15 エリザベス 6
エリザベスが城に着くとすぐ、エイベルの服は青ではなくなったと聞かされた。そもそも出迎えにも来ていない。全ては想定通りだ。
好奇心に満ちた視線にひるむことなく、エリザベスは一人会場に向かった。
二人は既に会場入りしていた。
公の場で、婚約者を目の前にして揃いの色の服を着たバカップル。
エリザベスは気合いを入れ、奥歯をかみしめた。
いつでも来い。
エリザベスは自分の婚約破棄を受け入れるのには抵抗がなかった。所詮はつなぎの婚約者だ。しかし今の王子の相手ロザリー、この女が王太子妃になっていい訳がない。聖女としても偽物。自分の意を通すために嘘をつき、人を脅すことに罪悪感も持たない。薬で権力者の心をつかむような女からこの国を、エイベルを守る。それこそが護衛の勤めだ。
エイベルはあちこちから挨拶を受けていたが、さすがに婚約者でもないロザリーを連れて回ることはなかった。薬にやられながらも理性的な判断をする。ロザリーにとってもままならない相手なのかもしれない。
離れたところに控え、断罪されるなら二人がそろってからだと思っていたが、気がつけばロザリーが目の前にいた。ロザリーは自分の手に持っていたワイングラスを自分自身に向けて傾け、エリザベスに体当たりしてグラスを床に放り投げた。
ガラスの割れる音がスタートの合図だ。
「ひ、ひどいわ、エリザベス様」
ロザリーの悲鳴にエイベルが駆けつけた。ロザリーはエイベルの背後に隠れ、エイベルの腕に手を添えて少しだけ身を乗り出してエリザベスを見ていた。
ドレスを染め、床に散らばるワインの深い紅色が仕組まれた言葉の再生を促す。
怒りのままに、エイベルは会場にいる貴族たちの前で叫んだ。
「エリザベス・シーウェル嬢、聖女ロザリーに対する数々の嫌がらせ、目に余る。おまえとの婚約は破棄だ!」
来た!
だが、ここまで。この先は言わせない。
すぐさまエリザベスは
「承りました」
と言うと、ドレスの裾を引き上げ、深々と礼をした。それは少し引き上げすぎているくらいだった。
あまりにもあっけない終了。…かと思われたが、
「では慰謝料は…、これでっ!」
誰もが予測できなかった次の動作。
エリザベスはエイベルの頭に回し蹴りを食らわせてふっ飛ばし、倒れたところをさらにみぞおちに拳で一撃を加え、完全に黙らせた。
エイベルの背後でこれからの断罪を思い浮かべ、ほくそえんでいたロザリーは、突然目の前の盾を失い、すがるところのなくなった手をさまよわせていた。
「さて…」
ロザリーに向けられた笑み。
王子が倒されながら、誰もエリザベスを捕らえようとしない、この異様な空気。
「何がひどいのか、言ってごらんなさい、バーギン子爵令嬢」
エイベルは助けてくれない。自分で何とかしなければ。ロザリーはエリザベスを睨みつけ、指さした。
「人にワインをかけておいて、私をかばってくださったエイベル様にまで危害を加えるなんて!! 王族への反逆罪よ! 衛兵、早く捕まえなさいよ!」
ロザリーがどんなに叫んでも、周囲の衛兵は動かなかった。
会場にいた目撃者も次々にエリザベスの味方をした。
「体当たりしたのは、ロザリー様の方です」
「シーウェル公爵令嬢はワインを持っていなかった」
エリザベスは腕組みをし、ロザリーに冷笑を向けた。できるだけ怖く見えるように。ここが見せ所だ。
「仮にも公爵令嬢である私に冤罪を仕掛けるなんて、なかなか大した度胸ね」
「え、冤罪じゃない! エリザベス様が私に」
エリザベスが左手を挙げ、指を振ると、エリザベスに近い場所の照明が落とされた。
「皆様、お動きにならないように。怪しい動きを見せたものは捕縛してよいと、王より許可をいただいています」
会場の照明が半分に落ち、薄暗くなった会場で黄色く光るものがあった。
床に落ちているグラス。ロザリーの手。さらには後方にいるバーギン子爵の手も。
給仕を担当していた侍従が一人、グラスの乗ったトレイを運んできた。ワインの入ったグラスが七つ。どれも持ち手が黄色く光っていた。
「確かにバーギン子爵様がこのトレイからワインの入ったグラスをお取りになりました。お取りになったのはお一人だけです」
侍従はそう説明すると、礼をして下がった。
「赤ワインを持たせたのは彼だけ。青いネクタイをした侍従からは飲み物を取らないよう、この付近にいる方にはお伝えしておきました。この会場でこのグラスに触れたのは、バーギン子爵とあなただけのようね」
エリザベスは自らの手を広げた。白い手袋には何の色もついていなかった。手袋を取ったその手にも。
「私はそのワイングラスに触れてませんのよ?」
ロザリーはとっさに言い訳を考えたが、思いつくより先にバーギン子爵が逃げ出した。
「衛兵! この私を罠にかけようとした愚かな二人を捕らえなさい!」
エリザベスの命でロザリーとバーギン子爵は衛兵に捕らえられ、会場から連れ出された。
命じはしたが、この後の処分は公爵の指示で王家に任せることになっている。一見かっこいい断罪切りの公爵令嬢も、実は公爵と王家に段取りを組まれ、公の前で婚約破棄を受ける婚約者の役割を演じただけの、ただの護衛に過ぎないのだ。
「エイベル様を運んで」
エリザベスは運び出されるエイベルと共に会場を離れた。
緑のドレスに映える赤い色。
夜会には赤ワインを多めに。
ロザリーが赤ワインの入ったワイングラスを持っていた時点で、エリザベスは勝利を確信していた。ワンパターンないじめられ役に陶酔する小者など、エリザベスの敵ではなかった。
盛られた薬が効いている間は絶対言うことを聞かないだろうあの王子に、あのまずい薬を飲ませなければいけない。王子に対して怯むことなく動けるのは自分だけ。どうせ自分は間もなく王子の護衛ではなくなる。他の者が罰せられないよう、最後まで嫌われ役を買って出てやろうじゃない。
エリザベスは婚約破棄が決まれば、修道院での生活が待っている。
女子修道院での護衛の仕事を見つけ、今回の事件を解決したら「褒美」に「修道院行き」と称して職を変えることを認めてもらっていた。王子との婚約からも王子の護衛からも解放され、自分のやりたいことをして悠々自適に生きていくのだ。
「さあ、とっとと正気に戻ってもらわないとね」
騒ぎの裏で、ブライアン、キャサリン、そしてブラッドショー侯爵が王の呼び出しを受けていた。
ブライアンはキャサリンに手を引かれて北の塔の一室に向かい、キャサリンの願うまま激マズの薬を飲んで眠りについた。この後、薬の効果が消えるまでの数日間、北の塔で過ごすことになる。
ブラッドショー侯爵は拘束され、王の前で罪状を問われた。
バーギン子爵と共謀し、二人の王子に毒を盛った罪。エイベルに至っては下手すると命を落としかねない量だ。子爵が残していた薬の量のやり取りのメモ、万が一エイベルが死んだ後のバーギン家への補償を約束した書類も見つかった。
エイベルを王太子の座から追いやり、ブライアンを王太子にするため。自分の娘を王太子妃に、将来の王妃にするために…。
用意されていた数々の証拠を前に、ブラッドショー侯爵は言い逃れることは出来なかった。




