21:個我鳥
程なくして、カーナビは「目的地に到着しました」と案内を告げる。そこは依弦さんの住居である広尾の低層高級マンションだ。だが、マンションの敷地内に入るには警備員が駐在するエントランスゲートを通過しなければならず、慣れた様子で依弦さんは運転席の長谷川さんへ認証用のカードキーを差し出し、問題なく門は開かれた。マンション前の敷地はかなり広く、ちょっとした公園のようだった。その脇の地下駐車場へ降りていく。
誰かに気絶した在里早を見られること、かなりスピリチュアル的な会話を盗み聞きされる可能性などを危惧して、依弦さんの部屋までお邪魔する事になった。
エントランスのオートロックを解除するにも、エレベーターに乗るにも、度々、数字をピピピっと押したりカードキーを通したりの強固なセキュリティを、息を吸うかのように簡単に手早く依弦さんは解除していった。悪質なファンや週刊誌記者に常に狙われてる国民的アイドルが故、帰宅するにも一苦労なんだなと、雑居ビルの2階という壊せばそれで終わりそうな錠前程度のセキュリティしかないところに住む僕は、ただ傍観するだけだった。
エレベーターは最上階である4階まで上がったところで降りれば、内廊下というよりは既に室内のような広さで、壁には絵画、床は絨毯が丁寧に敷かれている。「ホテルでもこんなすごいところ来たことない……」と朱桃ちゃんが目をまん丸にして豪華絢爛な建物内を見渡して呟いた。「僕もだよ」と返したが、同調したのは僕ら2人だけで、あとの3人はこのような高級住宅など慣れているのか、当たり前の感覚で進み歩いていた。
踊ってても不自由のなさそうな広い玄関があれば当然その倍以上に更に広いリビング、家具は確かに置かれているのにそれでも広い。2LDKまでしか知らない僕にはそれ以上の部屋の場合はなんて呼称するのかそんな知識の用意はなかった。
ミシェル先輩が「依弦のこっちの家初めて来たわ」と言いながら、10人ぐらい座っても余白が生まれそうなほど長いL字型のソファに在里早を寝かせて、その隣に先輩は腰を掛けた。僕も真似るように先輩の隣に座り、長谷川さんと朱桃ちゃんは気を遣い僕らより遠めの端の方に座った。
「こっち……?いつもはどっちなんですか」と聞けば、
「あと中目黒と神楽坂にも家あるよ〜」と依弦さんは返事をしながら、キッチンでお茶の用意をしてくれていた。ただでさえこんな凄い家に住んでるのに、それがあと2つもある……?依弦さんは自慢をして威張るような態度ではなく、何気なくした世間話というニュアンスで、こちらも羨ましさや妬ましさといったものより、自分とは全く違う世界に住んでる宇宙人が宇宙語を話してる感覚だ。普段から知り合いのようにテレビや街中の広告で目にしている芸能人の生活とは、こういうのが当たり前なのだろうか。
「餘部さんも俳優さんなんですよね」と恐る恐るといった様子で朱桃ちゃんが聞いてくれば、「僕はまだフリーターみたいなもんだから……」と苦笑いで返した。「こういう家3つも住めるようにも、あんな車に乗れるようにも、僕もこれからもっと頑張んなきゃな」と言えば、はっとした顔で、「頑張ってくださいっ」と両手をグーにして微笑んでくれた。優しさがなんだか身に染みた。
「事務所が家賃負担してくれてるのもあるから、別にそんな稼いでる訳じゃないよ。あ、洗い物面倒だから紙コップでごめんねぇ」依弦さんはお茶が入れられた急須と紙コップをテーブルに運ぶと、「あっ!私やりますっ」と朱桃ちゃんがそれを受け取った。
「この子は大丈夫なんかね?」
ミシェル先輩が在里早のほっぺたをつんつんするが、反応は無い。すぅーすぅー……と寝息のような呼吸は確認できる。
「それも鳥の仕業さ、時期に目が覚める」
ぼやくように長谷川さんは呟き、コップのお茶を啜ると「んっ?美味しっ」と目を少し見開いた。その様子に依弦さんは「差入れでもらったんだよねぇ、静岡の老舗の良いお茶っ葉らしいよ」と微笑んで答えた。
「あのカラスなのな鷹なのか、黒い鳥の影に襲われるとこうなるんですか?ほんとに、まじで、あの鳥はなんなんですか」
雰囲気はなんだか和やかだが、実際に僕は命の危機を感じたほどの恐怖体験だった訳で、疑問の解をようやく聴けると、前のめりになった。
