13:夜霧の表参道-3-
表参道ヒルズのスターバックスコーヒーは西館B1に位置し地下階段を降りて入店する。
階段を降りた先にはガラスが面して降り中央部分に両開きのガラスドアがある。「こっちだ!入れ!」と在里早に促され、スタバ店内に入ったところでガラスドアを力を込めて閉扉し、内側から施錠した。さながらアクション映画の敵に追われるワンシーンのように緊迫感に苛まれつつ、通常は店員しか入れないキッチン側のカウンターの内側に侵入する。
階段上の地上からうっすらと『ギヨォォ!ギィアア!』と鳴き声を耳にして、霧が味方をしてくれたのだろう、僕らが地下に進んだ事を見られてなかった事に安堵した。
カウンター内に背中を預け寄りかかりながら、その場にしゃがみ込んで身を潜める。ふぅ、と酸素不足の呼吸と、煩く喚く心臓の脈拍を整える。在里早は僕と異なり、若干息を切らしつつ、やはり冷静に見えた。歌って踊ってるアイドルの体力は凄いのだと素直に感心した。
店内にも当然、人は誰もいない。
客席のテーブルは、先程まで誰かが座ってた事が伺えるように、氷が残ったままのドリンクカップや食べかけのラップサンド、キッチン内も例外なく同様、ミキサーの中身にはフラペチーノになるはずだったそのままの姿の氷と果物や、Uberの配達員が取りに来る予定だったであろうドリンク入りのレシートの貼られた紙袋。まるで人だけが消えてしまったかのようだった。その人間たちの行き先を考察する余裕は、今の僕らには無い。
「ぜぇ、はぁ……、俺、スタジオで雑誌撮影してただけなんよ、なんで鳥の呪霊に襲われなきゃいけねえんだ……、けど心当たりがありすぎて……、つか、巻き込んでわりぃな……」
「はぁ、はぁ、あれ、まじで呪霊…?とかの類なんですか?心当たりって……?」
「俺アンチばちくそ多いのよ、こんな性格だからさ、言っちゃいけない事がわかんなくて口を滑らしちまう、まあ、俺はこんな俺を愛してんだけどさ、一部の"視聴者様"はそうじゃねえらしい。言葉を少し間違えただけで、親の仇かよってぐらいボコボコにさ。別に、俺がそいつらになんか迷惑かけたわけじゃねぇのにさ」
彼は両手で前髪をかきあげるように、合わせて汗を拭う。暗がりで表情は見えにくいが、瞳の奥が深い闇に染まっていたように見えた気がした。
「"死ね"なんか言われ慣れてっから。多分そいつらの怨念とか生霊とか、そんなん」
ぼそっ、と放った一言に、アイドルという晴れやかで煌めいた肩書きの裏腹の闇の一部を垣間見た気がして、息を呑んだ。在里早の事はよく知らない。けれど、僕と初対面にも関わらずこんなにも口が軽々しいのはこの10分少々でよく分かった、その上で、在里早に対して嫌悪をぶつける層がいる事に、納得してしまった自分に対しても、心の奥底がざわっ…とした嫌な感覚が残った。
「まぁ!22時過ぎればオマエもハチコー信者からボコボコにぶっ叩かれんだろーけどな!」
「声!でかいって!」焦る僕の様子をわざとらしく無視をして、在里早はけたけた笑った。
かと思えば、「あっ」と一声発し、彼の表情は真顔になり、僕の瞳の奥の一点を覗くように、真剣に僕を見つめた。
「人間ってさ、根がメガギガネガティブに出来てんだよ、生存本能がそうさせんだ、不安な状況が起こった時にもっと不安になるように悪いイメージが湧いてくる。俺はそれを強制メガギガネガティブモードと呼んでる」
「はぁ、はい?」
「端的に言えば"予測"なんだ、もし今の不安な状況が更に最悪になったら?と強制的に脳がイメトレさせてくる。先回りで対処できるように、こういう事が起こるかもしれんぞ?みたいな強制イメトレで恐怖を煽ってくるんだよ。こんなんデバフだろ。そして今、それが俺の脳に起こった、尼崎市日柄、落ち着いて聞け」
「僕、東京都中野区出身ですけど」
「俺は今、ハチコーの噂話をするぜ。アイツは楽屋の空き時間に机に突っ伏して居眠りをし、ヨダレを垂らして衣装の腕部分をヨダレでべちゃべちゃにしてMステに出た事がある。これは門外不出の超秘匿情報だ」
「は、はぁ、何でそれ僕に言っちゃうんすか」と、そんな国民的イケメンの恥ずかしい一面聞いてよかった事なのかと困惑した。
