第22話 訓練の日々
朝早くから起き出して昨日の帰りに買っておいたパンを齧る。
いつも感じるけど、異世界のパンは元の世界と比べると若干だが固くてパサパサしているので何か飲み物が欲しくなる。
これまでなら朝はゆっくりとカフェにでも寄って何か食べてから訓練場へ向かえば良かったのだが、たった一人でも部下が出来てしまった事でその部下より遅く職場へ着くのは何故か負けた気がする。
こちらの異世界では偉い人が重役出勤するなんて当たり前なのだが、平均的な日本人の感覚からすれば上司が部下より先に会社に居るのは当然の文化だと思う。
「隊長おはようございます」
「おはよう、今日も素振りから始めるからな」
「はい、了解しました」
両手が完治したアイシャはオレより体格が小さいにも関わらず、腕力や体力がその見た目に反して鍛えられているのは異世界特有のステータスの恩恵があるから。
オレたちが住んでいた世界は完全な物理法則が支配する世界だったので、体格の大きさや筋肉の量を見れば、それらの情報からある程度の強さが判る。
だがこれが魔法の存在する異世界になると、自身の筋力を魔力で補って物理的な限界を軽く突破して来るなんて事は日常的に起こりうるから見た目で判断してはいけない。
それは今オレの目の前にいるアイシャも同じで、あの細腕でオレと同じ重り付きの練習用木剣をブンブンと風を斬る音を響かせながら素振りをしている姿は、最早ラノベの世界そのままだと言っても良いだろう。
それを横目でチラ見しながら部下の風斬り音がオレより大きく聞こえて来ると、ここで負けたら隊長としての沽券に関わるのでオレは直ぐに彼女より大きな音を響かせるべく木剣を持つ手に更に力を込める。
するとまた最初のうちはオレの方が大きな音を出しているのだが、暫くするとアイシャが剣の振り方を真似て、その音が徐々にだがオレが響かせる音に追随して来るのが判る。
いくらこの異世界には魔法による身体強化がありそれが一般的だとしても、もうこれ以上は剣を振る速度を上げる事が出来ない早さギリギリまでスピードアップを行っているはずだ。
それに、リアルな意味で言えばオレには勇者と聖騎士の二人から受け継いだ剣技スキルがあるので、光の速度までなら加速する事は可能だ。
だが問題は音速を遥かに越えてしまうと、剣を振る時に強力なソニックブームが発生してしまい、それで訓練場の壁がメチャクチャになってしまうのは少し不味い。
例えそうなったとしてもオレには賢者から受け継いだ様々な便利魔法があるから、時間さえ掛ければメチャメチャになった訓練場を元に戻す事は可能なのだが、その魔法を誰かに見られたら今度はその説明が面倒だし、何より訓練が中断してしまう事でモチベが下がってしまう。
以上の理由からオレと部下の素振りは如何に早く、尚且つキレイな音が出来るだけ大きく響いて、それでいて周囲に被害が出ないギリギリのラインを見極めながら競い合うと言う、ある意味では超異次元的な訓練メニューとなってしまっていた。
ちなみに木剣には常に魔力付与して強化しておかないと簡単にへし折れてしまったり、空気との摩擦で燃えてしまったりするから、その際は罰ゲームとして訓練場の周りを全力疾走して貰う事にした。
オレとアイシャは二人で毎日この訓練(と称した何か)を朝から晩まで繰り返すのだが、たまに飽きた時は王都の外で走り込み(と言う名の何か)を行ってモチベーションの維持に取り組んでいる。
だが流石に素振りと駆けっこばかりでは騎士らしくないとの部下からの指摘もあり、週末限定で試合形式の打ち稽古を行う様にもしたのだが、この週末メニューを訓練に加えてから部下の成長をより把握出来るようになったので、もしアイシャの後輩が出来た時にも続けて行くべきだと思った。
「もう一本お願いします!」
最初はアイシャの事を真面目な委員長タイプだと思っていたのだが、彼女はかなりの負けず嫌で何度地面に転がしてやっても直ぐに立ち上がって再戦を挑んで来る。
「もう一本お願いします!」
アイシャにはまだオレが聖剣技を始めとした様々な勇者系と聖騎士系スキルをマスターしている事は明かしていない。