「君たちは誰かをその場で瞬時に眠らせたいと望んだ時、どういう手段を用いる?」
「えっ、よくあるなんかガス吸わせて眠らせる…とか、殴って気絶させるとか」
「実際にはドラマの中の表現であって、布に染み込ませた程度の少量すぎるクロロホルムでは眠らせる程の作用は働かないし、殴ってしまえばシンプルに暴行罪だ。それがこの世の条理だ。相手に眠ってほしければ暴力を用いるか、寝てくれと交渉するしかない」
「………?でも、あの鳥ならそれができる、と」
「条理……道理……理、だ。あの能力は、理に背く力なのさ。"ことわり"に抗うから、並び替えて、"こ・わ・と・り"。だ。個であり我である鳥。個我鳥。単純に"恐い鳥"で、"恐鳥"でもいい」」
「へぇ、言葉遊びみたいでおもしろいね。前にNOI"r"SEのYouTubeで催眠術にかけられようっていう企画をしたんだけど、僕と茅都くんと一切かからなくて、香流多はかかったりかからなかったりだったんだけど、在里早と慈章さんは肩を揺さぶられただけで崩れ落ちるように眠っちゃったんだよね。あれとはまた違うのかな?」
「あれヤラセじゃねえの?」ミシェル先輩が茶々を入れると、「さて?僕は全く効かなかったから在里早に聞いてみて」と依弦さんは返して、のんびりとした様子でお茶を飲んでいた。
「同じだと思うよ。誰かを好いたり恨んだりすれば、生霊が飛んで取り憑くというし、噂をすれば影が刺すという、特別なものでも稀有な才能でも何でもないよ。これは人間に初めから備わってる機能さ。どこの誰にでも等しくできる」
在里早がスタバで似たようなことを言っていたことを思い出す。
「長谷川さんの翡翠の力も、朱桃ちゃんの霧を操る力も、個我鳥、なんですか」
「そうだよ。けれど、そんな事はできるハズは無い。『できない事がこの世の条理』だと思い込んでいる。その催眠術師だって、人を瞬時に眠らせることができると思い込んでいるし、それが効く人間と効かない人間がいると思い込んでいる。催眠術などないと思ってる人間には効かないだろうし、あると思ってる人間には効く。オバケを見たことのない人間はオバケなんて存在しないと思い込むように。魔法は映画やアニメの中だけの存在だと、みんな思ってるから、この世界には魔法はない。と、思い込んでいる。この世界に『無い』が存在するならそれは本当に『無い』んだ。無ければ、何も無いはずだ。でも、存在してしまっている。『無い』という事が存在するなら、それは『有る』という事なんだよ。魔法が『無い』なら"魔法"という言葉は無い。霊が存在しないのなら"霊"という言葉は無い。神が居ないのなら"神"は居ない」
「ちょい待って、パニック、言ってる意味わからんすぎる」
ミシェル先輩は目をぐるぐると回らされたトンボのように混乱していた。
「人間が魔法のような、超能力のような、エネルギーのようなものを出すことはおかしくないのさ。人間もどんな生き物も物質も、この世界に在るありとあらゆるものは、限りなく最少まで分解すれば"素粒子"になる。通信電波や紫外線も光子という素粒子が飛んでいるんだ。リモコンからテレビに到達してチャンネルを変えたり、スマホから電波塔を経由して他人のスマホへ情報が瞬時に行き渡るし、紫外線は肌の細胞に攻撃してシミができたり悪さをするだろう。個我鳥は人間の"恐れ"の念が肥大化し力を帯びたものだ。生き物には欲望がある。欲する、蓄える、奪う、手放す、捨てる、与える。欲望があるから、"理"にかなって生きられれば、種の存続さえ維持できれば良い。だが、そうは行かないのは食料も縄張りも有限だからだ。奪われまいと、失わなんと、常にあらゆる生き物は生きるために恐れて続けている。だが人間は愚かだ。あらゆる物に価値を付けて欲望のために欲望を増やし続けている。だからこんな"怪物"が生まれてしまった。誰しもの人の心の奥底に住む巨悪だよ」
「あ、待ってこれもしかして意味わかんない宗教に入会させられるやつ?高い会員料金みたいなの毎月払えって言われるやつ?このツボ買えば魔法使えますよって?」
