人連れこちらへ3人で駆け寄ってくる様子が目に入った。
「お願いだからやめてください!!」
今にも泣きそうな表情でSuiryuが僕らに向かって叫んでいた。
在里早は下唇を噛みながらバツが悪そうにすぐに僕から離れて立ち上がっていた。
好きな女性に言われればすぐに黙れるのか。僕はこいつをなんてだらしない性根なんだと思った。
Suiryuが連れてきた1人は右腕に黄色いキャプテンマークを付けていた。8番の背番号にTOUYA。事前に調べ見た情報を思い出す。あの人はチームキャプテンの阪上冬弥選手で違いないだろう。
もう1人は瞬時に分かる。案の定、八高茅都。
Suiryuの持っていたマイクは茅都に渡っていて、阪上選手はこちらの傍まで駆け寄る。僕は咄嗟についさっきまで取り合おうとして転がったままのマイクを拾い上げて、阪上選手へ差し出した。
『在里早に代わりお詫び申し上げます、強い言葉を用いてしまい申し訳ありません』
茅都が深々と頭を下げた。
それを突っ立ったまま見ているだけの在里早にうんざりする。当然、客席の前で醜い争いをした僕も随分悪い。だが自分の罪を自分ではない人間が代理で謝罪しているのだから、それなりに自分を誠意を見せるべき場面ではないのか。在里早の腕を掴んで茅都の側まで連れてこさせ、2人で頭を下げた。
「ブゥゥゥゥウーーーー!!!」
それでも客席の騒ぎが落ち着く様子は見られない。
『両サポーターの皆様、これ以上の行動は大事な開幕戦の試合の中止が検討されてしまいます!どうか、まずは落ち着いて頂けますでしょうか!』
キャプテンの阪上選手も深々と頭を下げた。
客席全員が騒いでいる訳では無い。善良なサポーターが協力し、過激サポーターを止めに行っている様子も見られる。
『茅都くーーん!!!キャァァー!!』
それでも一部の女性は気にもせず叫ぶ者も居た。
『どうかまずはお静かに、どうかお席にお戻りください、このままでは警察の出動要請や身分証の確認もやむを得ない状況になってしまいます』
茅都は一呼吸置いて、迫力のある真剣な眼差しで客席へ訴える。演技では無い、ドラマでは見られない相当な様子だ。
『サポーターの皆様方から俺に対しそう言ったお声がある事しかと受け止め理解しております。俺はチームにわがまま言っていさせて貰ってる身分に違いありません。しかし郷に入っては郷に従え。ここでの僕はアイドルではなくサッカー選手です。ならば貴方たちも、スタジアムという場に居る以上、サッカーを観る、というルールを守るところからだと思います。どうかお互い歩み寄り共に勝利を導きませんか』
鶴の一声といったところか。ここでやっと僅かに騒ぎが治まる手応えを感じた。ぱらぱらと、少数だが拍手がうっすら聞こえる。
在里早と茅都と僕は同い年。
けれど八高茅都の様は随分年上のように見えてしまった。僕が主演男優賞を受賞してスピーチの登壇を求められても、言葉が出なかった。あの場でたとえ精一杯声を発しても精々"まさか受賞できるとは思いませんでした、ありがとうございます"などという中学生が考えたような一言程度のスピーチしかできない。
それに対し九真在里早は反抗期の子供のように幼く見える。かといって、僕には何も出来ないと判断して黙ってこの騒動を見ていただけだろうし、翠々芽さんを探し彼女に何とかしてもらおうと他力に頼ろうとしていた。自分から状況を変えようとした在里早の勇気は認めるべきなのではないだろうか。
自分はなんてちっぽけかと思えた。
「結果を出してから言えよ!!」
「そうだ!!お前がアイドルやらずにサッカーに集中してればもっと勝ててた!!」
「客寄せパンダ如きが!!」
「お前のせいで試合のチケット取れないんだよ!!」
対して、ここまで言わせてもそれでも文句をぶつける人々はなんなのだ。いくらなんでも理不尽だ。この人達が非難の声を荒らげられる程、一体何に貢献したというのだ。
サッカーコートを走ったせいで、ただでさえ息が上がっているのに、空気に毒ガスでも含まれてるんじゃないかと思うほど、このスタジアム内の雰囲気は最悪で、呼吸が苦しかった。
『茅都は下部組織からずっと一緒に育ってきた川崎メーアルーカの大切なピースです。茅都には茅都の生き方があり、僕たちもそれを受け入れて共に戦う道を望んでます、まずは初戦を』
「もう我慢ならねえ!」
「俺たちが望んでるのはそれじゃねえんだよ!!」
「アイドルもサッカーもやめろ!!」
まずい。もうダメだ。
警備員や他のサポーターがなんとか阻止していたが、過激サポーター達は等々フィールド内に降り、押し寄せた。
もはや、こういう人間は、本当に試合の結果やチームのやり方に腹を立てている訳では無い……。
僕が目指し尊敬する俳優、館山さんの作品でも言っていた。
"自分の叶えたい欲求が叶わない場合、怒りの矛先が他者に向く者と自分に向く者がいる"
その時の作品内では、仮面のヒーローを演じる館山さんが、自分の都合で不仲の恋人を怪物に成り変えた悪人に向けての台詞だったが、この場合は"試合の結果"にそれが当てはまる。
試合に負けたのは"チームが悪い""選手が悪い"と他者を責め立てる者と、"自分の応援が至らなかった""自分は疫病神だ"などと己に責任をこじつける者。
もはや彼らはただ、"八高茅都が気に食わない祭"の神輿を担ぎたいだけなんた。
こうなってしまったら、もう試合続行は不可能だろう……。
そう思いかけた、その時。
『多摩川の〜……聞こえる〜……微笑みは〜……』
Suiryuは茅都の隣に立ち、彼から受け取ったであろうマイクを手に持ち、歌い始めていた。
初めて聴く知らない曲だったが、歌詞の節々に川崎市の街並みを表す単語が出ていたので、川崎出身のSuiryuが歌うのはこの川崎メーアルーカに関連している曲なのだろう。
『新しい朝〜……人々の〜……』
紅白出場している歌手なのだから歌が上手いのは当然なのだが、インストの無いアカペラ歌唱にも関わらず、力強い声量に波打つビブラートは透き通った歌声を際立たせ、川のせせらぎのような繊細さに、思わず聴き惚れ鳥肌が立つ。
闇が光に浄化されていくように、スタジアムは一気に鎮火した。
「…………………」
なんて、ミュージカル映画みたいな展開。
「……………………………………」
あれ…………。
いや、、、あまりにも、、
これは、
静かすぎないだろうか………。
皆が、歌声を聴き入っていた、という状況のそれとは違うような。
「な、なんだ、これ……おい、日柄、みんな、変だぞ……」
在里早の呟きは、声量が控えめだった。
それなのに、鮮明に声が聞こえたのだ。
「………冬弥さん?あ、あれ?在里早?餘部くん……?」
茅都も、動揺し狼狽えている。
何が起こったのか、辺りを見渡す。
客席のサポーター達は、黙ったのでは無かった。
騒ぎが治まったのでは無かった。
何も動いていなかったのだ。
そう…………、動いていない………。
僕と、在里早と茅都以外の全てが、停止していた。
すぐそばに居る阿津勇彌も、阪上選手も、今の今まで歌っていたSuiryuも、その場に気絶なのか眠っているのか、倒れ込んでいた。
立ち尽くしているのは、僕ら3人だけだった。




