20:脱出
表参道ヒルズを出れば、僕ら以外誰もいない霧につつまれた静寂の空間は、広がったままだった。
しかし、まだ鳥は居た。
敵の残党が表参道内に今だにいることを悟った。
この霧の発生源である朱桃ちゃんの力によって、霧に紛れれば、領域外への脱出は容易く安全に抜け出す事ができた。
ミシェル先輩は、僕とタクシーで来た際の車内で、情報収集でスマホを見ていたのかと思っていたあの時には、既に依弦さんにこの"異変"についての連絡をしていたという。ミシェル先輩が僕と逸れた後、表参道に入ろうとするといつのまにか表参道ではない別の所に居るという怪奇現象に阻まれたらしい。しかし"普通の人間"が立ち入れられない状態になっていた表参道に侵入できたのは、ミシェル先輩の連絡により駆けつけた依弦さんの霊力によるものらしく、2人で僕のことを見つけ出そうと画策していて、僕からの連絡とビデオ通話により侵入のタイミングを伺っていたそうだ。
2人の情報によると、今は、原宿側にしろ青山側にしろ、交差点の方では野次馬やニュースの中継レポーターたち大勢の人間が騒いでるというので、路地裏側から抜けた目立たない所に路上駐車したのだそう。
長谷川さんと朱桃ちゃんにも、話を聞きたいから一緒に来てくれませんかと言えば、面倒だからなどの理由をつけられて帰られてしまうのではないかなんて不安に思ったが、「こちらも根掘り葉掘り聞きたいことが山程ある」と返答が来たので、6人で乗車する事になった。
停めてあったのは、見るからに高級なシルバーのクーペの車。エンブレムはベンツ……。僕もこれぐらいの車に乗るに相応しい俳優になれるのだろうかなどと思いながら、この車に6人は定員オーバーなのでは……?
茅都に代わって在里早をおんぶしていたミシェル先輩に向かって「在里早はトランクでいいよ」なんて依弦さんのブラックジョークも飛び出して、すかさず先輩が叱るように「いや死体じゃねえんだから」と返していたが、九真在里早が意識を失っているのは脳震盪など怪我による失神ではなく、朱桃ちゃんが濃霧によって相手を眠らせた能力と同様のもので強制的に眠らされており、命を脅かすものではないそうだ。なので、病院ではなく依弦さんの自宅で在里早の様子を見る運びとなった。
僕らはともかく常にスキャンダルの狙われている超人気アイドルのNOI"r"SEが2人もいるのだから、誰かに見られるリスクを避けようという方向になり、「私が運転しよう」と長谷川さんが挙手をした。助手席には朱桃ちゃんが座り、後部座席は左側が先輩、真ん中は依弦さん、右側は僕の野郎3人でぎゅうぎゅうに乗れば、気絶している在里早は僕ら3人の太ももで形成されたベッドに寝てもらい、僕らの腕で抱きかかえ支える形に収まった。側から見れば随分キモくはあるし、長谷川さんの汚物を見るような蔑んだ視線が、運転席のミラーから跳ね返ってきていて、ほんのちょっぴり傷付きはしたが、そうは言ってられない。カーナビをチラリと見れば、目的地は広尾の住宅地を指していた。依弦さんはこの辺りに住んでいると食事した際に聞いていた記憶が確かにある。
「綺麗な顔してるだろ……?死ん……死んでる……?!」「在里早ぁぁ……っ!今!連れてってやるからなぁ……!死ぬなよ!!」「ミシェルはAEDを持ってきてください!」
こんな状況でありながら、依弦さんは即興コントを繰り広げ始めて、ミシェル先輩はいつもの事のようにその寸劇に「AED、み、みつかりませんっ…!」なんて軽く付き合っていた。楽観的な態度に、僕は呆れてあはは……と愛想笑いが出る。けれどすぐに考えを改めた。"人を楽しませる"という職業の人だからこそ、日常的にこういった振る舞いができるのだろう、と気づいたからだ。その反面、自分はなんてつまらない人間なんだろうと情けなく思った。バラエティ番組に出たりコメディ劇でアドリブを求められた時、今のままの僕ではその場面になった時に困ってしまうと猛省する。
「で、聞きたいことはたくさんあるんだけどさ、とりあえずなんで長谷川さんがいるのかだけ先教えてもらっていい?」
おふざけからシフトするように、ミシェル先輩がそう言うと「というか、そもそも先輩なんで長谷川さんのこと知ってるんですか?!」と間髪入れずに突っ込むと、「いや、そりゃ、分かるだろ、だって俺いつもテレビで見てるし……」と先輩はしどろもどろになった。僕が「えっ、長谷川さんってテレビ出てるんですか!?」と驚きに大声を出す。
