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父王から呼び出しを受け、指定された部屋に行くと、そこには弟のブライアンもいた。ブライアンはずいぶん痩せて疲れた顔をしていた。
兄弟並んで父の前に座り、最初に聞かされたのは、
「結論から言えば、ロザリー・バーギンは聖女ではなかった」
ということだった。
聖女では、ない?
今回の一件の全ての前提が覆され、エイベルは頭の中が真っ白になった。
「王都に来てから奇蹟を見た者がいなかったが、領地での評判もあやふやだった。ロザリーは他国の魔女から魔術や催眠術を学んでいたようで、自分の言ったことを真実だと思わせたり、自分に好意を持たせる力はあったようだが、魔物を遠ざけるだの、怪我や病気を治すだの、そういった力はかつても今もなかった。聖女の奇蹟は子爵に金で雇われた者が吹聴した嘘だった」
「では、…私は、騙されていたと…」
国を背負う者が安易に騙され、特定の者を目にかける。それは許されないことだ。
恐らくこの事実は、王は早々につかんでいたのだろう。だからこそロザリーは最初から王家の婚約者に選ばれることはなかったのだ。
エイベルはロザリーに会ってから自分の取ってきた態度を振り返り、項垂れるしかなかった。次に国を継ぐ者の資質を見極めるためにこの件を利用して対応を見定めていたとしたら、明らかにエイベルはは不合格だ。
「騙されて、…うむ。結果としてはそういうことだ。王家の者には薬や毒への耐性をつける訓練がなされているが、それを上回る量の薬と呪術を使われてしまってはな…。学校でバケツの水を被った件を覚えているか?」
それはエリザベスが下位貴族の令嬢に命じて、校舎の二階からロザリーにバケツの水をかけようとしたあの事件のことだ。エリザベスの命令だと証言は得たが、令嬢は早々にいなくなり、それ以上の証拠は得られなかった。あの事件をきっかけにエイベルはロザリーを守ろうと…
「あれは元々おまえにかけるために用意されていたものだ。中身はただの水ではなく、呪術がかかりやすくするための薬が入っていた。あの日おまえの護衛をしていたモーガンも、薬をかけたレストン子爵令嬢も皆弱みを握られて脅迫され、協力していた」
「モーガンも? …まさか、ロザリー…、バーギン子爵に?」
エイベルが父に尋ねると、ブライアンはびくりと身を震わせた。
「バーギン子爵もだが、今回の事件はおまえを王太子から追いやることを目的としたブラッドショー侯爵の策略だ」
ブラッドショー侯爵。それは第二王子であるブライアンの婚約者キャサリン・ブラッドショー侯爵令嬢の父親だ。
「おまえが薬をかけられてから王城に戻ってきた時間に一時間の空白があった。その間におまえはどこかに連れ去られ、怪しげな術をかけられていたのだろう。あれ以降頻繁にロザリー嬢に接触するようになり、おまえのロザリー嬢への執着は深まる一方だった。普段真面目なおまえだからこそ、恋に狂えばそれくらいのことはあるかもしれないとも思えたが、さすがに同時期に二人の王子がおかしくなっては疑いを持たずにはいられなかった」
「兄上…」
エイベルを見る弟ブライアンは、いつになく弱々しく、生意気を言ったり茶化してきたりするいつもの姿は影を潜めていた。
「私もまた薬を盛られ、あの夜会の後、薬の効果が切れるまで北の塔で過ごしていました」
ブライアンも自分と同じように北の塔に幽閉されていた。そのことにエイベルは全く気付いていなかった。
「バーギン子爵は当初私とロザリー嬢を縁づけるつもりだったようです。薬を盛られ、心を操られた私に気付いたキャサリンがブラッドショー侯爵に相談し、逆にこの状況を悪用されてしまった。ロザリー嬢の対象を私ではなく兄上に、そして私もまたロザリー嬢からキャサリンに対象を代えて薬を使い続けられ、キャサリンの、侯爵の意のままに動いていました」
ブライアンは言葉を震わせながら、懺悔するようにエイベルに自分のしたことを伝えた。
「キャサリンの言うことが全てで、何を言われても疑うことなく、願いを叶えることを最優先にしたくなる。私は言われるまま兄上がロザリー嬢とうまくいくよう協力し、そのくせ偽聖女に肩入れする兄上をあざ笑っていたのです。兄上が偽聖女と共に失脚すれば、いつかキャサリンを王妃にしてやれると…、本気でそう思って…」
それはエイベルも同じだった。
あの薬入りの水を被った翌日からロザリーを、聖女を守ることが自分の使命だと思うようになった。ロザリーのそばにいて、何よりもロザリーを優先するようになり、全てが聖女を守るために正しいことだと思っていた。聞かされたことを信じ、確証をつかむことも忘れ、悪いのは全てエリザベスだと思い込み、あの日、夜会で…。
エイベルは自らの手を固く握りしめた。自然と震えが起こった。