19:夜霧の表参道-9-
長谷川さんの大声に、その場にいた全員が思わず怯む。
「っ!?何事!?」
そう思った束の間。
ファァァ……と、一気に視界が真っ白になっていく。
意識が遠くなったなどそういう訳でなはい。目に見える景色が瞬時に白に覆われたのだ。自分の手や身体など、最低限の身近なもののみ視認する事ができるほどの、これは"極端に濃い霧"だ。表参道の空間を覆っていたものより、さらに激しく濃い"霧"ーー
例えるならば、飛行機が雲の中に入った時の景色のような。
「ちっ!最悪!油断したわね!」
「どこだ?!逃げたか!?」
「鳥だ!鳥を飛ばせ!」
彼らがどこかで慌てる声やドタドタを騒ぐ足音だけが、耳から入ってきた。
とはいえ、僕自身も周りが白く染められてしまい何も分からない。足元だけがかろうじて見える。その状況に右往左往していると、また脇腹にチョップがドスッと飛んできて、目の前に長谷川さんが現れると、"喋るなよ"とテレパシーが伝わってきそうな表情で、人差し指を立てて唇に当てるジェスチャーをする。鳥が物音に敏感だという事を、彼女も当然把握している様子だった。そんな彼女の口元は、真剣ではありながら、笑みが抑えきれないように見えた。
ドタッ、ドタドタッドサッ、バタッ
彼らがいた方から重いものが地面に打ち付けるような鈍い音が、何度か聞こえる。通路を伝って、振動が足元まで響いた気がした。
…………、しばらくしたところで、その音と振動は止んだ。
その様子に長谷川さんは、ふふっ、と意地悪げに笑った。
「口うるさい皆様方は明日までスヤスヤお眠さんだ。お気の毒だが朝から福岡に行くとか言ってた彼奴はお留守番確定だな」
どうやら先程の鈍い音は、僕ら以外の人間たちが眠りに陥り体の力が抜けその場に倒れ込んだ音だったようだ。
「こんな能力まで、す、すごいですね……、翡翠まだ隠し持ってたんですか?」
「だとしたら愛しのティファニーは犠牲にせんだろ」
「す、すいません……」
腕組みをして呆れる長谷川さんに平謝りすると、方向的におそらく東館側のエントランスの方から、つかつかと足音を確認する。身構えて警戒するも、長谷川さんは勝ち誇ったようにそちら側に顔を向けた。
「翠々芽さぁん!!!」
少年のようなトーンの高い男性の声。僕らの側までタッタッタ!と駆け寄る。
ん……?声は男の子に聞こえたが、見た目は可愛らしい右サイドを三つ編みにしたボブで赤茶髪の女の子。女子高生なのか、制服のようなカーディガンとスカートを身にまとっている。
「はっ、はわわっ、そ、その男の方は誰ですかっ?!」
か弱い小声で可愛らしく舌っ足らずな喋り方をしているが、女の子として聞けばハスキーボイスなのか、けれど僕には女の子のような喋り方をしている声が高めの男子の声にしか聞こえない。もしかして……男……?
「あんまり気にしなくていい、どうせ後で私がペン型ライトでパシャっと光を浴びせれば全て忘れるのだから」
「ぼ、僕にメンインブラックする気!?」
「き、記憶消されちゃうかもなんですけど!わ、私は赤原朱桃っていいます、高校3年生ですっ」
『ぺこっ』などと効果音がつきそうな45度の直角の深々なお辞儀をして、両脇を締めて両手を口元の近くで握り、指を頻りに動かしていて、見るからに緊張しているのか、落ち着かないソワソワした様子だった。その仕草も含めて、オドオドとした可憐な女の子、にしか見えなかった。かといって、多様性が重きに置かれ始めた今の時代、あなたはもしかして男ですか?なんてデリカシーのない質問をできるような性分ではない。
「そうだ、お前女になったのか?そっちに目覚めたのか?」
あぁ、デリカシーない人ここにいた……。一切の悪気もなさそうな長谷川さんに、僕は怪訝に眉を顰めて右手で顔を覆った。
「あっ、あのぅ、話せば長いんですけどぉ……、身体は確かに緋彩くんのままなんですけどぉ……」
あ〜〜……心が目覚めちゃった感じかぁ〜〜〜、まぁ居るよね、今どき珍しくないもんね、骨格とか確かに男性的なボディラインで、よく見れば喉仏も出てるけど、顔は女の子みたいに綺麗な顔立ちをしているし、全然有り得ない事じゃないよね。僕もいつかそんな日が来たりするのだろうか、なんてふと過ぎった。
「まぁ別にどっちでもどうでもいい、とにかくここを出よう。助かった、ありがとう赤原」
「は、はぃぃ……」