ミシェル先輩は両手で髪をグシャグシャに掻き回し、理解する努力をとうに諦めた様子だった。依弦さんは時折なるほど、と感心するように考え込むような様子で、能力を使えるはずの朱桃ちゃんですら、顔中に「?」マークが書いてあるように見えるほど、苦笑いで聞いていた。
「聞かれるのが面倒だから今まとめて答えたまでだ。理解しなくて構わないよ。こんなに言葉をたくさん発する事がないから口が疲れる、顎が痛い」
「じゃあ、なんでその事を長谷川さんが知ってるんですか」
「私がそう"設定"したからだ。だから私はとても混乱しているよ。自分が"設定"したはずのものを使える人間が複数現れて、そしてその"設定"の通じない人間も同時に現れた。私は君のカフェに訪れるまで、自分自身をこの世界の神……とまでは行かずとも、統治者だと信じて疑わなかった。自分で書いて自分の中にしかなかったはずの"脚本"に、突然"演者"が現れて、台本にないストーリーを演じ始めたような。私の脚本を勝手に使い出した"監督"が現れたんだよ」
「そ、そうだ、どうして僕のカフェを欲しいと思ったんですか?」
「……単純に、コーヒーが好きでね。客や店員を一切気にせず1人で独占できるカフェが欲しかったんだよ。あの場所が私の全ての理想に適していたんだ。しかしそれも想定外だった。"翡翠"の祈りが、君には通じなかった。マスターキーを借り中に入ることはあっさり出来たが、譲り受ける事を断られるとは思わなかった。とはいえ、この力は奪うためのものではない。"交渉相手"が拒めば、祈りは通じない。勿論その事例は度々あったが、"代替案"を提示すれば、どんな物でも譲り受けることができた。お金も、土地も、試したことはないが、恋人も、だ。それほどまでに君があのカフェを手放す訳にはいかない思いが勝った、のかもしれないが、それ以外に、私の能力が"効かなかった"というのが相応しい。私がカフェ内に侵入していた時も、見えないようにしていたし、表参道ヒルズも入れないようになっていたはずだ。八高茅都も同様だ。私の祈り……即ち、"祝福"が、君たちにはまるで効かない」
「私が祈れば、私の持つ翡翠が欠ける。欠けた粒子には、私の"個我鳥"が混ざり、空間を伝い、相手の肌の隙間を潜って侵入する。"私の姿が見えない"という設定にすれば、相手の認識から私は取り除かれるし、"特定の場所には入れない"と設定すれば、相手の認識に"建物に入らない"という選択肢が最優先される。表参道に人が入れなくなったのも、同じ仕組みだ。彼らも、同じ能力が使えるということだ。けれど私の能力は、相手が余程嫌がることはできない。何故なら私の"罪悪感"という負の要素が祈りに混ざってしまうからだ」
「理屈は、まぁ、超なんとなくだけど分かったよ。霊が取り憑くやつの超やばいバージョンをできちゃう生きてる人間がいるってことね。とはいえ、話すの嫌なのわかっててまた聞いちゃうかもしれないけど。これから探らなきゃいけないのは"奴らの目的"だね」
「個我鳥も生霊も、どちらも人間の感情から放たれるものだから、同じ感覚なのだろう」
「そうだよ、人間の念、みたいなのが、通せんぼしてた感覚かなぁ。通してくれるかな?ってお願いしてみたら通れたんだよね。そもそもだったらお願いすらできないって事か。僕に霊能力があるから、お願いできたってことか」
「ちなみに再三言うが、私が知ってるのは能力の事であって、表参道を支配した奴らの事は全く知らん。裏で手引きしてるやつが、私の事を知っているのかもしれない。今はそれぐらいしか推測を立てられん」
「それは、追々って事だな。NOI"r"SEの足を引っ張りたい組織がいるのは、まぁそりゃいるだろうなって感じだけど、俺と日柄も目付けられただろうし、気をつけねえと……って、どう気をつけたらいいかわかんねえけど」
「表参道を封鎖してまで襲ってくるのなら、裏を返せば目立つところでは襲って来ないのかも……?」
「とはいえ表参道に誰も入れないだなんてかなり前代未聞な事して目立ってるけどなぁ。けれど芸能人であるあいつらにとってはリスクがでかいってことは間違えなさそうだな」
その時、ディロリン♪ディロリン♪とスマホの通知音が連続する。




