果たせなかった約束 第三話
中学最後の夏休みは、塾の夏期講習通いで、あっという間に終わった。二学期が始まる。まだ、真夏の暑さを残す日が続いていた。そんなある日、私は思いがけない人に出会った。
授業が終わり、昇降口に向かった時だった。靴箱の手間で、バスケ部らしい集団とすれ違った。私のすぐ横を通った男子が目に入った。
ジャージの色が紺色だから一年生だ。中学はジャージの色で学年がわかるようになっている。体操着の胸元に刺繍してある苗字に、思わず目を奪われる。
〝永田〟と刺繍されていた。潤南と同じ苗字だ。まさか、と思って顔を見る。じっと見るわけにはいかないから、一瞬しか見れなかったけれど。
彼は潤南に似ていなかった。弟ではないとがっかりしたところで、弟がこの中学にいるはずないのだ、と気づく。だって、潤南の家は引越したのだから。
靴箱から靴を出す。何だろう、胸の中がもやもやする。
***
校門を出て、南に向かって歩く。一人で帰る通学路が当たり前になっていた。今頃、潤南はどうしているのだろう。最近こんな風に思うことが増えた。この横断歩道を渡れば、十分程で家に着く。
斜め後ろを振り返ると、白いタイル張りのマンションが目に入った。潤南が住んでいたマンションだ。自然に足がそちらに向く。マンションの裏側に回り、公園に入る。潤南と離れ離れになってから、初めて来た。
あの時、花を咲かせていた桜の木は、今は葉っぱが黄色や赤色に染まり始めていた。巻貝の滑り台が、以前と変わらず佇んでいる。それを目にした時、胸がきゅっと痛んだ。
それから数日後のことだった。その日も潤南のマンションの前にある横断歩道を、私は渡ろうとしていた。すると背後で
「永田、また明日ー!」
という声がしたと同時に、私の横を自転車に乗った男子が、走り抜けて行った。慌てて後ろを振り返る。前に昇降口ですれ違った男子がそこにいた。彼は、潤南が住んでいたマンションのエントランスに入って行く。
それを見て、私は確信した。やはり、潤南の弟なのではないか。それなら、なぜ弟はここにいるのか。親の仕事の都合で引越したはずではないか。
彼に問いただしたい気持ちが込み上げる。一方で、そんなことできないと、心の中の理性ある私がストップをかける。彼がエントランスの扉を開ける。その瞬間、私は叫んでいた。
「ちょっと待って!!」
***
急に呼び止められた彼は、怪訝な表情でこちらを振り返った。私が同じ中学の生徒だとわかったからか、彼は逃げたりしなかった。深呼吸して息を整え、口を開く。
「あの……永田潤南って、知ってる? もしかして、お兄さん?」
私の問いかけに彼はしばらく黙っていたけれど、やがて無言で頷いた。それを見て、思わずまくしたてるように、「潤南はどうしているの?」と訊いていた。それに対して
「兄ちゃんと約束したから。家のことは誰にも話さないって」
彼はそう答えた。そう言われたら、それ以上何も聞けない。聞いてはいけないと思った。
少し前からメールの返信や潤南からメールがくる頻度が減っていたのだ。ここで、踏み込んだことを聞くと、潤南とのつながりが切れてしまいそうで、私は言葉を飲み込んだ。
そんな私に背を向け、彼はオートロックの鍵を開け、エントランスの奥へと消えていった。
弟は今、潤南と一緒にいない。それは何を意味するのか。
―― 家のことは誰にも話さないって
もしかして、両親が離婚したのか? それなら、潤南が戻って来るなんて、不可能ではないか。
考えても仕方のないことが、頭の中をぐるぐる回る。この時、初めて、潤南にはもう会えないかもしれないと、覚悟した。