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次の日も現れたのは同じ侍女だ。タオルを渡された時も、食事を置いた時も
「ありがとう」
と声をかけると驚いた顔をしていた。この二日間、そんなに尊大な態度だったのだろうか。そんな顔をされたのが妙に恥ずかしかったが、食器を引き取りに来た時も
「ごちそうさま」
と感謝を言葉にした。
「…私は運んだだけ」
返事は素っ気ないのに、片付ける手が早くなったのが照れているようで、なんだか面白い。
食事の運び込み、着替えの準備、ベッドメイキングに部屋の掃除。全てこの侍女がやっている。まだ三日目とはいえ、護衛は交代しても侍女は変わらない。護衛のようにずっと定位置にいるわけではないので合間に休憩は取っているだろうが、ふと心配になった。
「おまえは休みはないのか」
「他の人は怖いから嫌だって」
「怖いって…、俺が?」
「他に誰が?」
エイベルは自分が誰かから怖がられているとは思わなかった。
塔も城の一部、働いているのは王城の人間だ。全ての使用人を覚えているわけではないが、特に嫌われるようなことをした覚えはない。しかしあの夜会の一件以来、自分は王に幽閉されるような人間だと思われているのは間違いない。このところ聖女をぞんざいに扱う者に対して厳しく指導するようにしていたが、それを見て怖いと思われてしまった可能性もある。だが、それは改めてもらわなければいけないことだ。国の平和を思えばこそであり、人々を正しく導くのも王子としての役目だ。
しかし、それは本当に正しかったのだろうか。
机の上に置いたままだった、医者が出した薬を手に取り、口に含んだ。侍女が出したあの薬に比べると悪くない味だった。
その日も文官が聴取に来た。
前日までと同じ話もあったが、繰り返し聞く事は重要な事なのだろう。そう思い、できるだけ詳細に思い出し、伝えるようにした。所々記憶違いもあったようだ。
聴取が終わって、今日はロザリーのことを聞かなかったことに気がついた。明日も聴取があるなら聞かなければ。
聴取が終わると、食事の時間でもないのに侍女が来た。
木のカップに温かいお茶が注がれ、菓子もある。北の塔で暮らすようになってから甘い物は初めてだった。侍女はすぐにいなくなり、夕食までカップを引き取りに来なかった。
夕食、そしてあのまずい薬、医者からもらった薬も飲んだ。飲まされている薬が自分の命を害するものではないことはわかっていた。むしろ体調はよくなり、時々悩まされていた小さな頭痛も減った。
本を読むふりをしながら観察していると、侍女は食器の載ったトレイをワゴンに戻し、ワゴンの下段から布を取り出して脇の下にはさんだ。机を台拭きできれいに拭き取った後、布を広げるとその布の中に本が入っていた。布はテーブルのセンタークロスとしてそのまま机に敷かれ、その上に本がきちんと重ねられていた。自分の髪は左右の高さが違おうと束の太さが違おうと無頓着なのに、妙なところが几帳面だ。
もしかしたら、本の差し入れは禁止されているのだろうか。そうでなければあんな風に隠し持ったりはしないだろう。昨日の本の中には特にメモも、何かの指示の書き込みも、家族からの手紙さえなかった。しかし、そうした物のやりとりに本が使われることを想定し、禁止している可能性はある。
エイベルが気付かないふりを続けているうちに、侍女は仕事を済ませ、部屋を出ていった。
新しく置かれた本は外国語の本と、冒険ものの小説だった。手に取り、パラパラとめくってみたが、怪しげな所は何もなかった。
ろうそくが消えれば、その日は寝るしかない。毎日学校と公務に追われるのは当然だと思っていたが、こんな目に遭ってゆっくり眠ることを覚えた。
その夜、夢を見た。
いつもの夢と違う、夢らしい夢。よく知っている人だとわかるのに、どうしても名前が思い出せない。姿形もぼんやりとしていて、それなのに笑顔だとわかる。鼻歌で歌っているのは、昔聞いたことのある曲。歌が出るのは機嫌がいい時だ。
「…、……?」
その言葉にうなずくと、伸びてきた手が優しく、撫でるようにエイベルの前髪をかき分けた。
何と言われたのだろう。
言葉も、姿も、何も思い出せなかった。