「そして、八高茅都は今、くしゃみした。ちなみにハチコーのくしゃみの仕方は"クチュゥン!"だ、小鳥の囀りみてえなダセェくしゃみだ、相乗してまた同じくしゃみをしただろうな。かわいそうに、風邪かな?と疑ってる頃合いだと思うけど、実際には俺が噂をしたからだ。どういう仕組みだと思う?俺の"言霊"っていう、霊なのか念なのかそんなよーなやつが5Gが如く瞬間でハチコーに到達したんだ。だからあのクソデカ鳥がそういう霊みてえな類なら、わざわざ逃げる俺たちのこと道なりに追いかけてくる必要なくねぇか?壁やらビルやらすり抜けて真っ直ぐ飛んで襲えばいいだろ?」
「確かに、あんな静かな中で九真さんがデカい声出してたからそれに気づいて追いかけてきた感じっすもんね」
「だから走りながら思った、そいつは俺たちを"聞いて""見て"追いかけてくるんだ。正体はオバケなのか怪物なのかわかんねえけど。だから、ここのスタバの出入り口は自動ドアじゃなくて手動で開閉するガラスのドアだったよなって思い出して、シンプルに鍵締めれば入って来れないんじゃねえのかなって!俺こーゆー立ち回り考えるのは得意なんだよなぁ〜!なんで今だにプラチナ帯なんだろマジで」
「さっきからずっと思ってたんですけど、も、もっと戸惑いみたいな、そういうの無いんですか?!何でそんなに冷静になれるんですか?」
「………あー、お前の言いたい事はわかる、でもしょうがない。同僚に"伊野依弦"がいるんだからなぁ」
「………?」
「お前ガチでさぁ〜、バラエティ番組も見てお勉強しとこうな。」
「依弦はガチなんだよ、ガチで視えてんの。霊感ありますオーラ視えますキャラのアイドルじゃなくて、マジのガチのマジモン。まぁこれも秘匿情報なんだけどさ、キャハッハハ」
「………知らなかった、依弦くんって、そうだったんだ」
僕は依弦くんの事ならよく知っているつもりだった。でもいつも優しく無邪気に笑っていて、そんな印象しかなくて、霊感がある事もテレビではそういう人なのも知らなかった……。何より、依弦くんは嘘をつくような人じゃない事はよく判っている。僕の中で、今まで見た事がないから故に全く信じていなかった霊の存在や超常現象のようなものが実際にあるということの説得力を強めた。何より、たった今怖い体験をしているのだから。僕が生きてきた19年間の当たり前の認識が覆ったんだ、戦慄するのは自然の感情だ。
「だから俺達4人は"そういう現象"については、もう信じるしかねえんだよな〜……」
同じメンバーに視える人がいれば、信じざるを得ない状況を在里早は既に経験しているからこそ、冷静沈着な判断でここへ逃げ込めたと言う事だ。有り難く思った。
「で、だ」
在里早は話を続ける。
「"視覚"は霧のお陰で誤魔化せてるってことだ。けれどもしも、あのクソデカ鳥の、"聴覚"と"嗅覚"がレベチだったら、って、疑問がたった今出てきたんだけど」そう言ってふぅーっとひと息吐いて、両手を心臓に重ねるように当てた。
「その疑問を今、検証する」
在里早は立ち上がって、入り口の方へ身体を向けた。
しかし、彼は、
「あーーーー………」
声をフェードアウトさせながら、左手で顔を覆って俯く。
「BAD GAME、終わった」
そう言い放って立ち尽くす在里早を見上げながら、僕も立ち上がる。
表参道ヒルズ西館B1スタバの店内入り口は、側面ガラス張りで、ドアの外側は地上のメインストリートへ続く階段がある。
降りて入ってきた時は、街灯や蛍光灯に照らされ至って明るかった。
だが、今は、そこは真っ暗だった。
びっしりと、黒い塊のように、大量の鳥の形をした陰のようなものが、ガラスと施錠された両開きドアいう壁を隔てて一面に埋め尽くされていた。
そして、目の前の鳥の群衆は一切の声を発していなかった。
その事に、僕らを追ったあの一匹の鳥が『ギャァギャァ』と喚いてたのは、仲間の増援を呼ぶためのものだったと悟る。
即ち、この鳥達は、ここで発された在里早の僅かな喋り声を、傍受して集まってきた、ということを、察した。もしくは"匂い"を辿ったのか、或いは、両方か……。
この狂うほどの表参道の静寂は、その為にあるのだと理解すれば、後悔と恐怖が更に押し寄せる。
ジリっ……と一歩、後退りをする。
「俺のメガギガネガティブモードの予測によれば、この後、ガラスが破砕されてこのクソデカ鳥の大群が一気に押し寄せるなんて事、あるかもしれねえな……」
彼の額やこめかみやらには、多量の汗が滴り落ちるている。彼の焦りと共にごく…と唾を飲む音が聞こえる。
『ガッァッシャァアアアン!!!!!!!』
最悪の予測は的中した。目の前でガラスが激しく音を立てて崩れ破られた。映画の中でしか見た事も聞いた事もない、大きな構造物が崩れさる光景と耳を劈く激しい音。




