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エリザベスの向かった修道院を確認し、即座に馬を走らせたエイベルは、その日のうちにエリザベスの馬車に追いついた。
ろくに護衛もつけていない馬車で、何かあったらどうするのかとエイベルは心配したが、追いかけてきたエイベルを盗賊と間違えて捕縛に動いたのはエリザベス自身だった。
馬車が止まりきる前に乱暴に扉が開き、飛び出したエリザベスは剣を構えていたが、見覚えのある馬とやたらいい服を着た男が強盗ではなくエイベルだと気がつき、警戒は解いたものの怒りは倍増していた。
「何しに来てんのよ! ばかじゃないの!」
「修道院行きはなしだ! 絶対に許さない」
「許すも許さないもないわよ。これから王族として汚名返上していかなきゃいけないってのに、女追っかけてる暇なんてないでしょ! 人生なめんなっ」
「そっちこそ、俺なんかのために人生捨てるんじゃない!」
「何で修道院行きが人生捨ててんのよ。こっちは王家から離れて悠々自適、シスター達の護衛しながらのんびり過ごすんだから」
「わかった! じゃ俺も王族やめて悠々自適する!」
「はぁ? 何言ってんの? 自分の立場わかってる?」
「いいから、行くな」
「嫌よ、もう決めたんだから。邪魔しないで!」
道端で二時間に及ぶ口論の末、このまま道端に馬車を止めて話すのは良くないと馭者から言われ、エイベルの護衛達にも勧められて、とりあえず暗くなる前に王都に戻ることになった。
エイベルはエリザベスの乗る馬車に併走し、窓越しにエリザベスの様子を覘き見ていたが、エリザベスはずっとふてくされて目も合わせなかった。
ソレイユ国に行く時も邪魔された。
修道院行きも邪魔する。
自分が楽しみにしていたことはいつもこの男に邪魔される。人生最大の疫病神に違いない。
エリザベスのエイベルを恨む気持ちは半端なかった。
王都に着くと、このまま離れては話し合う機会をなくしてしまうと思ったエイベルは、そのままシーウェル公爵家までついて行った。
今朝出て行ったはずの娘が戻ってきたのを見て、公爵もあのまま大人しく修道院行きにはならないだろうと予想はしていたが、王子まで一緒に来るとは思わず、これからどうしたものかと思わぬ誤算ににやにやしながら考えを巡らせていた。
エイベルとエリザベスは応接室に呼ばれた。
ふてくされて誰とも目を合わさないエリザベスに対し、エイベルはエリザベスの修道院入りを止めるよう必死に公爵に働きかけた。
「今回の件は全て私が責任を問われるものです。エリザベス嬢には全く瑕疵はない。どうか、修道院行きの処分取り消しを」
「…そもそもあなたにあんな大勢の前で婚約を破棄され、エリザベスは傷物となったのです。そんなあなたが今更口出しを?」
「私が愚かだったと周知すればいい。私が王太子でなくなるのは確定しているが、それでも不足するなら王族でなくなってもかまわない。彼女のように優秀で、行動力のある女性を貴族社会から追放するなんて、あってはいけないことだ。どうか再考を」
その言葉にエリザベスは怒りを忘れ、戸惑いを見せた。
「え、エ…、で、…??」
王の命で護衛になったが、女性が目新しいだけで護衛としての自分は従者Aでもなく従者Bでもなく従者C以下だった。婚約者もごっこ、人前で婚約破棄を宣言するような相手からの突然の高評価。それを受け止められず固まっているエリザベスを見て、シーウェル公爵はくっと笑った。
「そう。うちの子は優秀なんですよ」
そしてこっちもエリザベスを褒める言葉。今まで公爵から褒められたことなどなかったエリザベスは鳥肌が立った。嫌な予感がする…。
「別に王太子でもないようなつまらん男の元に嫁がせる必要はない訳だ。…そうだな。うむ。やはり修道院はやめて、どこかの家に嫁がせるか」
公爵の言葉に、エリザベスは立ち上がって抗議した。
「おじさま、それはしないって約束じゃない!」
「気が変わった。殿下の勧めもあることだ。おまえの修道院行きは撤回。追って婚約者を見繕うことにする」
公爵の決定に、エイベルは自分が間違えたことを自覚した。修道院行きを阻めば、エリザベスには別の縁談が持ち込まれるのは当たり前だ。にもかかわらず、何の策もなく押しとどめる事だけを考えていた。
エリザベスが他の誰かのものになる…
その衝撃を打ち破ったのは、他ならぬエリザベス自身の号泣だった。
「イヤーーーーーッ!! 絶対、イヤ! 修道院に行く! もう護衛じゃなくていい! 修道院に入る! 二度と出てこない! おじさまの嘘つき! 王様も嘘つき! 殿下も嘘つき! みんな嫌い! もう誰も信じない! ばかぁ!」
