02.彼
「俺たちがあっち側になれるのは、いつになるんだろうなぁ」
僕らのテーブルは、ステージをゴールに見立てれば随分ファーサイド。後方のシャンデリアの光も届かないような暗がりであり、僕らのすぐ後ろには、ステージと着席している候補者たちの様子を捉えるための成人男性と同等ほどの大きな撮影カメラや移動しやすい肩に載せるほどのカメラなど、何台も構えられてるのだが、そのほとんどのレンズは"はちゃ"に向けられて居ることはパッと見ただけでもわかった。
"はちゃ"とは、"八高 茅都"を縮めた愛称の事である。
最近では"はちゃとはっちゃけちゃうーー?"なんていうキャッチコピーの炭酸酒のCMやらポスターやら嫌でも目につくぐらいあちこちで見かける。
彼の事は特に、好きでも嫌いでもない、が、今現在の日本で生きている限り、テレビやSNSなど一切見ずに外にでないような生活をしていない限り、彼の事を望まずとも知ってしまう機会は必ず訪れる程だと思う。
このジャパンアカデミー賞主演男優賞を絶対に受賞する最有力候補と言われている俳優でもあり、
超人気アイドル、NOI'r'SEのセンターでもある。
アイドルが俳優業をやる事は、昨今特に珍しい話では無い。
日本を、否、世界を賑わせている程、この"八高 茅都"という存在が大問題なのは、彼は、とてつもない演技力と日本中の女性のどんなタイプにも幅広く適してしまいそうな整ったキリッとした端正な日本男児とでも言うべきか、それらしい顔立ちに180cmの高身長、歌もダンスも当然上手く、これだけでもとんでもないのにこれだけじゃないのでさらにとんでもない。
彼は【前人未到】の異名を持っている。
俳優、アイドル、そしてーーーー、
現役のサッカー日本代表選手でJリーガーでもあるからだ。
いや、訳がわからん……。ひたすらに、訳がわからない。
アイドルも、俳優も、サッカー選手も、それぞれどれかになろうとするだけでも、自分の全ての人生の時間を賭して目指すものだと僕は認識していたけど。
人間ってそんなこと可能なんだ?
ほんのちょっと前まで、バッターもピッチャーもできる野球選手がメジャーで大活躍だとか、将棋が強すぎる中学生がプロの大人相手に二十数連勝しただとかで、日本は盛り上がっていたのに。
セリフを覚えて役に入って、カメラの前で台本に書いてあること、監督に言われたこと、それを一生懸命演じるので精一杯の僕にとって、宇宙の果てと地の地の底ほどのような差があるように打ちのめされる。
歌って踊れるだけじゃなくて、サッカーもしてるって、まじで何?
この会場にいる人間全員が、否、きっと会場外でその辺歩いてる適当な人間に聞いてみても、"八高茅都を上回る人間なんて日本中には存在しない"と答えるはずだ。
会場の雰囲気が少し落ち着くと、空気感を察したステージ上の司会進行の女性アナウンサーがにこやかにマイクを口に近づけた。
「今年度はいつにも増して映画業界が大変賑わった年だと強く実感しております、素晴らしい作品が生まれ、歴史に残る名演技名場面がたくさんございました。受賞候補も様々にいらっしゃいます」
そして、進行として用意されているであろう台本のセリフを続ける。
「やはり衝撃のサスペンスミステリー作、"限りない漆黒"の八高茅都さんでしょうか、それともロングランヒットを博した奈良県が舞台の作品"バナナナラッテ"の遊代 誠さんでしょうか」
司会進行のそのような煽りがあっても、場内のボルテージ、期待、羨望はたった1点に向けられていた。
「それでは!発表いたします」
会場の照明が暗転し、ドラムロールが鳴る。ドゥルドゥルルルル……
リズムに合わせて、スポットライトがくるくるとランダムに暴れるように照らされる。
誰しもが分かっていた。
次に呼ばれる人間が誰でなんという名前の俳優なのか。
ハ・チ・コ・ウ・カ・ヤ・ト
しかし、こういう場面になった時、ほんの一瞬、ほんの少しでも、期待をしてしまうことってあると思うのだ。
そうなるわけない、次の展開はこうなるに決まってる。と、思いつつ、だけど、決めつけた予想が打って変わってそうなったりしないかな、などと思ってしまうことって、結構、よくあるよね……?
W杯で、日本の相手がスペインとかブラジルだった時、日本が勝てるはずがない、けれど、もしも日本が勝ったらおもしろいのに、なんて、思う事って、あるよね……?