長谷川さんはそういって歩き始める。それに着いていく形で3人で表参道ヒルズを出ようと歩み始めた。
ぐっすり寝てる彼らはどうなるのか分からない。
朱桃……ちゃん?は、小さくなって切なそうな様子だった。居た堪れなくなり、彼女……?に向かって「僕は餘部日柄です。僕もなぜか長谷川さんと一緒にいるけど後でちゃんと話聞くつもり……、もしかしてこの霧とか眠らせるのは朱桃ちゃん……がやったの?」と声を掛けた。
「あぅ、そぉです、長谷川さんって誰ですか?」
「え、あの人……」
「 ……?翠々芽ちゃんは雉さんですよ?」
「でも長谷川さんでもあるらしいって」
「………?」
朱桃ちゃんと僕とではてなマーク浮かべ合戦に突入仕掛けたところでこれ以上の追求をやめた……。
通路の道端で彼らはぐぅぐぅとイビキをかく人も居るほど、すっかりと眠りこけていた。それを横目に堂々と余裕にエントランスの方へ向かう。
そういえば、ミシェル先輩に掛けていた通話はどうなったんだろうと思いスマホを取り出そうとしたところで、
「待て!」
と、先頭を歩く長谷川さんがストップを掛けた。
「まぁ、そうなんだよね、俺には効かないんだよね」
細長いスロープ上の通路。濃い霧に覆われたままで先は見えない。けれど声の正体は分かる………。
八高茅都……。
そう耳で理解すれば、彼の姿はすぐに目の前の視界にも現れた。
「た、確かにわたしっ、"雨燕"を掛けたはずですっ……!」
茅都は慌てもせず相変わらず無表情の様子だ。朱桃はえらく狼狽えている。
「ティファニーの翡翠を砕いた時も、アイツにもちゃんと、"祝福"をしたつもりなんだがな」
長谷川さんも彼を睨む。警戒態勢に入る。どうする?別のエントランスへ遠回りして逃げるか……?
なんなんだ、あの男は……。つくづく、背筋に悪寒が走る。
「依弦……?」
……?長谷川さんと朱桃ちゃんと僕の3人だけを見て、茅都は突然そう言った。かと思えば。
「こっわ、後頭部にも目ついてんの?」
「さっすが日本代表ボランチ茅都くん、視野広いねぇ」
茅都の背後から2人の男性の人影が現れた。
「ミシェル先輩!!依弦さん!!」
あのLINEをして、ビデオ通話をかけてどうなったのか、返信の確認は出来なかったが、ミシェル先輩はひらひら〜とスマホを振って、通話画面を見せびらかした。僕の連絡によって2人が駆けつけてくれたようだ。
「在里早をどうするつもりなの?」
依弦さんは、在里早をおんぶしたままの八高茅都に威嚇するように、いつも優しくゆったりとした口振りの彼しか知らない僕が恐れ驚いてしまうほどの低い声で、怒りに溢れているように見えた。
依弦さん……。伊野依弦。彼もNOI"r"SEのメンバーで、ミシェル先輩の大親友。ミシェル先輩に紹介され、3人でご飯に行ったこともあり、僕は依弦さんとは親交があった。在里早も言っていたように、彼はそういった"霊能力"があるという。メンバー間の事はよくわからない。思うところがあるのかもしれない。
「だから在里早を助けに来ただけなんだって俺は。ちょうど良かったよ、依弦なら信用できるし、在里早のこと任せていい?」
茅都は背負っていた在里早を依弦さんへ引き渡すように降ろした。確かに僕と九真在里早とは初対面だったし、信用がないとは言えてしまうとは納得したが……。
「だったら最初から僕のこと呼べばよかったんじゃない?茅都くん、本当はまだインタビューのお仕事あったはずだよね?どうして表参道にいるの?」
「………あははっ、在里早が心配でさ」
目に見えて分かる嘘笑いだ。
「じゃあ俺は仕事戻るから。そこの霧の魔法使いの女の子のお陰で逃げられたわ、ありがとね〜」
ふふふっ、なんて妖艶に笑い、手を振りながら茅都はエントランスからさっさと出ていってしまった。ミシェル先輩が「追いかけねえの?」と焦り気味に言えば「茅都くんに走って追いつける人がここにいるのかなぁ」と依弦さんが返したのを聞けば、確かに、と納得し、自然にその選択肢は消えた。
「日柄、とにかく無事で良かった。表参道はヤバいから早く帰ろう。依弦の車があるからそれに乗って。なんで女の子と長谷川さんが居るのかも分かんないけど、とりあえず後で全部聞くから」
「は、はい!ありがとうございます、すいません先輩、今日散々迷惑かけて……、ん、うん?今、長谷川さんって言いました?」