なので普通の剣士系スキルと盗賊系スキルのみで戦っているのだが、今はまだこの程度の力で部下の修練には付き合っていけそうだ。
「もう一本お願いします!」
先ほど強めに打ち込んだ時に手首と肘、そして脇腹を少し捻ってしまったみたいだったので、訓練を再開する前に彼女を手招きして治癒魔法をかけてやる。
「隊長、ありがとうございます。ではもう一本お願いします!」
部下のやる気はまだまだ十分みたいだが、長い間一人ぼっちで素振りしかして来なかったオレのモチベが徐々に消耗してきたのを感じる。ちょっと飽きてきたのだ。
「もう一本お願いします!」
何故これほどまでオレの部下は修練に打ち込むのだろうか? ふとそんな考えが頭に浮かんだ。
「アイシャ、今日はここまでにしよう。お前は少しガンバリすぎだ」
「はい……了解しました」
オレより汗だくになった彼女に更衣室で着替えて来るように促し、まだ解散するには少し早かったので夕方まで何をして時間を潰すか考える。
アイシャはここへ配属される前は自分の小隊を任されていたのだが、その小隊は本部からの命令を聞き違えて敵軍の奥深くまで斬り込んでしまったと記録で知っていた。
そして決死の覚悟で隊員たちが一丸となり、敵包囲網の中央を突破して帰隊出来たのは彼女一人だけで、彼女の部下である二十名のうち遺体を回収出来たのは十五名。あとの五名については生死不明のまま死亡扱いとなっているらしい。いわゆる”MIA”と言うヤツだ。
アイシャとしてはもう一度騎士として確固たる立場を手に入れ、行方不明となった部下の安否を自分の目で確かめたいと考えてるはずだ。
だが過去の栄光を伝統と勘違いしたままの騎士団上層部が今のままなら、彼女の存在はいつまで経ってもイレギュラーとして扱われるに違いない。
オレは自分の心を閉ざしたままブリキの騎士になろうとしているアイシャを、このまま消耗品の駒にはしたくないと思った。
彼女がオレの部下となってはや一月近くの時間を共に過ごして来たが、あの慎重な性格の彼女が司令部からの命令を聞き間違えるとは到底考えられない。
もしそこに間違いがあったとするならば、それは故意にそうなるように仕向けた誰かが存在するはずで、オレは既にその誰かについては目星をつけていた。
簡単な話だ。
アイシャが学生時代から彼女に絡んでいた貴族のバカ息子が居たと聞いた。
それでそのバカ息子の実家が王国では有名な軍閥貴族だったのだが、アイシャの小隊が全滅した隣国紛争の時、その司令部に軍閥貴族の寄り子が居たはずなので、後はそいつを取っ捕まえて自白させれば何らかの手掛かりを得られるだろう。
貴族を相手にこんな手荒無な方法を用いた場合、もし失敗した時に己の身を滅ぼすほどのダメージを覚悟しなければならず、普通なら例え考えても実行は出来ない。
いつもならもっと遠回りでも安全なやり方で時間を掛けてじわじわと追い詰めて行くのがオレの流儀だが、今回に限ってその方法を採るつもりはない。
「隊長、今日はこの後どうなさいますか?」
「そうだな、オレはこの後で用事があるから、アイシャはここで自主練メニューをこなしてから帰宅してくれ。もし疲れているようなら休憩してても構わないから」
「はい……了解しました」
訓練や修練の最中は嫌な事を忘れて明るく振る舞っているのだろうが、いざそれが終わってしまえば出会った時のように軽い鬱病に似た表情が垣間見える。
この若さで正騎士のそれも小隊とは言え、隊長を任されるほどの実力を認められた彼女が、ここまで病む事になった原因を少しでも取り除いてやらないと、この先いずれかの任務で必ず致命的なミスをする。
せっかくオレの部下となってくれたのだから、出来れば幸せな未来を歩んで欲しいと望むのはオレのエゴだろうか? どんな理由でアイシャと出会ったにしろ彼女と知り合った事でオレの時計が再び動き出したのは事実なのだから、その程度の面倒事なんて厭うつもりはない。
こうして、オレがこれまで無為に過ごして来た灰色の年月が、十五年目で終わろうとしていた。




