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神様の気まぐれ : Art  作者: 鳥兎子
3/3

03 美しさ : Yasmin



 

 白い『茉莉花(ジャスミン)』を題材(ターゲット)に、『美しさ』を写真でどう表現するべきか。香りが良い花は『一夜花』とも呼ばれ、夜に咲き、翌日のお昼頃には落ちてしまうらしい。イメージが確定しないまま、焦りが生じる。

 

 『題材ですから』と微笑する憎き映伴から押し付けられるようにして、我が家に来た茉莉花(ジャスミン)と睨み合う。男性から花を貰う図にしては乱雑である。園芸が趣味らしい映伴なら苦労は無いだろうが、私は世話の仕方から調べなくてはならなかった。未知と言えば……私自身の名前の由来すら、私は知らない。

 

 名付けた祖母に聞くことはもう出来ないし、両親に至っては……『絵が好きだったからじゃない? 』という雑っぷりだ。両親は器用貧乏というか、少々感覚がズレている。ヒントが欲しいと実家へ電話すれば、当たりが出た。直感が鋭い母なら、私にヒントをくれるはず。


「私だけど。おばあちゃんの遺品残ってるでしょ。その中に私っぽい物無い? 」


『……絵茉っぽい物!? 』


 受話器越しから驚愕が耳を刺す! 鼓膜破れるわ!


『久しぶりに電話して来たと思ったら、何でまた』

 

「良いから。あったら写真送って欲しい」


 文句の飛礫(つぶて)から、鼓膜を守護すべく電話を切る。果たしてヒントは届くのか。

 

 ――数分後、通知が鳴る。


 眼に焼き付く写真に、私の内から陽光が蘇る! 心臓が大きく鼓動を打ち始める。


 

『  5th Happy birthday! 絵が飾られた部屋に、虹色の輪飾りが半円を繰り返し描く。幼い私は満面の笑顔で、祖母に貰ったテディベアを抱きしめている 』


 

 母からの追記メッセージが届く。

 

『何か()()()()()()()()()()()()()()、気になって開けたら、額縁に入った絵茉の写真だった。おばあちゃんが溺愛してた絵茉っぽいでしょ? 』


 そう、私はおばあちゃん子だったのだ。胸を締め付ける郷愁から、思い出の欠片達は陽光と共に降り注ぐ。

 

 手作りのクマ形クッキー。温めた、膜のあるミルク。揚げたてのエビフライ。隅まで綺麗に拭かれた、フローリング。

 そして、使い古された画材。絵の具が取れなくなった筆とパレット。手書きのラベルで整理された引き出しから取り出した絵の具達は……祖母が私にくれた温もりだ。

 

『私が大好きな絵みたいに、絵茉は宝物だよ』


 かつて祖母は、柔い皺がある白い掌で幼い私の頭を撫でてくれた。包み込む微笑は、慈愛を遺して陽光に消えた。白い掌は温もりを失い、線香の香りと腕時計だけを置いて逝く。


 遺された私は大人になった。涙を拭うと、本棚から取り出した祖母の映るアルバムを見つめた。『写真』は過去の世界だけど、戻ることが出来なくても『確かに有ったんだ』と、思い出を宝物にしてくれる。

 

 宝物……trésor(トレゾール)と名付けられたphotoStudioで、カメラマンになった私は『思い出』を黒い瞬き(シャッター)で残し続けている。


 『写真』は、私達が今居る世界に繋がっている。生きているんだと地に足をつけ、鮮烈な感覚を追憶させてくれるんだ!


「テーマは決まった」


 茉莉花(ジャスミン)の他にあと二つ。材料が必要だ。カメラマンは、数字で光を操る魔術師だ。光は私の味方をしてくれる。

 


 ――決戦の日。私は白い布に包んだ写真を抱え、待ち合わせの駅前で審判の彼女を待っていた。


 

「お待たせ致しました! うわっ、先輩……全紙ですか? 良くプリント間に合いましたね 」


 現れた美花は、私の持つ額縁内の写真……508×610mmサイズに軽く引く。正確には『大全紙』である。写真の原紙である大全紙を、六つに切ったサイズである『六つ切』が一般的な写真台紙の大きさだ。大全紙で焼く客は、結婚式でも無い限り中々居ない。


「大きさで負けたくないから。業者の本気で、急ぎで焼いて貰った。映伴(あっち)は『F12』だとか言ってた。全く、『写真』と『絵』はサイズの呼び方すら違うなんてね」


 キャンパス、Fサイズ 12号は606×500mm。本来Fサイズは人物画向きで、完全に私に合わせてもらった形であるが、『写真』の方がデカくてほくそ笑む。

 

「負けず嫌いですね……。映伴(あちら)を選んでも、美花(わたし)を虐めないで下さいよ? 」

 

「約束する、拗ねるかもしれないけどね。公平な客観性で、今日は宜しくお願いします」


 私がお辞儀した後、美花は微妙に面食らっていた。先輩(わたし)後輩(あなた)を既に虐めたりしてないよね?


