11:夜霧の表参道-1-
カフェを飛び出すように出て階段を降りようとすると先輩に腕を捕まれ「鍵!掛け忘れてんぞ!」と注意され「あぁっ」と自分にうんざりしながらドアに鍵を差し回して施術を確認すると改めて、今度は一呼吸落ち着いて少し丁寧に降りる。この狭い階段を早く降りたくてもどかしくなったのは、少し寝坊して現場に遅刻しそうになった時以来な気がした。
「タクシーで行こう」と先輩は慣れた手つきでタクシー配車アプリを操作する。そんな様子に、普段から常習的にタクシーに乗ってる先輩に対して、こんな時にやっぱり芸能人なんだなと尊敬の念が湧いて出た。僕はまだ電車で行く発想しか出てこなかった。
数分も経たないうちにタクシーは僕らの前に現れて、渋谷区ってやっぱすごいんだななんて、初めて都会に出てきたみたいな感想をぽつりと思いながら、後部座席の方に僕が先に乗り込み「表参道までお願いします」と伝え、合わせて先輩も乗り込んだので先輩は僕の左側に座る位置づけとなり、タクシーは代官山駅前を経由し八幡通りの道なりを用いて表参道に目指し始めた。
僕は今、『近づくな』とアナウンスされた場所へ近づこうとしている。倫理が欠けた問題のある行動であるのは分かってはいるけど……。
やっぱり"彼女"は、僕にとって"視えてはいけなかった"存在だった。
テレビに映し出された表参道の交差点に、あんなに堂々と人が映っているのに、それに全く触れないニュースに、ミシェル先輩の反応により、それを確信してしまった。
彼女も、僕に見られたことをひどく驚いていた。僕以上に怯えるぐらい。ものすごく単純な感覚で考えたら、"カフェに取り付いた呪縛霊"だとか……。
じゃあ、僕のLINEに追加されたこのアカウントなんなんだ?
「"はせがわ" さん……?って、さっきテレビに向かって言って人か。桜木町の観覧車……に、ラーメンのアイコン、家系?つか、ほうれん草盛りすぎじゃね……?」
先輩に紋所を突きつけるみたいにアカウントのプロフィールを見せてみたら怪訝そうな顔をしながらそのような感想が返ってきた。彼女と交換したLINEは僕の幻覚では無い事という安心と、同時に気味の悪さに震えた。
「あ〜〜〜〜」と迷惑にならない程度に小さく叫んで、頭を抱えながら仰け反ってそのまま座席に体を委ねる。iPhoneを手に持ち開いたままの"はせがわ"さんのLINEからトークを開いて『今から会えますか?』と軽々しく打ち込んでメッセージを送信した。すぐには既読は付かなかった。
「なんか、さっきヤバい人とLINE交換しちゃいました」
てへへっ。
なんて、はにかんでみてもミシェル先輩の怪訝な表情はさらに深みを増しただけで、僕を睨みながら「後でいいからちゃんと全部話せよ、あと、危ねぇことはナシだからな」と、深く溜息を着きながら、先輩はiPhoneを開いてSNSなどで情報収集しているようだった。
"長谷川さん"について、それ以上は追求はしてこないのはどうしてだろう、と思いつつも、いくら同じ事務所のよしみだとして、授賞式の事から続いて僕を本当に心配してくれる先輩に、有り難さと申し訳なさが同時にあって、僕の事を弟みたいに思ってくれているのかな、という自惚れと、映画の共演者であり同じ事務所の後輩が問題を起こさぬように、僕を監視したいだけなのではないかという、卑屈。
しばらく進んで5分程度で表参道の交差点の手前までタクシーは来たが、警備員が配置されていて、歩行者が立ち止まりそれなりの人混みになっていた。どうやら交差点は通れるようだが、表参道のメインストリートへ続く道が封鎖されていた。
タクシーの運転手は「人多いんでここまで大丈夫ですか?」と交差点より手前側で下車を促され、素直に従った。電子マネーで乗車料金の支払いを済ませて、僕はメインストリートではなくカフェやレストランや住宅地が立ち並ぶ路地から向かう事にして、先輩も続くように着いてきた。
「事件なのかテロなのかなんなのかわかんねえけど、危ないならそっこー引き返す、いいな?」
「分かってます」
ひとまず路地からメインストリートに向かって進み、この辺りを探索してどこが通行できなくなっているのかを理解したかった。辺りを見渡しながら進むが、向かいから歩行者とすれ違う。相手も同様に表参道がどうなっているのか様子を伺いながら歩いているように見えた。ということは、この辺りの道は安全だと悟る。
僕自身、表参道には撮影の衣装を買いに来た程度しかなく土地勘はあまりないが、この先の通りはルイヴィトンの横に続いてたっけかな、と思い、進行方向を変えようとする。
「あ………れ?」
いつのまにか視界が悪い。街灯や建物の灯りはついたままで、夜道ではあるが明るいはずだった。道の先がぼやけていて見えない。