「本当はじろうの方が良かったんだけど、ラーメン界隈だとこの名前は混在するので、長谷川と名乗ることにしてるんだ」
長谷川さんはとてつもなく前方を凝視して運転しながらそう返答した。肩から腕にかけてガチガチに強張っていて、随分緊張しているように見える。もしかしてあまり得意ではないのだろうか……?と同時に思ったところで、長谷川さんの返答に関してはさっぱり意味がわからなかった。
「す、翠々芽ちゃんもしかして、ミ、ミシェルさんにだけいたずらしてる……?」
「人聞きが悪いね。普通の人には長谷川さんに視えるように"設定"しているだけで、今この場に普通の人が彼しかいないようだから。どうにも、私の素の姿でラーメンを啜りに行くと物珍しいようで、集中を損ねる人がいるらしく……。一度しつこくナンパされた事もあってだな、この姿に"設定"する方が、オフ会にも行けるようになったし都合が良いのさ」
長谷川さんはハンドルを握っていた左手をかろうじて離して、パチンッと指を鳴らす。すると、「あぁっ!?えぇ!?長谷川さんが、女の子に変わった……?!えっ!?」ミシェル先輩だけが何故かひっくり返るように驚いている。
「だぁっはっはははははははぁ!!!!えぇぇミシェルにだけは"どの長谷川さん"に見えてんの!??し、しぬ!!腹ちぎれる!!」
依弦さんはあばれる勢いで涙を流すほど息苦しそうに笑っている。
「えっえっ、それって"本物の長谷川さん"困らないかな……?ドッペルゲンガーとかなっちゃうんじゃ……」
朱桃ちゃんは真面目な子なのか、心配そうに深刻な顔で長谷川さんを窺っていた。
「勿論その辺りの配慮はしているよ、よく見てもらえれば限りなく本人にそっくりだけどどこか違う他人だとわかるはずだ」
長谷川さんはもう一度パチンッと指を鳴らすと、ミシェル先輩が「え、あっ、あれ、本当だ、よく見たら全然長谷川さんじゃない……誰だこのおっさん……」
僕は堪らず「もう訳がわからないよ!!」と車内にも関わらず叫んでしまった。
「いやまじですごいよ!今までたくさんの霊体を視てきたけど、車を運転できたりオフ会行ってるほどのラーメンが好きな霊体は初めて見たよ!」
依弦さんには新鮮だったようで目を輝かせて嬉しそうな様子だった。
「私の素の姿を視認できるイレギュラーな人間が2人もこの場にいることに私もとても驚いているよ。しかし、霊体呼ばわりされるのは、あまり気分がよろしくないな」
「れ……霊体なの……?ってことはやっぱりオ、オバケ……?」
僕とミシェル先輩は顔を見合わせる。先輩の顔が青ざめていくのを眺めたが、おそらく僕の顔も同様の現象になっているはずだと思う。
「年頃の純朴な清廉乙女に向かってオバケ呼ばわりも如何なもんかいね」
ルームミラーからムッと不貞腐れたように睨む長谷川さんの表情が見えた。依弦さんは眉毛をハの字にさせて苦笑いで陳謝した。
「ごめんね、非礼を詫びるよ。未知との遭遇につい興奮しちゃったのさ。ぜひ、君は何者なのか教えてくれないかな?」
「もう一度言うが、どう思ってもらっても構わん。ただのラーメン好きの魔法使いでも神でも宇宙人でも未来人でも情報統合思念体とでも好きに思ってくれ」
「茶化すということは、開示する気はないと受け取って良いのかな?表参道は、何らかの結界のようなもので人の侵入が拒まれていた。僕が干渉すれば侵入できたという事は、霊力の類である事は間違いないと思っているけど」
「察しの通りで良い。だが警戒は解かないし信用はしないよ。君が八高茅都の同僚ならば尚更、だ。あとシンプルに初対面だし私は極度の人見知りだ、こう見えて」
「じゃあ、もっと仲良くなったら教えてくれるんですか……?」
僕は依弦さんと長谷川さんのやり取りに口を挟むように尋ねた。
「さぁな?仲良くなれるなら、な?」
「依弦さんみたいな霊能力もなんにもないはずの僕が長谷川さんの事視えるのは何故なのか、とかもですか」
「単純に私にもそれはわからないよ。てっきり君が八高茅都やあの襲ってきた連中らに恨みを買っているものだと憶測を立てていたが、違うのか?」
「表参道の速報ニュースに、長谷川さんが映ってたから。でもミシェル先輩はテレビに映る長谷川さんが見えてなかった」
「その時は確かに"見られない設定"にしていた。しかしカメラには映っているのか。知らなかったな、一つ為になったよ」