「深く考えず、愚鈍に選びます」


「それで良いよ。歩いて割とすぐだったから、行こうか」


 辿り着いた『Atelier(アトリエ) Ciel(シエル)』の庭に、腕を組む映伴が居る。朝露煌めく植物達を味方に付けた彼は、勝負相手として申し分ない。


「おはようございます。そちらが審判の方ですか」


「おはよ。そう、私の後輩」


 映伴と挨拶を交わした美花は、嬉しそうに私に囁く。


「イケメンですね」


 そうか? 映伴の雰囲気に騙されているぞ。だが、その言葉に私が抱いたのは危機感だった。映伴の方が有利なのかも。 先輩圧だけじゃ、美花は揺らがない。


「公平に、ね? 」


 寧ろ、これでトントンなはず。何故か美花は面白くなさそうに、拗ねたように唇を片側に寄せた。


「春を見られるのが遠いです」


 今は梅雨が終わり、夏だが何か。と淡々と返しかけた時……映伴と視線がかち合う。不意の事で、私は張り詰めた仮面を解いてしまった。

 

 朝露煌めく庭から、鮮やかな黄緑(スプリンググリーン)を吸い込んだ丸眼鏡の向こう。茶色の中の緑(ヘーゼル)の瞳は、僅かに見開かれる。

 

 私が疑問に瞬くと、映伴は我に返ったように背を向けて扉に触れた。……急かされているのか。


「行きましょうか」

 

 映伴に続き、穏やかな光が満ちた乳白色(ミルキーホワイト)のアトリエに入ると……白い布が掛けられた画架(イーゼル)と、(から)画架(イーゼル)があった。ここに置け、という意味だろう。私は抱えた『写真』を彼の『絵』に並べる。今はどちらも、白い布の下……その(かんばせ)は分からない。


「先行は? 」


映伴(そっち)からで良いよ。私はどんな結果でも、覚悟出来てるから」

 

「余裕ですね。絵茉が負けたら……」


 おっと危ない! 美花が審判を出来なくなる前に、私は彼女の耳を塞ぐ。


「『写真』から手を引いて貰いますから。その後は、私の弟子にでもなればいい」


「暫く無職はやだな。映伴(あんた)の弟子なんて、死んでも御免。私が勝ったら、機械音痴は私の弟子にでもなる? 」


「道程は長そうですが、仕方ありません」


 映伴が溜息をつくと、我慢出来なかった美花は私の手から逃れる。


「もぅっ! 急に何なんですか、先輩」


「ごめん、賭けている対価は内緒」


 ぷりぷりと頬を膨らます美花に、私は苦笑する。先輩が辞める可能性がある事は、心優しい彼女には知られてはならない。私の方が失う対価はデカいと気づくが、条件を呑んでしまった以上、逃れることは出来ない。売られた勝負(ケンカ)を買ってしまった私の責任だ。


「では、私からという事で」


 冷笑を湛えた映伴に、私は息を呑む。彼は躊躇無く白い布を取り払った!



『 見上げた明るい灰みの青(スカイブルー)の空に咲くのは一輪の茉莉花(ジャスミン)……と思ったが、そうでは無い。それは無彩色(ホワイト)の、一羽の鳥だった。深い赤系の黒(ランプブラック)の嘴は花柄(かへい)の様にも見えるし、雲を従える翼は花弁の様にも見える。眼下の小さな茉莉花(なかま)達を置いて、鳥と化した花は自由を手に入れた 』

 


 油絵を見た瞬間、自由を手に入れた鳥になった気がした。広い空へ飛び立つ爽快感は、たった一羽である強さと孤独を連れていく。


「凄い」


 私は素直に驚嘆した。映伴の想像力が有るからこそ、描けた世界だ。絵が描けても、私には思いつかなかっただろう。


「批評は、後程に」


 得意げな映伴に、苛立ちすら湧かない。私が負けても悔しさなんて与えず、綺麗に負けさせてくれるだろう。

 だが、私も只では負けられない。私には見えない世界を彼が描けるように、彼に見えない世界を……私は撮れるのだから。私は白い布に縋ってしまう。思い出を切り取れる『写真』だから、私は美しい世界を見つめられる。祖母が大切にしてくれた写真で、気づく事が出来たから。

 

 ――私は、大切な『宝物』を手放したりしない!