少し考えて、辺りに霧が立ち込めている事に気付いた。
「先輩、なんか、この辺、霧濃くないですか?山の上にいるみたいな感じ……」
その時、自分の背後に先輩は居らず、人の気配すらもなく、それに気付いた瞬間、とてつもない静寂が僕を襲った。
ーーーーージ、ジジジ………ジーー……
聴こえるのは、電灯や、広告のモニターや、室外機など、そういった街中の機械の動作音だけ。
「え……せ、先輩!どこですか!?近くにいますか!?」
逸れたにしろ、叫ぶようなほどの距離にはいないのは理解していたが、僕の呼びかけに対して返答は何もなく、何も起こらず、それよりも、人の気配に関連する足音ひとつ聞こえなくなった。
先輩がいたずらでどこかへ隠れた可能性については、あまりにも時間が無さすぎる。
数秒、いや、数瞬前まで、確実に、ミシェル先輩は僕と並進していた。
その場で少し立ち止まって、少し考えて、しかし、何も出て来ない。
堪らず、下唇をぎゅっ、と噛み込んだ。
こめかみや背筋には冷や汗が伝い始めた。
来なきゃよかった。
生まれてから僕はオバケなんて見た事ないし、超能力も魔法も超常現象も全部フィクションの中の話で、科学に基づいて世界が在る。それが当たり前であって、至って普通の事、そう生きてきた人間だ。
朝起きて顔を洗って歯を磨いてご飯を食べて職場に向かって与えられた仕事をこなして昼に休憩でご飯を食べて夜までまた仕事をこなして家に帰ってきてお風呂に入ってまた寝る。
昨日も今日も明日も、似たような毎日を繰り返したら、こう思わないだろうか。
『なんか、面白い事、起こらないかな』
僕は、ワクワクしてしまったんだ。
それをたった今、自覚した。
八高茅都が獲ると決まってたはずの主演男優賞が無名の俳優に授与されるなんて事とか、僕にしか見えてない人間が居る事だとか、買い物客で人の絶えないはずの表参道に人が誰もいなくなるだとか。
あり得ないことが起こるのならば、あり得ないことはないんじゃないか?
それならば、僕は、なんにでもなれるんじゃないのか。
そんな結論を、無自覚に期待していたんだ。
「怖い……」
『日柄くん、人間ってホメオスタシスっていう機能が備わってるんだよーー』
『自分に異常が起こると通常時に戻そうとする働きがあってねーーー』
『そういう時ってパニックで脳が活性化しすぎて狂わないように、冷静にさせようとするんだよーー』
財偶さんが送迎車の中で言っていた言葉を思い出すも、今の自分はそれには当てはまらない。
僕の脳は、この異常事態についてきていない。
ーーー静寂と孤独。
恐怖が僕を蝕んでいく。
だが、僕は知っている。
この霧に包まれた表参道に、少なくとも1人、他に人間がいるという事を。
そもそも、その為に思わずここへ来たのだがら。
長谷川さんを探す。
そして、問いただす。
iPhoneを開く。
現在時刻20:42。電波は5G、アンテナは立っていた。
「あっ、えっ、えっ、あれ?」
【はせがわ】 5分前
『困る』
【ミシェルパイセン】 2分前
『日柄お前いまどこだ?』
あ……普通に電波繋がってる……。
こういう時って電波繋がらなくて絶望するみたいな件のやつじゃないの?なんて職業柄で映画の見過ぎなのか勝手にそう思い込んでいた事に気づき、脱力する。なんだ、よかった……のか?でも今の状況はなんだ?
再び思考を整理しようとしながら、とりあえず、先にミシェル先輩に電話をかけようとしたところで、
「えっ、もしかして誰かいる?」
背後から人の気配を瞬時に感じ、若い男性の声が耳に入って、ミシェル先輩の声ではないことをひとまず理解して、声の主の元へ辿る。
「居ます!」
少し小走り気味に向かうと、夜霧の合間から1人の男が現れた。
「あれ………お前、もしかして、アマなんとか、日柄?だっけ?じゃね?」
「えっ……?」
男は若くすらっとしている雰囲気で、僕の事を知っているようだった。僕も合わせて、相手の顔をよく見る……、しかしピンと来なかった。
「僕の事、知ってるんですか……?映画見てくれた人……?」
「えーー?!!」
彼は僕の返答にに瞬時に声を荒げていた。この静寂の空間の中でその声量はかなり響いて聴こえ、少しびっくりしてしまった。
「まぁ〜じ!?しんど!!俺の事知らねえの!?まぁ……そっか、俺って、そんなもんか」
彼は肩を窄めてしょんぼりとしていた。その様子を見てすかさず「えっ!?ごめんなさいっ!どっかで僕と関わってました!?」と慌てて謝ると、改めて彼の顔をよく見れば、肌も骨格も整っていてかわいらしい印象があり、ひとまずはルックスは並外れているものだと判断できたので、反応と合わせておそらく芸能関係の誰かであるところまでは推察した。