「茅都……八高さんは僕を恨んでる様子では確かに無さそうだった、裏腹は、わからないけど。あの時の八高さんの狙いは確実に九真さんで、僕はたまたま九真さんと出会してしまったから、一緒に追いかけられた」
脳裏に"ありがと餘部日柄、一緒にハチコーぶちのめすか!"と笑って言った在里早の顔が浮かんだ。あのままもし連れ去られていたら、彼は今頃どうなっていたんだろうか。
「実際あの連中はガチでなんなんだ……?俺達は野次馬心で表参道に行ったから、日柄には言い方悪いけど、勝手に入って巻き込まれちまったってところはあるな。NOI"r"SEを潰してぇって事なのか?」
「私もっ、ニュースを見たら、翠々芽ちゃんが映っててたから……、餘部さんと同じです。翠々芽ちゃんのことはすぐ見つけて会えたけど、あの人達や鳥に追いかけられてて……目眩しのつもりで濃霧を発生させたんです、でもその自分の霧のせいで逸れちゃって……」
朱桃ちゃんは両手で顔を覆いながら目をきょろきょろさせ落ち着かない様子で語る。
「お陰でコバエホイホイ一網打尽大作戦は笑いが止まらないほど大成功したのさ」つられて思い出したように長谷川さんは貶すように笑った。
「は、初めからそういう作戦だったんですか……!長谷川さんがエサになり、奴等をヒルズに集合させるように仕向けて、最後に朱桃ちゃんが処理をするという……」
「いいや違う。本当に篭城するつもりで表参道ヒルズには赤原以外誰も入れぬように結界を設定したんだ。けれど君と八高という男がそれを破り入ってきたので大誤算が生じたんだ。あと久々に会った赤原が何故か女の子になっていたのもついでに。あの時は赤原が霧を辿って私の居場所を探知し助けに来ることを祈るのみだった。結果として成功したんだ。ノイズだかなんだかは全く知らんが、私は普通に表参道で買い物を楽しんでいたところを突然襲われたんだ。彼らの目的は私なのは間違いはずだ」
なるほど、と事の経緯を何となくで把握した横で、朱桃ちゃんは「あっ、あのぅ…その…」とアワアワしていたがこの雰囲気に飲まれたのか、すぐに声量はフェードアウトしていった。
「さっき見た時、キャバ嬢みたいな女が1人と、他はなんかどっかで見た事ある気がする俳優とか歌手とか、揃いも揃ってツラの良い男ばっか居たよな?眠ってたり濃霧のお陰で全員の顔は見られなかったけど、ジルコン所属のアイドルも居ただろ。CARBONiC ACiDの汐入 敬亜」
「あのすごい性格悪そうな早朝福岡ロケの子ですか……」
朱桃ちゃんに眠らされた彼らは、仲間の残党に救出されたのか放置されたのかはわからないが、彼が次に目を覚ます頃合いには、絶望が待っているのだろうかと少しだけ気になった。
「敬亜かぁ、昔は超きゃわいい良い子だったんだけど……ね、NOI"r"SEのセンター候補だったらから、僕らを恨んでる可能性はあるのかもね。だとしても、なんで茅都くんがあっち側にいるのはよくわかんないけどさ」
「全くクソだ、テレビも全く見なければアイドルなぞ一切興味ないというのに、何故そんな連中に私と赤原は狙われなければならんのだ」今度は嫌な記憶を思い出したように苛立っている様子で、長谷川さんはバツが悪くなると汚い言葉を吐く癖があるようだ。それを聞く度に僕は心臓がきゅっとなって何故だか慣れない。
「単純に考えれば……、そんな魅力的な異能力を持ってる人、敵にするにも厄介だし、どうにか従わせて力を都合良く利用したいもんだと思うけど……、やっぱり霊力のある依弦の事も欲しいと思うはず」
「それなら、共同戦線を張ろうよ。メンバーがオイタしちゃってる僕らNOI"r"SEと、異教徒狩りに合いそうな長谷川さん達と、巻き込まれちゃったアンラッキーボーイの日柄くんの三勢力で手を組もう。それならば仲良くしてくれるかな?」
「私も情報が欲しいので、了承しよう。しかしあくまで仲間意識はないよ。私と赤原は私達の都合で動く、いいかな?」
「まぁ今日会ったばっかりだもんね〜よろしくしくよろぉ〜」
真剣になったり陽気におちゃらけたり、依弦さんは振り幅がすごい。僕は彼から学ぶべき事がたくさんあると思った。子役からずっと俳優をしていて年齢は若いながら芸歴の長い依弦さんと深く関われるキッカケができて嬉しく思ってしまった自分がいた。
「とりまLINEグループ作っとく……?」