 

『 生まれたての朝日が祝福する。無彩色(ホワイト)茉莉花(ジャスミン)は、御包み(アフガン)のようにふんわりとした正絹(シルク)亀甲紗(チュール)に包まれる。生き生きとした生命力に満ちているのは、深い黄緑(メドウグリーン)の葉脈。鮮やかな黄緑(スプリンググリーン)の葉は、赤子が伸ばす小さな手のように……優しい皺を寄せる無彩色(ホワイト)御包み(アフガン)にそっと甘えている 』


 

 写真は光で『一瞬』を切り取る物。絵は想像の世界と融合する事も出来るし、写真だって加工すれば現実から離れる事が出来る。

 

 だけど私は、今生きている世界が好きだ。世界が与えてくれた美しさを知っているから、それ以上の世界を目指したくなる。私が撮ったのは、『美しさ』の原点だった。


「温かい……不思議だ。無彩色(しろ)なのに」


  呆然と呟く映伴の横顔に幼さを感じ、私は微笑していた。


「美花、審判宜しく」


 二つの『美しさ』を表現する作品の前で、呆然と立ち尽していた美花は我に返った。


「本当は、どちらも私は好きです。審判じゃなきゃ、選べなかったと思います。けど、感じたままに言わせてもらいます」

 

 美花は映伴の油絵を見つめる。私は指先がびりびりと痺れるのを感じた。


「まず、こちらの油絵ですが。空への憧れと感じる自由が、私の物になった様でした。茉莉花(ジャスミン)が白い鳥にも見えるようで、不思議な感覚でした。だけど、白い鳥になった茉莉花(ジャスミン)は、たった一羽。広い空に飛び立つのは、寂しかったんじゃないでしょうか。白い鳥だけが、写実的で孤独が浮き彫りになっていました」


 美花の感想は、私の感覚とも重なる。深い赤系の黒(ランプブラック)の嘴も、雲を従える翼も……淡い世界で、孤独を生んでいた。


「孤独、ですか」


 映伴が胸を突かれたように呟くと、美花は私の写真を見つめる。


「対して先輩の写真は、映伴さんが告げたように白に『温かさ』を感じました。色彩は『白と黄緑』と限られていますが、優しい陽光と柔らかな正絹(シルク)の皺が『包み込む親の慈愛』を、生き生きとした葉を持つ茉莉花(ジャスミン)は『愛を受け取る子供』の様でした。ニューボーンフォトに近い物があるんですかね」


「確かに、似てるかも。正絹(シルク)は、御包み(アフガン)のイメージだったから」


 『ニューボーンフォト』とは、新生児期に撮影する赤ちゃんの記念写真だ。カメラマンとしての経験が、無意識に生かされたのか。


「私の負けですね」


 映伴は負けたというのに、吹っ切れた笑みで破顔した。だが私の勝利は、幻想だ。感じる『美しさ』は十人十色。審判が美花以外だったなら、感じた『美しさ』も違っていただろう。


「私、映伴に言わないといけないことがある。勘違いしてるかもしれないから。私は貴方にこれからも油絵画家でいて欲しい。……私は映伴の『絵』が好きだから」


 映伴が勝ったなら、私はカメラマンを辞めて彼の弟子になっていただろう。だが私は勝っても、映伴に『絵』を辞めさせるつもりなんて無かった。

 

 庭の植物達を飾る採光窓から一筋に通る光と風は、不意に強まる。丸眼鏡の奥……光芒を受けた茶色の中の緑(ヘーゼル)の瞳は揺らぐ。

 

「初めて、名前を呼んでくれましたね」

 

「そうだった? 」


「そうですよ。そっちだとか、あんたとか。辛辣でした。ずっと今の呼び方にして下さい」


 映伴に、うるうると上目遣いで見つめられると、本能的に拒否したくなるんだけど!

 寧ろ私は、ずっと冷静な映伴で居て欲しいとお願いしたい。『絵』に向かい合う時の彼は、美しく冴えている。

 

  美花はニヤニヤしている。口パクで『春ですね』って……意味が分かった。先輩として、後で締めさせて頂く。

 

「呼び方は、考えとく。気になってたんだけど、何でアトリエの名は『Ciel(シエル)』なの? 空を描くのが好きだから? 」


「私が『絵』を描き始めたきっかけが、『空』だったからです。神様の気まぐれで描かれる空のキャンパスのように、私も美しさを描いてみたいと思ったのです。しかし油絵画家として、そこそこに成功して……一人でも生きられる日々(ルーティン)の中、ふわふわとした形の無い孤独を覚えていたのかもしれません。批評は最もでした」

 

「なら、私が映伴の足を地につけさせてあげる。ふわふわと空ばかり飛ぶ様な孤独も画風(タッチ)も、『写真』に触れれば、新しい美しさを知る事が出来るかもしれない」


「それは、頼もしい! 機械音痴が治るだけでは無いとは、私に利益しかありませんね」


 私は初めから、のほほんとした彼の掌の上で転がされていたのか。


映伴(わたし)の名前の意味は、今見つけました。『映す』を伴う。『写真』を魅せてくれる絵茉が居れば、私は新しい美しさを知ることが出来る」

 

 私も今なら、『絵茉』の名前に込められた意味が分かる。絵が大好きだった祖母は、『絵』に愛しさを。『茉』に私が生まれた感謝を込めてくれた。


 

茉莉花(ジャスミン)の語源は、ペルシャ語のYasmin。

 

“神様からの贈り物”だ。


 




 

 

読んでいただき、ありがとうございます(*´˘`*)

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