公爵家の護衛を投げ飛ばしながらこのままどこかへ逃げようとするエリザベス。令嬢への遠慮もあるだろうが、五人がかりで三人が倒され、残る二人が逃がすまいと必死に捕らえたエリザベスをエイベルも脱走を阻止すべく強く抱きしめた。離すわけにはいかない。護衛が抑えきれず、振り上げた手が顔に当たり、エイベルが小さく
「つっ」
と声を漏らすと、それだけでエリザベスは力を込められなくなり、拳の力は爪も立てない猫パンチ程度になってしまった。
「…すまなかった。リズ、…ごめん」
エリザベスはぐじゅぐじゅと鼻水をすすりながら、ずっと我慢してきた怒りをエイベルに向けた。
「ロザリー様がいいなら、ロザリー様と結婚すればいいじゃない。聖女じゃなくったって、そっちも王太子じゃないなら問題ないでしょ」
「心を操られていただけだ。別にロザリーが好きだったわけじゃない。おまえだってわかってるだろ」
「夢の中で何度もロザリー様に会ってたくせに。ロザリーって、何度も名前呼んで、…私なんて一度も」
「夢でまで呪われてたんだ。ロザリーの言うことを聞けって、ずっと念を押すように…」
「知らない! ずっと言うこと聞いていればいいのよ。それで幸せだったんでしょ!」
エリザベス自身が呪いから解放しておいて今更な発言だが、これほどまでにエリザベスがヒステリックになるのをエイベルはもちろん、公爵もまた見たことがなかった。それなのに公爵は慌てることもなく人ごとのように笑って見ているだけだった。
やらかした王子だからこそ言える恨みの数々。ずっとたまりにたまっていた恨み言を、この機会に全て吐き出してしまえばいい。
エイベルは腕の中でしゃくり上げているエリザベスにほとほと困った顔を見せながらも、エリザベスを離そうとはしなかった。
公爵はエイベルの肩をぽんと叩き、
「殿下。私は王族でも王太子でもない相手に、弟から預かった大事な娘を預ける気はないんですよ」
それだけ言うと、公爵は応接室から出て行った。
護衛がそっとエリザベスから手を離し、エリザベスに投げ飛ばされた護衛達もゆっくりと起き上がると、公爵に続いて部屋から引き上げた。
ずっと前から心の中にあった小さなざわめき。その想いが何だったのか、エイベルはようやく気がついた。
「いなくならないでくれ、リズ。もう婚約者じゃないのはわかってる。だけど、…せめて、学校を卒業するまででいい、チャンスをくれ」
学校を卒業するまで。あと一年もない学校生活。名残惜しい気持ちは充分あった。エリザベスが心を揺らすところをよく知っていて、鋭く突いてくる。
「護衛じゃなくてもいい。父や公爵に背負わされた俺の世話係は降りてかまわない。王の命令なんかなくても、…俺は、おまえが欲しいんだ」
「ほ、…欲し…?!」
もの扱い?と思いはしたが、エイベルの真剣さにそれが言葉のままなのは理解できた。
「何度でも言う。何度断られても文句は言わない。不敬もない。約束する。だから何度でも言わせてくれ」
振られる前提で口説く男に抱きしめられている。あんなに腹を立てていた相手の胸の中で泣いて、泣き止んでなお腕の中にいる。
「おまえが俺の護衛になってから、そばにいるのが当たり前だった。これからは当たり前じゃなくなるけれど、…きっと当たり前を取り戻す」
「そんなの、無理…」
「取り戻す。そう決めている」
今回の幽閉で失いかけた数々の当たり前。普段使う食器も、汚れれば着替えが出されることも、顔を洗うことさえ、当たり前だと思っていたことが突然消えてしまうことがある。それがどれだけ恐ろしいことか知らなかった。北の塔を出て、あっさりと当たり前が戻ってきた。それなのにその中で唯一取り戻せないエリザベス。しかし、まだ腕の中にいる。失ってはいない。
「約束、できない。…結婚させられそうになったら、誰にも言わずに逃げるから」
本当は今すぐにでも逃げたいくらいだ。この手を離されたら…。
「俺が公爵を説得する」
エリザベスの心の内に気付いたように、引き寄せる力が強まった。
「護衛もやめたから、もう守ってあげない」
「今度は俺がリズを守る」
守ってもらうほど弱くない。そう思うのに、その言葉に胸の奥がキュッと痛くなる。
「王妃教育だって受けない」
「わかってる」
「お城にだって行かないし」
「…それは、みんなが寂しがるな」
意地を張ってそう言ってみたが、寂しいのはエリザベスも一緒だ。だからつい
「…じゃ、お城は、時々行ってもいい」
そう言ってしまった。護衛をやめた今となっては、呼ばれなければ行くような所じゃないのに。
その気になればエリザベスを言いくるめるのは簡単だろう。だが、エイベルはエリザベスの想いが育つのを待つことにした。
嘘はつかない。だましはしない。だけど少し強引に。時には遠慮なく。
珍獣を手に入れようというのだ。慎重に飼い慣らさなくては。




