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「朝です」

 侍女の声で目が覚めた。こんなによく眠ったのはいつぶりだろう。

 侍女は相変わらず素っ気なく、無言で洗面器に朝の洗顔用の水を用意した。温度は適温で、アロマオイルでも入れているのか、森林を思わせる爽快な香りがほのかに香った。エイベルが顔を洗っている間にベッドの上に着替えを置き、洗顔が終わるとタオルを渡して一旦部屋を出た。廊下にあった別のワゴンに入れ替えて食事を部屋に持ち込むと、昨日と同じようにトレイごと卓上に置き、礼の一つもせずドアは閉じられた。

 出された食事はぬるく、いつもより種類も量も少なめだった。少し物足りない気はしたが、食べ切るにはこれくらいでよかった。



 ここから出る方法を考えなければいけない。エイベルは食器を引き取りに来た侍女に、

「少し体を動かしたいんだが、散歩くらいできないか」

と話しかけたが、侍女はきっぱりと

「無理です」

と言い切った。

「少しでいい。塔の中でいいんだ」

 聞こえていないかのように無視する侍女に、さらに魅力的な提案をしてみた。

「礼金として金貨を一枚渡そう」

 代償を提示したとたん、侍女はくるりとエイベルの方に顔を向けると、ふんっと鼻から息をもらした。

「今のあなたのどこにそんなお金があると?」


 かつては金貨の一枚ごとき容易に用立てられたが、幽閉されている今となっては一文無しだ。それに気づかされ、エイベルは羞恥で顔を赤くした。

 侍女はワゴンに食べ終わった食器を載せ、着替え終わった服を腕にかけると、そのまま部屋の外に出て行った。今やエイベルにはあの粗雑な侍女ほどの自由も金もない。自分が大きな何かを失っていることに気づかされた。



 今日も昨日と同じ文官が聴取に来た。聞かれるのはロザリーが王立学校に来てから今までのことだ。既に下調べが済んでいる事項の確認をしたいようだがうろ覚えのことが多く、返事に身が入らない。それよりもロザリーのことが気になって仕方がない。

「ロザリーはどうしている?」

「今は殿下と同じように事情を聴いています」

 昨日と同じ答えだ。そういう風に答えることになっているのだろう。

「元気にしてるか。ちゃんと食事はとっているか?」

「…」

「粗末に扱っていないだろうな」

「…」

「牢に入っているのか?」

「お答えできません」

 結局自分からの質問には答えてはもらえない。それなのに自分には次々に質問を向けられ、エイベルはかっとなって握った拳を震わせ、

「この俺が…」

と声を荒げかけたところで言葉を止めた。昨日と同じ、動じない目と怯える目。同じことをしても進展はない。ゆっくりと息を吐き出し、心を落ち着けようと努めた。


「婚約破棄は俺の一存で行ったことだ。ロザリーには関係ない」

「…お決めになるのは陛下です」

「頼む、父に会わせてくれ」

「陛下はお会いになりません」

 続く同じ問答に文官達は諦めたように聴取を切り上げ去って行った。昨日と何も変わらない。イライラしてドアに枕を投げつけた。


 その日は午後から医者が来た。衛兵二人も入ってきて、エイベルの左右についた。医者の道具には武器になるようなものもある。警戒されているのだ。そんなに自分は信用されていないのか。聖女を守ったというのに…。エイベルは腹立たしさを感じながらも、努めてそれを表には出さないようにした。

 医者は昨日とは違う飲み薬を処方した。何のための薬かわからない。公爵令嬢との婚約を破棄したくらいで、自分を薬殺しようとでもしているんだろうか。とてもじゃないが口にする気にはなれなかった。


 公爵令嬢と子爵令嬢を比べれば、公爵家を優遇するのは当然なのか。エイベルは腹立たしくなった。その比較は正しくない。比べるなら公爵令嬢と聖女だ。この国を守る存在。疫病や魔物、天災から人々を守り、国に安寧をもたらす…

 どうしてもロザリーを助けなければ。この国の王子として守る義務がある。

 今頃無理な尋問を受けているのではないか。自白を強要されて拷問を受けたり、まさか公爵家の手にかかり殺されたりは…

 いても立ってもいられなくなり、エイベルはドアを叩き、外にいるだろう衛兵に声をかけた。

「おい、開けろ。ここから出せ! 聞こえないのか!」

 一度足音が近くに寄ってきたが、

「放っておけ」

と言う声がした。叫び続けてもドアが開くことはなかった。

 やがて疲れて、渇いた喉を水で潤した。うっすらと柑橘系の味がついた水は口当たりが良く、熱くなっていた心までもがゆっくりと冷まされていくようだった。



 夕方になり、食事の時間が来た。机の上に置かれる食事。食事を共にする者は誰もいない。

 夕食を片付けに来た侍女が食器を引いた後、ワゴンの下段から薬箱を取り出し、エイベルの手を取ると血のにじんだ手の甲に薬を塗り包帯を巻いた。食事を運んできた時に血が出ていたことに気がついたようだ。ドアを叩きすぎたせいだろう。熱くなりすぎて自分の怪我にさえ気付いていなかった。


 声もかけずに男に触れることに躊躇しない女。自分は王太子だ。易々と下女が触れていい存在ではない。そう思いながらもそれ以上の反発心は起こらず、治療を受け入れていた。


「お医者様からの薬は」

 置きっぱなしになっている飲み薬を見た侍女がエイベルに問いかけたが、エイベルは黙ったままだった。するとそれとは別に昨日と同じ薬が卓上に置かれた。あのまずい薬…。

 じっとエイベルを見る侍女の目。本気だ。飲まなければ昨日のように押さえつけてでも無理矢理飲ませるつもりだろう。エイベルは覚悟を決めてコップを手に取ると、一気に飲み干した。自分で飲もうと、飲まされようと、まずいものはまずかった。

 うえっと顔をしかめると、あの侍女がわずかに笑ったように見えた。目の錯覚と思うほどのほんの一瞬だった。まずいものを飲まされるのをざまあみろとでも思ったのかもしれない。むっとしたが、それよりも手の怪我に気付いてくれ、治療してくれたことに礼を言いたくなり、

「ありがとう」

と素直に感謝を口にした。それなのに、

「薬、おいしくなった?」

と皮肉る侍女。

「…そんな訳あるか」

 侍女を睨みつけたが、さっと水を差し出され、あの味を薄めるためすぐに口に含んだ。空になったコップに追加の水を注ぐと、侍女は出て行った。



 いつの間にか机の上に本が二冊積んであった。一冊は歴史小説で、もう一冊は数学の本だった。恐らく自分の護衛だったフランクの選択だろう。ロザリーとの仲を咎める口うるさいフランクとはここしばらく口をきいていない。聖女の価値もわからない頭の固い男だ。反発心を覚えながらも小説を手に取った。ろくに体を動かせず、公務もなく、こうして時間を持て余すことなど今までなかった。

 早くここから出て、ロザリーを助けなくては。

 目で追う文字はほとんど頭に入らないまま、気がつけば眠りに落ちていた。



 その日も夢は見なかった。夢を見ないのがこんなに楽だったなんて不思議だった。いつも夢を見ると幸せな気持ちになれて、夢の世界に行けるのを待ちわびていたのに…。


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